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114.雷馬将の近衛

 ノックの音。その音を、私は無視しようと決めこんだ。

 私が帰ってきて、貴族たちの動きが活発になっている。兄は王ではなくなった。その影響は、貴族たちに動揺を与えている。

 ゼブラ公王に仕える貴族。つまり彼らは、つい先日まで公属貴族だった。今では違う、ゼブラ侯爵に仕える私属貴族だ。まだ、そっちの貴族たちはいい。ある程度きちんと兄に仕え、あるいは領地をきちんと治めている限り、どこまで行っても貴族だ。地位は保証され、生活もまた保障されている。

 問題は、その貴族に仕えていた貴族たちの方だ。元ゼブラ公国にいた、元私属貴族たち。こっちの方が厄介だ。彼らはこの件で、私属貴族から役人階級に変わった。領地を治める権限を持つのは貴族まで。役人階級に下がった貴族たちは、この瞬間から地位が大きく変動した。具体的には、領主から、代官になった。


 報酬が変わる。生活が変わる。私属貴族たちにも言えるが、生活に要求される水準が自ずと下がる。それを認めたくないものたちは、私属貴族に成り上がろうと兄に取り入るものが増え……または、反乱を起こそうとするだろう。あるいは、公属貴族になるために、ペガシャールについて行く。

 どれにしても上手くは行くまい、と思う。留守を預かるブレッドは、実のところかなりのやり手だ。本当に、兄がいなくとも、一年くらい領を治めるくらいならうまくやってのける。


 ペガシャールの内乱を納める。そのための進軍について行くのは、元『青速傭兵団』約3000名と、プラスで一万名。その中に、元私属貴族……現役人階級の者たちは加わろうと必死だ。

 権限を持つのは、私だ。兄ではない。兄が政務の全てを負い、私が軍事の全てを担う。それが、兄と私の理想とした『ゼブラ公国』の姿だ。それは、侯爵領になったところで変わらない。


 再び、ノックの音。気づいていないのだろうか。私は居留守を使っているのに……いや、気付いているのだろうと思う。

 それでも、今、生存競争に必死な彼らは、その行為が既に生存競争で致命的な失態だと気付いていない。……私が顔を見せたらどうするのだろうか。会って直談判する気なのだろうか。ペガシャールに連れて行けと。


 ゼブラ侯爵の弟に、たかだか執事階級ごときが?

「話にならないな……。」

無礼を通り越して打ち首ものだ。死にたいならいいが、そうでもないならお勧めできない。……それに気づくだけの余裕はないだろうが、私が気遣ってやるのも大概にした方がいいかもしれない。


 ノックの音が、止んだ。人の気配もまた、消えた。

「……そう言えば、ノックか……。」

奴は、最初の方はノックしていたように思う。三日ほどだっただろうか、やつが私の部屋をきちんとノックしていたのは。

「……お前は、死んだのだったな。」

目が、なぜだか霞んだ。その先に、彼がいるような気がして手を伸ばした。……自分の手なのに、自分の手じゃないように、大きくも小さくも見えた。


 あれは、そう。私が六歳の誕生日を迎えた、その次の日のことだった。

「失礼いたします。グリッチ=アデュール=ゼブラ殿下の自室はこちらですか?」

その一言が、彼の声を聞いた、最初だったと思う。

「そうですが、どなたですか?」

「本日より殿下に仕えることとなりました、ヴェーダ=ディミグラフ=グレイドブルと申します。入室許可を戴いてもよろしいでしょうか。」

私に、仕える。その言葉が脳に染み込むまでに、約2秒ほどかかった。

「近衛か。」

「は。殿下とともに在り、ゼブラの礎となれ、と。」

共に在り、か。

「監視か、それとも扇動か?」

「何のことですかね?」

軽い声だった。私より、少し声が高い。

 

 何を考えているのかわからない。だが、彼である必要はなく。

「いらん、といったらどうなると思う?」

「俺じゃない、誰かが来ることになると思われます。」

言葉は丁寧なのに、口調は軽かった。声音も、あるいはアクセントすらも。なのに、敬意だけは伝わって来た、ように思った。

「……受け入れます。入りなさい。」

扉が開く。入って来た少年は、見た感じ、私と同じくらいの年齢だった。


「再びご挨拶申し上げます。私の名はヴェーダ=ディミグラフ=グレイドブル。本年をもって8つになります。アデュール=エドラ=ゼブラ王のはとこの子孫に当たるため、遠くはありますがグリッチ殿下の血縁関係の一人に当たります。」

「……それはもはや他人だろう……。」

ゼブラの血があるというだけだ。そんなもの、在野を探せば間違いなく、ペガシャール初代国王の血を引く平民だっているはずだ。

「否定は致しません。これからは殿下にとって、右腕とも呼べる人物になって見せたいと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたします。」

やっぱり引き受けなければよかったかな、と思う。ゼブラとして、王族として、側近がいるのは何ら不思議なことではないけれど。それでも、こいつは面倒ごとを引き寄せるのではないか、と思った。

「……ほどほどにな。」

けれども。私は、そう言うにとどめた。




 ノックの音で、昔の光景が頭から消えた。懐かしい、私の友の記憶が。

 ヴェーダのことは、毎日のように思いだした。だからなのか、それでもなのか。私の中で、最も親しい友のことは、どれだけ経っても色あせずに記憶の中に留まっている。

「……イライラしてきた。」

楽しい楽しい懐古の時間を阻んだ者。どこかで、貴族や執事落ちした彼らの行動には忠告を入れるべきではないかと思っていた。


 私の怒りを今買った男。他が無視されている中では可哀そうだが、見せしめになってもらうのも吝かではない。

「誰だ!」

扉を開ける。怒りを隠さぬように。その貴族が首を垂れて泣きながら懇願する、そんな迫力を籠めて。


「わ、悪い?」

「……はい?」

そこにいたのは、ちょっと驚いたような表情をしたペディアだった。私の怒りを向けられて、驚きの表情だけで済む当たり中々の胆力、と感心する。

 いや、それ以上に、なぜペディアがここにいるのか、わからなかった。こいつが私に何の用だろうか。

 少しばかり、互いが互いの顔色を窺う。ペディアは私の怒りの理由、というよりこれから話をしてもいいのか窺っているようだ。これは、私が気を利かせた方がいい場面だろう。

「すまん、少々他のことで気が立っていた。何か用か?」

敬語で話すか、迷った。が、こいつは貴族の出自ではないと聞いている。それ以上に、こいつは私の傭兵界での後輩に当たる。そこまで気にする必要はないだろう。


「お前と会え、とお前の妹に言われた。……死んだ者を、悼もうとしていた時に。」

何を、言えばいいだろうか。友を殺した奴など知らんと追い返すべきか。それとも、喜んで同じ友を持った仲間と語り合うべきか。


 ヴェーダを殺された怒りはある。こいつめ、と思う気持ちがある。

 だが、不思議と憎しみはない。ヴェーダは、己が職分を果たそうとした。ペディアは、己が命を守ろうとした。

 それは、戦場の定めだ。俺も、ヴェーダも、そして目の前の男も。戦場に出ることの重みを、友や仲間の死を、何度も何度も経験している。……憎む気持ちは、ないわけではない。だが、憎しみとして発露させるほどでも、ない気がしている。

「……そうだな。入れよ、ペディア。」

死んだ者を悼む。そう言った彼の言から察するに、だ。ペディアにとっても、ヴェーダは仲間だったのだろう。あるいは、悼むほどの間柄ではあったのだ。


 グリッチは知らない。ペディアの悼む人の割合に、ヴェーダは二割程度しかないことに。親代わりですらあったアデイルを悼むことこそ本題であることに、気付くはずがない。

 だが、男二人の死者を悼む会に、そんな情報は不要だった。結局、どちらも大事な友がいなくなっただけの話。


 なら、多少の懐古に付き合わせるくらいはいいと、思った。




 互いの持つ、ヴェーダの話をしたい。そう、グリッチは言った。

 俺は、構わない、と答えた。

 戦場で、人が死ぬ。それは、絶対に変わらない約束だ。である以上、死んだ者を悼む自由くらいは、遺された者にあってしかるべきだと、俺は思う。

「時系列的にも、時間的にも、俺が会っていたヴェーダより、お前が会っていたヴェーダの方が長いはずだ。教えてくれよ。あいつは、どういう男だったんだ?」

俺は。ヴェーダがゼブラ公国出身であったことを、彼が裏切ってから知ったのだ。つまり、幼年期や少年期のヴェーダの人生を、何も知らないことになる。


「あぁ、いいさ。……そうだな、ヴェーダは私が6才のころに、私の近衛として仕官した。そうだな、どのエピソードから話そうか。」

懐かしむような、楽し気な表情。俺はあまり“雷馬将”について詳しくは知らない。傭兵会議で一度顔を合わせた程度でしかない。

 だから、俺はこの男が、これほど優しい表情をするのを知らなかった。……ヴェーダのことを、心から信頼していたのだと、思う。だからこそ、ここまで彼のことを楽しく話せるのだと。


「あれは、彼が仕え始めた翌日。武術の鍛錬をしていた時だった。」

かなり長くなりそうな気はした。でも、いいかとも、思う。


 どうせ夜は長い。それに、これからは共に肩を並べて戦う、戦友になるのだから。




 ゼブラ公王の一族にだけ伝えられる槍術がある。公国式槍術、なんてわかりやすい単語でまとめられたそれは、正直なことを言えば、他の槍術と大して変わらない。

 武術など、極論を言えばいかに効率よく人を殺すか、というものだ。それ以上でもそれ以下でもなく、それゆえに基礎の型は大体が同じになる。

 突き。薙ぎ、払い。石突による打撃、柄による防御、あるいは長さを活かした簡易的な結界。6歳でしかない私は、どれだけ才能に恵まれていたとしても、基礎的な武術以外を学ぶことはなかった。


「良いですか、グリッチ様。人には必ず、何かしらの才能を持っています。」

それは、私に槍を教えた師が言った言葉だった。後に知ったことではあるが、それはゼブラ公国ではなく、ペガシャール王国にて恒常的に伝えられている言葉らしかった。

「ですが、その才能を発揮するには、条件がたくさんあるのです。」

才能を明確に出すには、いくつか条件が合致していなければならないと、師は言った。


「一つは、時期。才能という種は、未熟な時には芽が出ません。もし才能があるのに、芽生えていないならば、それはまだ種の方が熟していない、ということです。」

今のグリッチ様はきっとそうですから、腐らず武術を続けるように、と言った後、彼はさらに続けた。

「腐った種もまた芽吹くことはありません。機を逃すと、その人は永遠に才能を芽吹かせることが出来なくなりますな。」

才能、という言葉は、まぎれもなく才能というモノなのだと、師は言った。タイミングを逃せば、決して芽吹かせられぬもの。世の中で『才能がない』という人は、つまり種を芽吹かせられなかった人だと、彼は言った。


「例えば芸術の才能を持った人が生まれたとして、その人が生涯芸術に触れることがなければ、その種は芽吹くことがありません。」

最後に、と続けた。

「芽吹いた才能が、健やかに育てば。その人は自ずから天才と呼ばれるようになるでしょう。」

あの言葉は、今でも耳に残っている。才能は、3つの要素がなければ芽吹かない。


 モノ、時期、努力、と言った。才能の種をきちんと正しく見つけること。その種がきちんと芽吹く時期に見つけること。その種が育つために、最適な環境で育てること。

 素晴らしい才能があり、偶然それを見つけて、正しく熟した時期に水をあげた。でも、その水が猛毒であれば意味がないのだと。

「殿下はゼブラの王族。我々が責任をもって、大金を叩いてでも才能を開花させて見せましょう。」

貴族、というものの意味を、私はこの時初めて知ったように思う。貴族、特に王族ともなれば、とんでもないカネがあり。だからこそ、無茶ぶりが出来るのだ。


 才能という種子を見つけるために、たくさんの習い事が出来る。その種子を正しい時に芽吹かせられるよう、継続的な習得が出来る。……機が熟せば芽生えるだろうと、腰を据えて見守れる、とでも言おうか。

 最後に、芽生えたら潰れないよう、高額をかけて適正な環境を整えられる。誤った環境にあると気付ければ、その時点で新たな環境に変えられる程度のカネを、王族は持っている。

「殿下は俺より早く強くなりそうですね。」

ヴェーダがその話を聞いて、寂しそうに笑った。……だが、師はそんなヴェーダを叱った。


「馬鹿者、グリッチ殿下の近衛が殿下より弱くてどうする、貴様にも殿下と同様の環境が与えられるに決まっておろう!」

ゲ、という表情を、ヴェーダはした。その表情が、私にはとても面白かった。


「一緒に強くなろうな、ヴェーダ!」

「殿下……。」

道連れだ、という意味で、言い切った。だって、どう聞いたって面倒この上なかったから。だが、まぁ。一人なら投げ出しただろうが、仲間がいるならそこまで投げ出す気にもならなかった。

「……仕方がないですねぇ!」

「馬鹿者、何が仕方がないだ。喜んでお付き合いいたします殿下、くらい言えんのか馬鹿者!」

「何度もバカって言わないでもらえます師匠!」

ヴェーダの声が響き渡って、私は笑った。大笑いした。


 ヴェーダとなら、やっていけるかもしれない。ヴェーダが近衛になることに、私はようやく納得した。


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