120.光翼姫の弓矢
矢を番える。弦を引き絞り、放す。ただそれだけの動作が、すごく億劫だった。
弓矢を使えた方がいい。そう、進軍の最中思った。指摘もされた。だが、私が弓矢を扱えないでは意味がない。
だから、弓矢を練習していた。
「当たらない。」
武術とはえてしてこういうものだ。わかっている。わかっているとはいえ、それが焦らない理由にはならない。
私がペガサス部隊の隊長でなければ。私が指揮するのが、基本的にペガサス部隊でなければ、私は部隊を二つに分け、もう一部隊に弓矢を使えるような指揮官を置いた。だが、私がそうするわけにはいかないのだ。
ペガサスは、希少だ。ペガサスが希少ということは、ペガサス部隊もまた希少だ。
悲しいかな、これまでのペガシャールの歴史を見れば、どれだけ多い時のペガサス部隊でもせいぜいが一万。部隊を二つに分けることは出来るものの……何年、いや何十年先になるかはわからない。
指揮官を育成するのは問題ないだろう。だが、それはそれとして弓矢を使える部隊を指揮するのは、完全に私の役割だ。
「急がないと、いけないのに。」
弓矢は、苦手だ。
弓を構える。腕を構える。矢の先端は的の僅か上。そこから引き絞り、これ以上引き絞れないというところで、停止。呼吸と、手の動きを合わせて、放つ。
「……。」
一瞬の、静。いいや、全体をとおして、静かに進める動作。それが、基本的な弓矢の動かし方だった。
「天上にあっては無敗のお姫様にも、苦手なものはあるんだな。下手すぎて驚いたぜ。」
「……。」
皮肉を聞き流す。彼は、私に対しては多くの場合からかうような態度をとる。しかし、彼の言うことは正しい。悔しくて、見返したくて、次の矢を番えた。
放つ。的の外側に当たる。放つ。的の外側を通り過ぎる。放つ。的とは全く別の方を通過していく。
届かない。集中力の問題だろうか。……そうであってほしいという願望と裏腹に、そうではないという本音が出る。
「どうして、お前が矢を学ぶ必要がある。学ばなくとも、お前には魔術があるだろう。」
「私が出来なくてもいい。……そうね、それは否定しないわ。」
遠距離攻撃の手段は、魔術でもいい。弓は遣い手の身体能力と腕に依存し、魔術は使い手の魔力操作能力と魔術陣に依存する。どちらにも長所と短所がある。使いこなせるならば、どちらでも構わないという考えは、正しい。
「でも、私しか指揮を執れない以上、私が弓矢を使えないわけにもいかないでしょう?」
半分くらいは、意地だった。指揮官としての意地。一人の武術家としての意地。
私は、空の上でなければあまり強くないことを知っている。もちろん、平均的に見れば圧倒的に強いことも知っている。だが、上には上がいる。私は、兄上には決して勝てない。
私が空で、兄上が地面に立っていたとしても、私は決して兄上には勝てないだろう。それは、兄上がエルフィール様が相手でも、同様に。
私は、私の指揮能力が総合指揮に特化したものではないことを知っている。今のコーネリウス様が相手なら、まだ思考に追いつける。けれど、あと20年……いや、15年もすれば、追いつけなくなるだろう。『護国の槍』が得ている名声は伊達ではない。それは、才能の面でも、同様に。
私は騎馬隊長であるほうがいい。そのくらいの立場の方が、将として立場を落としすぎない程度に生きていける。
わかっている。陛下は本当に、人を見る目があると思う。私という人物の限界がそこにあると、彼はおそらく見抜いている。
「空の上で、負けるわけにはいかないのよ。」
それ。空の上で、出来ない戦いを作りたくない。
弓を引き、放つ。飛んで行った矢は、また、別の方向へと飛んで行った。
「仕方ねぇなぁ。」
私の意地。子供のようなそんな意地を、クリスは笑った。
「人っていうのは、理屈じゃあないなんかが絶対にどこかにあるもんだが。お前はそれか?」
武人としての意地。……きっと、そうではない。理屈じゃない何かがある。
「お前が弓矢が出来ない程度で、どうこう言える兵士はいないはずだが。」
一人の武人として、一人のペガサス兵として。私は確かに、ほとんど完成の域にある。それを否定する気はない。
「なんか嫌じゃない。」
「最初からそう言えばいいものを……。」
「だって、なんか子供っぽい気がするし。」
「男はいつだって童心を忘れないものだ。」
「私は女よ。」
矢を放つ。それは、まっすぐに的の方へと飛んで行った。
「あっぶないなおい。」
「どうせ避けるでしょ?」
「俺への信頼が嬉しいねぇ。」
次の矢を放つ。それを、彼はあっさりと回避した。
「それでいいんだ、アメリア。弓矢っていうのは、戦場では狙って撃つものじゃない。弾幕を張るために放つものだ。」
ましてや、空中戦では。空の上から地上に矢を放てば、慣性で高威力の矢になる。
矢を番える。放つ。
「なんで?」
「なんか上から話してくるのがむかついたからよ。」
「お前も同じことしてきたよね?」
随分昔のことを、と思う。……よくよく考えれば、あれから二ヵ月も経っていない。そこまで昔の話じゃない。
「いいから、さっさと、食らいなさい!」
「食らったら怪我するじゃねぇか!……いや、お前のヘロヘロ矢じゃ怪我もしねぇか?ハハハ!」
む、か、つ、くぅ!さっさと当たれ、痛みでよがり苦しめ!ただその一心で矢を放つ。回避される
わかっていたけれど、鬱陶しい。
「あぁ、もう!」
矢を放つ。また、高笑いが聞こえてきた。本当に、こいつは、趣味が悪い。
気づけば、私の息は上がっていた。クリスは実に平然とした表情で、笑って私の方を見ていた。
「冗談じゃないわ。」
「そうだろうな。」
クリスは、同じ『騎馬隊長像』だ。私やクリスが望む望まないに関わらず……陛下が望む望まないにも関わらず、私たちは比較される対象になり続ける。そういう未来が、確約されている。
だというのに。私とクリスの体力の差が、私たちの力量の差を如実に表している。そんな気がして仕方がない。
「そんなにカッカするなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」
「誰のせいで!」
背中に手を回す。気づけば矢は、一本もそこにはなくて。
「……あぁ!」
それでも、私はクリスを殴りに行っていた。
「おいおい、そこまで俺のことが鬱陶しいか。」
私の手には弓しかない。槍は弓矢の練習にはいらない、矢はとっくに打ち尽くした。そんななか、私が出来る攻撃手段なんて……一つしかない。
弓で、クリスの頸を殴ろうとした。一撃でも当てれば、痣は確実になるような威力を込めて。
でも、当たらない。……当たらないとわかっていたから、私は本気で彼を殴りに行けた。
「怖いなぁ。……ほら、アメリア。ちょっとそこで弓を構えてみろ。」
やはり、平然と回避される。悔しい。……だが、同じ騎馬隊を率いる将として、背中を預ける相棒として、これ以上ない安心感がある。
足元に落ちている矢を拾う。的まで、さっきよりも遠い位置。それでも、彼が構えろと言ったなら、何かしら理由はあるはずだ。
「失礼するぞ。」
息が、近い。掌が私の甲に触れる。弓を引き絞る手に、クリスが補助をかけた。
「お前はペガサスに乗っているから、的との距離を見間違えてはいない。お前が苦手なのは、力を矢に伝達するという過程。それだけの話だ。」
スッと、狙いが定まった。遠い位置にある的。そこになぜか「当たる」と確信する。
「手を離せ。」
言われた通り、矢から手を離す。放つ、という過程も、弓を握っていることも、弦のひき具合さえ忘れて、矢から、ただ、手を放した。
綺麗に真っすぐ、矢が進む。矢は、的の真ん中を綺麗に射抜いた。
「嘘。」
「本当だ。だが、はっきり言って、お前は本当に弓矢は向いていない。」
手元がぶれている。槍を握る時に力を加えるのと、矢を放つときに力を加えるのとでは、伝え方が全く違う。
「弓を使えるペガサスの部隊がいるのはいいだろう。それをお前が指揮してくれると、俺たちは安心できる。だが、お前が弓を扱えるようになる必要はない。」
それより、魔術の方を鍛えればよい。そう、彼は断言する。
「お前が空戦部隊の部隊長であることを、俺は感謝している。俺は空で戦う才能はない。」
訓練したら、それなりに戦えるようになるだろうと思う。でも、確かに私ほどではない。
「お前が空にいるから、俺たちは安心して、陸の上で戦えている。」
空のことは任せられる人間がいるからな、というクリスの言葉。
「何よ、褒めても何も出ないわよ?」
「いいんだよ。お前もお前の価値をもう少し自覚しろ。」
「しているわ、誰よりも。だからこそ、怖くもなるんでしょうが。」
矢を、使えない。いつか、きっとそれに後悔する日が来る。
「……じゃあ、そこそこ使えるようになるまでは、面倒を見てやる。」
呆れたように、クリスが言った。
「本気?」
「どうせ曲げねぇんだろ?」
「なんか理解されているみたいで、嫌ね。」
どうしろと、とクリスが頭を抱える。本当に、彼は面白い。
人をからかうような人間のくせに、からかわせることに慣れていないのだから。
「弓矢、上手いの?」
「聞いて驚け、五段階格だ。」
「微妙ね。」
弱いわけではない。むしろ平均よりは優れている。・……だが、微妙だ。
「三段階格には言われたかねぇな……。」
「それもそうね。」
まあ、他の誰かに頼る伝手があるでもなし。クリスなら信頼できる。
「じゃあ、お任せするわ。」
「任されてやるよ。」
とはいえ、疲れた。矢を拾い集めるのは後でもいいか。私は、その場に腰を下ろした。
「まずは、明日ね。」
明日。ゼブラ公国から、侵略軍が帰る日だ。




