126.彼女の行方
これは、アダット派とレッド派が睨みあう、ほんの一月前の話。
アダット派の本拠地ホーネリスにほど近い、というかほぼ隣接している土地に、彼の出身地たる領土はあった。
「そう。ちゃんと、立派な飼い主を見つけたのね。よかったじゃない、ペディア。」
彼がアシャト陣営についた。その報せは、彼女にとって朗報だった。
ペガシャール帝国を名乗る派閥。アシャト王という名。……かつての言葉を思い出す。攻撃の才能が絶望的にないが、生存の才能はずば抜けている王候補。いつの間にか名を聞かなくなっていたが、そうか。生きていたのか。
「だったら、行先は決まりね。」
机の前から立ち上がる。フェリス=コモドゥス伯爵領にまつわる収支報告書はもう諳んじられるようになった。地形に関するものも同様だ。
彼女はもう、フェリス=コモドゥス伯爵領に関する政治を一手に引き受けることが出来る。
「まぁ、書類がわかるだけじゃ意味がないけどね。」
独白。その独白は、すでに彼女がそこそこの執務を取っているからこそ重みがある。
「リーナ、どうした?」
「父上。真なる王の許へ馳せ参じるときがやって参りましたね!」
自分でも声が弾んでいるのが分かった。これが、『王像』が降臨したからなのか、それとも別の理由か。
何にしろ、彼女はアシャトの元へ行くことに、少なくとも思考としては阻むものが何もなく。
「無理に決まっておるだろう。」
父の一言に、目を丸くした。
フェリス=コモドゥス伯爵領。ほどよく中立を保っているように見えるこの領は、実のところレッド派と親密である。
なぜなら、領地が密接していて、かつレッド派のトップ……エドラ=ラビット公家の方が勢力が強いからである。
言い換えよう。真隣に存在するラビット公爵から攻めこまれたら、仮にディーノスがいた全盛期であろうとも十中八、九負けるためである。
それがレッド派と親密になる理由ではない、とする意見もあるかもしれない。しかし、その意見はどこまでも理想論でしかなく、理想論は翳せるだけの力がなければ議論の対象にすらなりえない。
己が領土、そして己の保身を考えるなら、フェリス=コモドゥス伯爵はレッド派と親密にならない理由がないのである。
「それでも、『王像』の許へと馳せ参じるのが真の貴族というものではありませんか?」
「その想いは正しい。しかしリーナ、お前は現実が見えていない。」
父の即答。迷うことのない即答に、リーナは驚いたような表情を浮かべる。
「貴族としての責任を果たす一つの道は、確かにお前の言う通り『王像』の許へと馳せ参じることだ。もしレッド様とアシャト陛下が敵対していなければ、私は万難を排してでも『王像の王』の許へと馳せ参じたことだろう。」
これをもしアシャトが聞いたら、呆れてものも言えなくなるような会話だ。何のために己が『帝国』を名乗ったのか、気付いていないことの証明とも言える。
彼らは一度もアシャト陛下の許へ馳せ参じる、とは言っていない。『王像』あるいは『王像の王』……ディアに選ばれたか否か、それを判別基準として会話している。
アシャトがその人生で行うべき、最大の是正点がそこ。しかし哀れなるかな、1500年で積もり積もった業は深い。
しかし、そんな些末事とは裏腹に、二人の会話内容は深刻だった。
「そんなもの、『王像』様の許へ馳せ参じ、功を上げてしまえば……これは体のいい出来レースです!父上がレッド様やアダット様の子供の癇癪にお付き合いなさる必要はありません!」
「子供の癇癪、か……。」
あながち間違ってもいない。そう父……ネイチャンは思う。既に『王像』は降臨された。今のこれは、アダット派とレッド派が同時に帝国派に敵対している状況は、王になれなかった彼らの不満の爆発でしかない。
『王像』が誰のもとに降臨しようと、争いがあったのは間違いないだろうが。神の選定に不満を抱かないわけでもなかった。
アダットか、レッドか。どちらかに王像が降臨してさえいれば、第三派閥の多くがその二人、『王像』を得た側につくことになっただろう。そうなれば、ここまで拮抗した戦争にはならなかった。
ややこしくなったのはただ一点。アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアという人物が生き延び、『王像』を手にしてしまったということ。そうでなければ、ペガシャール一国であればそこそこ安泰に収まっていた。
「それでもだ。周辺の貴族全てがレッド様派閥な以上、我々もレッド様陣営につくしかない。」
「なぜです!」
「我が領土が火の海になるからだ!」
アレイア男爵が失敗せず、ディーノスの一族がコモドゥス伯領に健在だったとしても変わらない、絶対的な真理。
レッド派が周囲全てを覆うフェリス=コモドゥス伯爵がアシャト派につけばどうなるか。簡単だ、他の貴族たちから袋叩きに遭う。
兵士の数は多い。アダット派と戦うための軍を派遣したとして、それでも予備の兵力くらいはある。……いくら予備兵力でも、それはレッド派が王になるための予備兵力だ。弱卒と侮れるわけがない。
「私はフェリス=コモドゥス伯爵だ。領民が平穏に生きる生活を、出来うる限り守る義務がある。」
そのことについて、ネイチャンに否定批判の余地はない。己の旗幟を鮮明にすれば、その時点で周辺諸領から一気に叩かれる。この領土は、戦火に見舞われるだろう。
「レッド様の派閥につき、彼の下で戦争をしている間は、兵糧の為に働く農民の苦労と兵たちの命だけ犠牲にすれば、民の命は守られる。下手なことは出来ない。」
リーナが、息を呑んだ。そして、彼女は初めて父の顔を尊敬を以て見つめる。
「本気で、そのようなことを?」
「保身がないか、と問われると別の話にはなるが。しかし本心であることには違いない。」
「保身とは?」
「貴族としての将来だとも。」
即答。そろそろ娘にも、貴族の生き汚さを教えてもいいころだと思った。……良くも悪くも純粋な彼女では、純粋な執務を任せることは出来ても政治の駆け引きを任せることは出来ない。ネイチャンとてとても得意とは言えないそれ。しかし、生きるための最低限の基礎程度なら、彼とて心得はあった。
「例えば、着の身着のまま我らが『王像の王』の許へ行ったらどうなると思う?」
「その忠誠を讃えられる、というわけではないのですね?」
リーナが核心を突く。そうだ、という頷きを返した。問うまでもない。問う必要すらない。それをすれば、フェリス=コモドゥスはさておきネイチャンは終わる。
その前提を以て考えた時……答えは、貴族なら誰でもわかるほど容易いものになる。
「守るべき民を見捨てた領主。」
「そうだ。たとえそれが正しくなくとも。いかに我らが王の為に馳せ参じたとしても、彼らを気にせず王の許へ向かったという事実は消せない。」
ギョッとする。正しくないなら事実ではないだろう、と言わんとするリーナの口を、ネイチャンは遮った。
「違う。正しくなくとも、事実になるのだ。レッド様の手によって。」
例えば、『王像の王』の許へ単身訪れたとして、その後に自領が戦火に見舞われたら?裏切りの報復として皆殺しにされたら?
皆殺しはないだろう。乱世で人も減った。貴重な兵員を殺すわけがないだろうが……奴隷がごとき扱いを受けるのは想像に難くないだろう?とネイチャンは言う。
「そして、「フェリス=コモドゥス伯爵が治める領地の民はそうなった」という事実が、永遠に語り継がれていく。」
少なくとも、国内が完全統一されたとして、同じ領地を治めることは叶わないだろう。民からの不平不満が怖すぎる。何より、自分たちを守らなかった領主を彼らは領主と認めまい。
それは、他の領土でも同じだ。
おそらく、元自領より恨みつらみはないだろうが、信用されないという点では変わらない。……ネイチャンは、どう足掻いてもレッド派に残るという以外のありとあらゆる選択肢を外されている。
「私はレッド派に残り、軍を率いて戦おう。たとえ敵がアダット様であれ、『王像の王』であれ……今上陛下であれ。私がやること、いや、私が出来ることは変わらない。」
その宣言に、リーナは息を呑む。父がそこまで覚悟していたとは知らなかった。……呆れた。これなら、ペディアを何としても繋ぎ留めておくべきだったかもしれない、とすら思う。
どうあれ、父はここに残るという。なら諦めるか、という、なんとも言えない諦念がリーナの中で湧き上がり。
「ゆえに、お前はアシャト様の方へ行け。先ほどお前が言った通り、これは体のいい出来レースだ。認めていないのはアダット様とレッド様、そして彼らの最側近くらいだろう。」
だが、国の換気としてはちょうどよいかもしれぬ、と父は言い。
「リーナ。私の持ち込んだ縁談を悉く断り、フェリス=コモドゥスの命脈を滅ぼしかけている責は問わぬ。だが、女当主になろうとするな。必ずその胎で子を産み、私の孫を繋げよ。」
……リーナの感情は、父には筒抜けだったと言えよう。父も知らぬ男に操を立てられているのは釈然としないものだっただろうが、わざわざ問うてくることもなかった。
悪い気はしなかった。むしろ、そこまで配慮してくれた父に感謝したい気分であった。
「では、父上。明後日までだけお待ちいただけませんか。明日のお茶会の後、出発いたします。」
「……道連れか?」
「まぁ、そんなところです。」
家の犠牲になって死ぬ必要まではない。そういう言い方もしようと思えば出来るだろう、とリーナは思った。
先ほども言った通り、これは体のいい出来レースなのだから。
(待っていなさい、ペディア。あなたに相応しい家督を贈呈いたしますから。)
ペディア=フェリス=コモドゥス=ディーノス。フフフ、と笑う。
さながら恋する乙女のように。いいや、そのままの顔だった。
二日後、五人の貴族令嬢と50人の女性兵士とともに、彼女はディマルスに向けて旅立った。




