98.アバンレイン荒野の決戦・転5
魔馬ペイラが抜けていった。その事実に、ペディアは唖然とはしなかった。
そうなるだろうと予想していたわけではない。驚いていないわけではない。だが、俺は己の仕事に忠実だっただけである。
「後方は無視しろ‼前方警戒!」
後ろに駆け抜けたのは、蒼い馬と蒼い鎧。魔馬ペイラに跨る『青速傭兵団』。
その脅威を、おそらくペガシャール帝国軍で最も理解している俺は、大丈夫だろうかと心配になった。
『青速傭兵団』団長“雷馬将”グリッチ=アデュール。『ペガシャール四大傭兵部隊長』の一人。その名声は、傭兵団長として得たものだ。傭兵団長は決して戦略段階から関わることはない。つまり。
グリッチの名声は、戦略の腕ではなく、戦術の腕で得たものである。
「ペディア様!斬り込み隊を後方へ回してくれ!今なら挟撃できる!」
ヴェーダの荒々しい叫び。その頼みは冷静に考えれば正しい。間違いの間の字もない、正解だ。
俺の部隊は今、『超重装』だけで回っている。斬り込み隊がいる必要はない。それに対して、後方は完全に敵味方入り乱れる合戦場。そう言う場でこそ、ヴェーダ含む斬り込み隊はその本領を発揮できる。これに関しては、疑う余地は確かに微塵も存在しないのだが。
なぜだろう。行かせてはならない気がする。
「必要ない、ヴェーダ。コーネリウス殿は人を見る目こそないが。それでも『護国の槍』の生まれ、それに率いる軍勢も俺たちのものと遜色ない。」
ほとんど反射的に、そう結論付けた。勘である。勘であるが、大きく間違えているとは言えないだろうと思う。
「そんなことはありません!コーネリウス様では、グリッチ様には勝てない、のではないかと考えます!」
何か、一瞬過った気がした。それを、戦の熱狂にやられたのだろうと判断する。
「第8小隊、第12小隊と交代、休みを挟め!」
よくよく考えれば休みが必要なのは俺ではないだろうか。頭が、少し痛い。
兜を外して、水を口に含んだ。……次の瞬間、生暖かいナニカが、俺の頬に、付着した。
「そんなことはありません!コーネリウス様では、グリッチ様には勝てない、のではないかと考えます!」
その言葉を聞いた瞬間、私は、何よりも、その異常に気が付いた。
ありえなかった。その言葉は、他の何を差し引いても、『ペガシャール帝国軍』にとってはあり得なかった。
ペディア様は変わらずに、兵士の指揮を頑張っている。彼は己の疲労に気が付いていないのだろう。父親に似て、そういうところの脇は甘い。
……やはり、か。さすがに、次は気が付いた。発動された5段階相当の軽い魔術。発動したのは、『軽傷頭痛魔術』。発動時間は一秒にすら満たないが、ペディア様が、己の疲労度に疑いを持つには十分すぎるほどの効果が出る魔術。
ペディア様が、兜を脱いだ。水を飲もうと手を伸ばし、腰に結わえられた水筒の端を口に含む。
次の瞬間、彼……ヴェーダは剣を握って駆けだして。
私もまた、ペディア様の方へと駆けだした。
後ろを、振り返る。その先には、肩からバッサリと斬られたアデイルと、血に染まった剣を持つヴェーダがいた。
「……ヴェー、ダ?」
「……貴様!なぜ俺の邪魔を!」
ヴェーダがアデイルを蹴り飛ばそうとする。それを、俺は盾を全力で投げて阻んだ。
「なぜ、なぜと言ったか、ヴェーダよ。」
よろり、と育ての父が立ち上がる。血の量から見て、もう長くはない。じっとしていなければ、ものの数分と待たずに死んでしまうだろう。
「お前は、さっき。コーネリウス殿とグリッチを、様とつけて呼んだ。お前、コーネリウスの名を呼ぶとき、いつも殿付けだっただろう?」
ニヤリと、アデイルが笑む。もういい、止めろ。そう言いたいのに、言葉が喉元から先に行かない。
「理由は……おまえが、ゼブラ公国の、スパイだから。違う、か?」
「……。」
違和感。それが、『様付け』の理由になったわけが、わからない。
「そのお前の、深い、深い忠節が、敗因だ。」
「……き、さま。」
「死にゆく私が、死にゆく貴様に、問おう。名は?」
「俺は、死なない。……が、冥途の土産に答えてやろう。」
剣の切っ先は、既に下がっていた。だが、それは戦闘姿勢を解いたことを意味しているのではなく、下段に構えて飛び出す用意をしているだけだった。
「ゼブラ公国王弟付き護衛官。……『青速傭兵団』切り込み隊長。」
ヴェーダ=ブライアン。彼は、そう名乗る。
「役目はペガシャール王国の監視。及び、ゼブラ公国への進軍の報があれば本国に知らせること。……警戒が厳重すぎて抜け出すことすらできぬ有様ではあったが、指揮官についてはあの時話した。」
グリッチと斬りあって滞空していた一瞬か。あの一瞬で、情報交換をしたのか、と驚く。
同時に納得した。せいぜい30秒のわずかで伝えられる情報などたかが知れていただろう。敵が俺たち相手に情報戦で後手を取っていたのは、味方ですら知らない情報が多かったからだ。
「ヴェー、ダァァァ!」
怒りで視界が赤く染まる。俺は、こいつに上手く踊らされていた。
「逆に、俺の方が聞きたいね。……なぜそこまで。」
「ペディア様を守ったか、ですか?フフフ、聞くまでもないことを……ですが、死にゆく者には、ちょうどよい土産かも、知れません、なぁ。」
アデイルの声が、俺の振り切った怒りをわずかに宥めた。まだ、生きている。……だが、もう、長くはない。
俺を今日まで、ここまで育ててくれたもう一人の父に、みっともない姿は見せられない……そう言う意地が、俺の怒り狂う心を無理やり押さえつけた。
「ペディア様は、傭兵として、そして『優秀な猟犬』として、使えるべき主を見つけました。」
猟犬。優秀な、猟犬。リーナの手紙を思いだした。次にどんな人に手綱を預けるのか、期待しているという、あの手紙。……そうだ。俺はその手綱を、『ペガサスの王像に選ばれた王』に預けた。
「もう、いいでしょう。フレイルも、私がそちらに行くことを許してくれるでしょう。」
それは。彼の、後悔なのだと、気が付いた。フレイルとともに死ななかったこと。俺のお守りを続けたこと。それの後悔が、今なお彼にはあるのだと、俺は初めて知った。
父が死んで、ディーノスが死んで10年を超えた。それだけの時間、ずっと友と共に、父と共に逝けなかったことを悔やんでいたのか。俺をいやいや助けていたのだろうか。鎌首をもたげたその疑問は、焦点の合わぬ瞳で続けられた言葉によって示される。
「嫌では、ありませんでした。大事な友の形見。その成長を、その大成を、その目で見ることが出来た。ええ、いい日々でしたとも。」
それでも、後悔は消えない。いくら楽しい今日で、死ななかったあの日の先を生きたところで、友とともに死ぬという誓いを、願いを捨ててしまった後悔が消えるわけがないようで。
「死にたがりだったか、貴様!」
「ヴェーダ。あなたは、ヒツガーが連れてきた、後入りの傭兵団。ディーノスと過ごした私の気持ちなど……あぁ。あなたが、グリッチに向ける感情と、同じものでしょう。」
「……チッ。」
ヴェーダが舌打ちする。理解できたのだろうな、と思った。その表情は忌々し気で、憎々し気で、それでもなお嫌悪できないという表情をしていたから。
「友の息子を、守って死んだ。あぁ。それは、きっと……。」
私という人間にとって。二番目に幸福な死に方でしょうと、アデイルは言い切って。
「ペディア様。せいぜい、良き生を。生きてくだされ。」
それが、俺の第二の父の最後の言葉で、俺を縛るものがなくなった瞬間で。ふっと、俺の自制がぼろ屑の様に吹き飛んだ、そんな気配がした。
ペディアが、息を大きく吸い込み、叫ぶ。喪失による絶叫、憤怒。隠しもしない、出来ないほどの憎悪の念。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
心の高ぶりに反応したのか、胸の奥から、『連隊長像』が輝きながら飛び出してくる。目を眩ませんばかりの輝きが戦場に満ち、力を解放した。ペディアの身体に輝きと力が宿る。『将軍像』の身体強化1.6倍と、『連隊長像』の1.4倍の強化が同時にかかる。
「ヴェーダァァァ!」
『超重装』。70キロ。そしてペディアは、65キロ。総計135キロの巨体が、跳躍によって数メートルほど宙に浮きあがる。
「死ねぇぇぇぇ!」
剣が真っすぐに突き進む。陛下に戴いた剣。銘をイプニファス。意味を、堅実な前進。
名工バーツが組み込んだ、この剣に刻み込まれし魔術陣の効果は。
前進とともに振られた剣の衝撃の倍化、切れ味の倍化、及び、肉体にかかる負荷の軽減。
当たれば、ヴェーダは確実に人間の身体を残さなかっただろう。だが、彼はあっさりとその剣戟を回避し、露出している頭を仕留めんと躍りかかって。
地面に、着陸。剣の発する衝撃が、宙に浮いたヴェーダの身体を吹き飛ばす。同時にペディアの身体も吹き飛びかけ、『超重装』を纏っていたがゆえにギリギリ吹き飛ぶことはなく。
追撃。今のペディアは、異なる『像』の力を重ねがけした今のペディアの身体能力なら、ディールにすら届きうるだけの力を持っている。本人にすら確信がある。そのじゃじゃ馬よりひどいふざけた膂力は、そこに至っている。対するヴェーダは、既に『像』から敵対認定を受け、その加護は体から消え去った身。あくまで自身の身体能力に、『身体強化魔術』のみで、戦っている。
地力の差は、明白だった。それでもヴェーダがペディアに対して真っ向から戦いになっていたのは、ペディアが自分の身体になれていないためだ。
身体能力の、爆発的な向上。それにぴったりと合わせて、体を完璧に操作してのける、そんなことはよほどの天才でも不可能だ。実際、あれほどバンバン『像』の力を発動させているディールでさえ、全力を出すことは基本的にない。
……言うまでもなく。ディールの場合は、エルフィとギュシアールを除いて、全力を出さずとも倒せるゆえに出さない部分も多いのだが。
ペディアは、天才ではない。いや、間違いなく天才だが、ディールたちと比肩するほどかと言われると、違う。
ペディアはあくまで戦術の天才だ。戦闘の天才ではない。ゆえに、こうして戦っているヴェーダと、圧倒的ともいえる能力の差があってなお、ヴェーダには勝利の目があった。
「はああ!」
「甘いわ!」
斬り込み。対して、いなしながら回転斬り。その一撃を『超重装』の胸部分ではじいて、拳を突き出す。
「……ふぅ。」
ヴェーダが一歩離れて息を整えていた。対するペディアはその場で剣を構えて、肩で荒い息をしていた。整える余裕など、どこにもない。
これが、力量差だった。ペディアは慣れない力を使うことに神経を使いすぎて、体力の調整をするだけの余裕すらなく。
ヴェーダは、己と相手の力量差を見た上で、冷静に対処している。
そうすることで生まれる消費体力の差が、こうして息という形で露骨に現れている。対峙する二人も、嫌というほどに理解していた。
「兜を外させたんだが。」
「頭に当たらなければ、死なないと、言うことだろう?」
この鋼鉄の鎧を斬り裂くだけの力は、ヴェーダにはない。それが、この戦闘を成り立たせているもう一つの理由。
そうでなければ、剣術ではせいぜい五段階格の上位程度のペディアと、七段階格、それも上位に類するヴェーダとの戦闘が成り立っているはずがない。
「……まあ。それでも、限度があるさ。」
ヴェーダの呟き。それにペディアは軽く頷く。『像』の異常な能力向上と、それによって鈍重から軽快へ変わった、『超重装』による高威力高速戦闘。
体力すら向上させる『像』の超常的な身体能力の強化は、ペディアの首を完全に絞めていた。
ペディアが動けなくなるのは時間の問題だった。動きが鈍くなれば、それだけで彼はあの世行きだ。
「死んでもらおうか、ペディア=ディーノス!」
そう言って、ヴェーダが駆け始める。瞬間、彼が見ていたのは、対峙する相手ではなく……全く別のモノを見ていた。
俺の視界には、アデイルがいた。ヴェーダが叫んでいるのも耳に入っていたのに、彼に注意すら向かなかった。
ただ、思い出していた。見送る事すら出来なかった、俺を守るために自宅で果てた本当の父。己をかばって刃を腹に銜え、俺の心を慮りつつ死んでいった己の兄貴分。
そして、視界に映る、既に息絶え動かなくなった、もう一人の父。
「父さん。」
腰に、手が伸びる。『それ』を、俺はしっかりと握りしめる。
「ヴェーダ。……お前の負けだ。」
剣を、弾いた。鎧ではなく、剣でもなく、盾で。
『超重装』の楯は一騎討ちには向かない。これほど激しく打ち合う戦に、そもそも『超重装』自体が向かないが……あの巨楯は重すぎて、使えたものではない。最初から、手に取るつもりはなかった。
だから、俺が握っているのは別の盾。これは、父の形見。父が死ぬ前、俺に託した、俺への贈り物の、円盾。
「な、」
「イプニファス!」
踏み出した足が、肉体を前傾にする。『堅実に』『前進』しながら、剣が振るわれる。
ヴェーダの身体が、肩から脇腹へ、一直線に切り捨てられて。
恨み節を言うのは間違いだと思った。彼はきっと、己の本分に準じただけ。仕事をこなしただけだった。だから……恨み言は、彼の勝利宣言を俺がするのと同じに感じた。
「言い残すことは?」
「……あんたが、ペガシャール帝国軍に入らなければ。俺は、あんたを裏切ることは、なかった。」
あくまで傭兵であれば。そう言いたげな声だった。ああ、そうだな。傭兵であれば……『神定遊戯』が起きなければ、きっと俺たちはこれほど後味の悪い離別にはならなかったのだろう。
それでも、世界が戻ったのだ。きっと、出会う場所が違っていても、次期が違っていても。俺は陛下に仕えていた。ディーノスはしょせん、猟犬だったのだ。
「……楽しかったぜ、ペディア=ディーノス。グリッチ様と一緒に過ごした日々も、あんたらと暮らした日々も、楽しかったぜ。……一つ歯車が、違えばなぁ。」
嘘偽りのない言葉だ、と俺は思った。やはり、状況が違えば、俺たちは争うことがなかった。……あるいは。裏切らなくてはならなくなったヴェーダの方が、辛かったのかもしれないと。全てが終わった今だからこそ、思う。
「グリッチ様。……先に、逝っています。」
『赤甲傭兵団』。指揮官を二人喪失。それでも。
「俺が死ぬよりましだった、そう、アデイルなら言うだろうな。」
だからこそ、前を向いた。
「死ぬ気で戦え、負けるなよ!」
「応!!」
『赤甲連隊』はまだ、健在なのだから。




