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現実恋愛

初夏の調べ

作者: 猫じゃらし
掲載日:2021/06/09


決まった音楽はありません。

読者さまの感じる、自然の音で想像してみてください。



 

 すでに黄金色となった麦畑のあぜ道。

 ひたすらにまっすぐなその道を、じめじめとした空気を肌に受けながら歩いていた。


 ザリ、ザリ、と雑草混じりの地面を踏みしめる。

 わずかに上がる息が、暑さのために自らの耳に響いた。


 時折、風が吹く。

 ザァァァっと音を立て、吹き抜ける。


 汗ばんだシャツに心地よい。


 あと伺うのはこの先の、気心の知れた一件のみ。

 医療器具の入った鞄を手に持ち直し、早る気持ちを抑えてシャツのボタンをひとつ外した。



「ごめんください」



 あぜ道を抜けても、周りはやっぱり麦畑や田んぼばかり。

 ぽつんと建つ一軒家は、この辺りでは一番の見事な日本家屋。


 洋式が嗜まれつつあるこの時代だが、それは街の中心地、さらには上流階級だけの話。

 本来はこの家の主人もそちらの人間。だけど、こうして田舎に根を下ろすのにはちゃんと訳がある。



「いらっしゃい。若先生、お待ちしてましたよ」


「どうも。遅くなりまして」



 出迎えてくれ女性は自分の母ほどの歳。

 若草色の着物に割烹着姿で、「暑かったでしょう」と綺麗な手ぬぐいを差し出してくれた。

 遠慮なく受け取り、上がり(かまち)に腰掛けて汗を拭った。


 女性は隣に膝をつく。



「本当は昼前には来たかったんですが」


「またお見合いでも?」


「まさか。今日は違いますよ」


「ふふ。若先生は全部お断りしていると聞いていますよ」


「うちの母にですか」



 ころころと笑う女性は手ぬぐいを受け取ると、とぼけて小首を傾げてみせた。

 幼少期から家族ぐるみの付き合い。家は離れてしまったが、今でもこうして交流があるのだ。


 女性は楽しげに「先にお茶でも?」と奥の部屋へ目線を流した。

 僕はそれを丁重に断る。



「いえ、先に診察を。そのあとで話があります」


「あら。なんのお話でしょう」


「縁談の話です。やっと父から独り立ちを許されました」



 まぁ。笑いを収めた女性は、口元に手を添えて目を(しばたた)かせた。



「独り立ちということは、開院なさるの?」


「はい。父とは離れ、僕の院を開きます」


「おめでとうございます。やっとですね、若先生」


「ありがとうございます。皆さんのお力添えあってのことです」


「若先生の実力ですよ。それで……縁談というのは?」


「はい。……伽耶(かや)さんに」



 あらあら。まぁまぁ。

 女性は嬉しそうに微笑んだが、すぐに取り直す。

 ひそめた声は、件の本人(・・)を慮って。



「よろしいの? 若先生なら他に見合う方がいるでしょう。それに、先生(お父様)も」


「父は独り立ちすることで黙らせました。といっても、見透かされていましたが。ちゃんと背中を押してもらえましたよ」


「でも。伽耶は虚弱ですし、目が……」


「だからこそ、僕が側にいれば安心でしょう? おばさん(・・・・)



 晴れて、一人前の医師になりましたから。そう付け加えて。

 女性は納得して、頷いた。



清志郎(きよしろう)さん。娘のこと、よろしくお願いしますね」


「振られないといいのですが」



 僕がそう言うと、女性はまたころころと笑った。




 ❇︎❇︎❇︎




「身体の調子はどう? 伽耶」



 畳の和室。

 縁側の板戸は開け放たれ、風が吹けばそよそよと部屋に涼しさが入り込む。

 見える庭にはツツジの花が鮮やかに色づいていた。


 布団の上で上半身を起こした彼女は目を閉じたまま、うっすらと笑んだ。

 陽に当たることの少ない彼女はとても肌が白く寒々しく見える。

 そばに置いてあった薄羽織を肩にかけてやると、「ありがとう」と言った。



「最近は調子がいいの。朝晩は冷える日があるけれど、特に悪さをしないみたい」


「そう、良かった。胸の音も問題ないよ」



 発作が起きるとゼィゼィ、ヒューヒューと音を鳴らす。季節の変わり目に多い。

 初夏に入った今から秋にかけては寒暖差もひどくなく、発作は少ないだろう。


 聴診器を鞄にしまい、傍に置いた。



「調子がいいのだから、梅雨が来る前にまた、お散歩をしたいわ」



 閉じた目のままで彼女は庭に目を向ける。

 期待を込めたその横顔に、僕は小さく笑いを漏らした。


 これは、連れて行け、ということ。



「ご要望のままに。僕も伽耶に話があるんだ。行こうか」



 驚かせないようにそっと手を取り、僕は彼女を立ち上がらせた。

 道すがら、くすくすと彼女の母親であるおばさんの視線を受けながら。


 外へと、手を引いた。



「風が気持ちいいね」



 あぜ道よりも(なら)された、歩きやすい道。

 彼女が足を取られないように、ゆっくりと前を歩いた。


 横から吹きつける風に目を細め、振り返ると、彼女は頰にかかる髪を手で押さえていた。


 歩みが止まる。



「何か、聞こえたかい?」



 目を閉じたまま、彼女は風の吹きつける方向へ体を向けた。

 はためく髪が僕の肩をかすり、彼女との近さを表す。



「麦の穂がぶつかり合って、風の音になってるわ」



 風が吹く。

 遠くからだんだん近く、ザァァァっと音が駆け抜けていく。

 波打つ黄金色の麦畑は太陽の光を反射し、さらに黄金を増して輝いた。

 音が、遠ざかっていく。



「ツバメが飛んでいるのね。カエルの鳴き声も、たまに聞こえる」



 ちゅぴちゅぴ、ちゅぴちゅぴ。

 麦畑の上を低く飛び交うツバメ達は弧を描き、僕らを越えていく。

 ちゅいっ。

 最後にそう鳴いて、遠く遠くを目指していく。



「初夏の麦畑。黄金色に輝いて、その中に青紫やピンクの花も咲いているの。つがいのツバメがさえずり合いながら飛び交って、高くなった空を目指していく」



 彼女は僕を振り向き、はにかんだ。



「私の音で感じる風景はそんな感じ。清志郎さんの目に映るものと、違う?」


「同じだよ。だけど、きっと伽耶のほうが綺麗に映してる」



 見慣れた麦畑。

 風の音が麦の穂のせいだなんて、考えたこともない。

 合間に顔を出す色とりどりの花や、カエルの鳴き声。

 弧を描いて飛ぶツバメのさえずり。


 音として風景に捉えるには、僕には当たり前すぎて。


 儚くも逞しく存在感を放つ、全ての命たち。

 彼女の中で輝き、美しく芽吹く。

 それを美しいと愛でる、彼女だからこそ。


 僕は。



「あなたが好きなんです」



「えっ」と、たじろぐ彼女の手を逃さないように捕まえて、僕は続ける。

 ずっとずっと聞きたかったこと。我慢して、ようやく聞くことができるようになった今。



「あなたの心に、僕はどう映っていますか?」



 ふんわりと。

 彼女に、ツツジ色が花開く。






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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱイイっすね。 今の季節に読見直すと また 好い [気になる点] 最近そこかしこで話題の企画 仙道企画その1  主催者様のオリジナル音源インスピレーション 真っ先に この話を 思…
[良い点] わたしは特に映画とかで思うのが、お話を作るときのきっかけとして、『セリフを魅せるため』というのがあると思うのですが、まさにこのお話はその『セリフを魅せる』にピッタリの、クライマックスへの持…
[一言] なんてステキなお話でしょう。 これこそ、キュンとするお話と言うのですw 決まった音楽はない、とのことですが、豊かな『音』を感じます。 読み終わって、外で風に吹かれてみたくなりました。 ただの…
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