127.動きは慎重で大胆で
うまくいったな、とネイチャンは思う。
あまり前線に出たくはなかった。娘と再会できなくなるから、とかそんな理由ではない。
ネイチャン個人が持つ、ある理由によって、彼は戦を好んでいなかった。
しかし、と冷や汗が流れる。渡された資料の数は膨大だ。
どこに陣を置くか。どこに何の魔術陣を置いておくか。どれくらいの兵隊を収容できる陣地が必要か。逃走経路はいかほどか。
その方向、目印に至るまで。ある程度現場の判断に委ねながら、同時に判断基準をも指定されたその資料。
目を通し、己の手で必死になって作業していく。元来であれば軍部における四つの名家、そのうち誰か一人がやるべきだった所業。やはり、単純な作業でもなければ容易に終わるものでもない。
「そもそもの戦争の規模がおかしいし、と。」
兵糧を置く場所は確実に確保しなければならない。陣の中でも、後方に、より本拠地に近い方に用意する。
回り込まれれば真っ先に燃やされる、そんな場所ではいけない。しかし、中央、総指揮官の陣に食糧を置くわけにもいかない。
難しい塩梅だ、と思う。その塩梅がきちんとできる指揮官だから、あの四人はあぁして他を排してまで軍議をしていたのだ、と察する。
大前提を、わざわざ口にする必要がない。暗黙の了解でそれを理解している指揮官同士でしか、今後についての相談はしにくいのだろうと思う。
「これをすべて覚えれば……。」
自分もそれなりに話が出来るようになるのだろうか。大貴族たちと肩を並べて、戦えるようになるのだろうか。
ゾクゾクとした興奮。戦場で、名高き貴族たちと肩を並べ、決して劣らぬ戦働きをしたい、という願望。幼い日に夢見たそれが、この陣形の資料にはあるのではないか、と思う。
もちろん、彼の感覚は間違えてはいない。その資料にある物資、陣の敷き方、柵を立てる長さや櫓の位置。全てを正しく解読し、そこからどういう戦争に持ち込むことが出来るか想定できるのなら、彼は四家の当主と肩を並べることが出来るだろう。
レッド派がアダット派と事を構えるにあたって展開している兵士の数は20万人だ。
この陣地は、少なくともその数倍程度の人員を想定している。想定されている。
ネイチャンは、その理由をある程度は推測できていた。
「後方人員の為だろうな……。」
予備兵力はたくさんある。ここですべてを出し切るわけにもいかないレッド、アダット両派は、ある程度兵力を残している。その追加人員分だろう、と彼は予想した。
否である。理由としてないわけではないが、薄すぎる。正確には、敵の出方次第では使わない、あるいは兵力を誤魔化す藁でも置くための場所である。
山の中に陣を敷く。高い位置には弓矢を多く、また油と丸めた藁も同様に。
落とし穴は掘らない、と指示があった。同時に、山に入る前の縁に人丈分の堀を。
戦場が広い。広いのではなく、意図的に選択肢を増やしているのだとネイチャンは気づかない。また、帰還方向にも多数の陣。
これらは「ほどほどでよい」と書かれていた。最優先は、後退領域の陣の準備だと。
「どうだ?」
「こりゃ、すごいと思いますぜ。これだけ面倒な指示を出すあんたの上司もすげぇが、それをこなそうとするあんたの気力の方が怖い。」
雇った傭兵がぼやく。私は、この際だと思いきったことをした。
自分の率いる兵による陣の用意は、もちろんやる。しかし、それで十分だという保証が欲しい。
アレイア男爵の所の役人が滅びた以上、自分たちでこういった下準備をし、確認しなければならない。だが、それは経験不足によって不備が出かねない。
だから、彼は決めていた。信用できない己の私属貴族ではなく、金さえ払えば言われたとおりに仕事をする傭兵に任せる。ペディア=ディーノスが傭兵になったことを受けて、彼は薄々気づき始めていた。
――力なき貴族より、実績ある傭兵の方がマシなのではないか――と。
実際にその通りだった。ある程度指示を出せば、その意図、動きを予想し、きちんと正しい形の陣を作る。貴族たちのように知識と経験不足による妥協は少ない。
カネ払いは、正直痛いが。落ち始めているとはいえ最近まで力ある貴族の一人として名を馳せていた身だ。傭兵1000人に数年の支払いをする程度のはした金ならあった。
「『赤甲傭兵団』の後払いの料金、取りたてにこなかったし、な。」
娘に持たせるべきだったか、と考える。そして、首を振った。
娘と、フェリス=コモドゥスの家の家督。元役人階級の平民に渡すには、過ぎた報酬だろう。これでいらないとかのたまった時が、自分の槍の腕の振るいどころになるな、と思う。
残念ながら、その平民は『像』となった。本当に槍を振るえば、打ち首になるのはネイチャンの方である。
「伯爵様!」
「静かに!」
周囲で働く男たちの手を止めさせる。半分は本能だった。
目を見開き、耳を澄まし、鼻をひくつかせる。獣のような有様だが、気にしている暇ではない。
「見つけた。」
山を見下ろす先、わずかに駆ける人影。偵察を本陣が見逃したのだろう。……いや、単独行動している訓練を受けた斥候の動きくらいであれば、見落とすこともあるだろうと思う。
おそらく、本陣を大きく迂回してこちらに来たのだ。夜闇に紛れて。
「投槍機。」
「は。」
差し出されたそれを掴む。彼我の差は150メートルほど。偵察は我々に見つけられていることに、気付いていない。走りが一定だ。
「スゥ。」
息を一瞬吸い、止める。気合は出せない。150メートルの差であれば、裂帛の気合なんてものを見せた瞬間バレる。
「フゥ。」
だから、小さなと息に留めた。投槍に過剰な力はいらない。力を上手に器具に伝達すること、正しい技術で狙った位置に投じること。それだけを意識すればいい。
投げる。数秒後、偵察の頭蓋は綺麗に貫かれていた。
後方陣地に敵偵察が到達、殺害に成功。その報は、腐りかけの身柄と共に本陣へと伝えられた。
「綺麗にこめかみから撃ち抜かれているな。」
「普通にグロい、というか普通に燃やせばいいものを。」
「こちらの危機感を煽るためだろう。「どういうことだ」という抗議と……おそらく、後方陣地製作がバレた可能性をも示唆しているな。」
当主たちがぼやく。ニネート子爵はその優れた投槍技術に感嘆を漏らし、テッド子爵は腐りかけの死体を届けてきた事実に眉を顰め、コリント伯爵はその意図を明確に類推する。
だが、どれにしても厄介な問題だった。偵察が一人。後方にいた。それは、本当に一人なのか。もっといるのではないのか。
夜闇に紛れて駆けるだけでいいのなら、極端な話誰でも出来ることで、そして阻止することは難しい。
集団で動いてくれたら、その動く音に、影に、光に反応できただろう。しかし一人だけで動く密偵を毎日少しずつ放つ、なんてことをされたら、阻みようもなかった。
人が夜に動くには、星明りさえあれば十分だ。そして、流石に陣の遥か外、陣内にいる見張りの目が届かない場所ともなると、流石に察知するのは難しい。
「……とはいえ、勝負をつけるなら平原以外、というのは兄でなくともわかる話だ。警戒が足りなかった部分はあるだろう。」
外に警備隊を放っていればよかったか。……それでも確実に後ろに敵を通しただろうことは想像に難くない。
斥候、密偵。何にしろ、彼らが盛大に音を立て、篝火をたきながら走ってくれる間抜けでない以上、発見するのには限度がある。
「とはいえ、全て見つかることはあるまい。……撤退戦の開始は1か月後だ。極力急げと伝えろ。」
ヒリャンには少々の余裕があった。撤退後、どこを起点にどの部隊をどの陣に押し込めるか。選択肢を己に無数に用意する。その用意した無数の選択肢は、同時に敵にも本命を疑わせるための強力無比な手札になる。
全てを読み切り、全てに対して対策を練りきっているわけでもない限り……「後方に撤退後用の陣が用意されている」という情報だけ持っていても、心構えが変わるだけで戦況そのものには影響がない。ヒリャンはそう、確信していた。
地図を眺める。他国の地図ならまだしも、自国の地図だ。バイク=ミデウス侯爵家、『護国の槍』ともなればその全ては正式な図として所持している。
国内地図の保持は、普通に考えて違法行為だ。戦争というものは経済や戦略の段階を超え、人や質の問題がいくらあろうと、地形の有利不利で覆すことが出来る。言い換えるなら、財政状況なんていうものと比べると、地図というのは国にとって比較にならないほど重要な機密事項である。
それの、完全保持。それが許された人物は、現在のペガシャールにあってただ四人。
『ペガシャール現国王』アグーリオ=エドラ=アゲーラ=ペガサアシア。
『ペガシャール現宰相』ノルド=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。
『ペガシャール現元帥』クシュル=バイク=ミデウス。
そして、『ペガシャール王太子相談役』ゲリュン=ペティット=クジャタ。
つまり、クシュルが眺める地図は、この1500年間で作り上げられ、時に改定が加えられた、最新版の地図である。
「おおよそは、読めた。」
敵後方に陣地アリ。撤退戦後の戦争を意図している模様。その報を受けた時点で、そしてそこにある物資の数をあらかた聞き終えた時点で、クシュルはその全容を推測し終えていた。
出来ないはずがない。彼は『護国の槍』である。
その脳には、この1500年間行われた戦争の歴史、その策略が、敵もさることながら味方の分まで完璧に叩き込まれている。
敵の名前と、家名。そして地形。それさえわかれば、敵の用意している物資、敷きたい陣、そしてそれに対する読みあいの方法まで、時間をかけて察することは出来る。
「しかし、わかっていても、対処できぬな。」
全てを読み、全ての対策を用意することは出来ない。さすがに察した。物資の物量が違う。人の質が違う。何より、地形の利があちらに味方しすぎている。
「王太子殿下の命に逆らうわけにはいかぬ。我らはレッド派を討たねばならぬ。」
地の利を取られた敵との戦争。口角が、不自然に上がった。
「面白い。」
クシュル=バイク=ミデウスは……久しぶりに、戦を楽しんでいた。




