乙女ゲームの世界なので、バレンタインがあります【6箱目】
決してやましいところがあるわけではない、と魔王は珍しく弁解めいたことを言った。
「ただ君が気にしたらめ――悪いと思って」
「今、面倒って言おうとしませんでした?」
ぎろりとにらんでもクロードは椅子に座っていつもの端正な顔を崩さない。だが、足元ではたまにそわっと小さな竜巻が発生しては消えている。落ち着かないらしい。
婚約者の真正面にアイリーンは仁王立ちする。
「クロード様。言っておきますけどわたくし、朝訪ねたらあなたの寝室で裸の女性が二、三人転がってても驚きませんわよ」
「そこはさすがに驚いて欲しい」
「とにかく一番駄目なのは隠すことです! いいですか、婚約者がいるというのにこの山!! これはわたくしへの挑戦状です!」
びしっと指差した先には、クロードが先程魔力でどこぞに隠したチョコレートの山が再出現している。
色とりどりの可愛いリボンで飾られたもの、高級紙でしっかりと作られた菓子箱、かと思えば手作りの素朴な包装紙に包まれたラッピングと、まったく均一性がない。チョコを練りこんだ菓子パンとかまである。
(年代層がまったく読めないわ!! 階級も!)
その山をアイリーンに呼び出された面々が仕分けにかかっている。
苛々とアイリーンは両腕を組んだ。
「いったいどこでこんなにもらってきたんです、クロード様」
「道を歩いているともらえる」
「どんな道ですかそれは!」
「皇都の下層ですよ、アイリーン様。毎年こうなんです。何せお忍びでやってくる可哀想な皇子様ですから、みなさん気を遣ってくださってね」
ひょいひょいと手馴れた様子で仕分けているキースがそう答えた。そのキースの指示に従っているウォルトが納得したように相槌を返す。最初のこの山を見たときは、比較にもならない自分との差に傷ついた顔をしていたが、立ち直ったらしい。
「確かに皇都の下層に顔を出すと行く先々で色々もらってるねークロード様って」
「きちんと食べているか年配の方によく心配されていたな、そういえば」
「小さい頃から遊びに行ってますから。っていうか私めが『この顔が何かしたら森の廃城までご連絡ください』って挨拶して回ったことありますからね……」
遠い目で笑うキースの苦労がしのばれる。
嘆息したクロードは深く腰掛けて、長い足を組んだ。
「皆、僕の正体も知らず親切で、バレンタインはくるように言われるんだ」
「……」
みんな正体を知ってるだろうと指摘しても無駄なので、誰も言わなかった。
きちんと説明する気になったのか、頬杖をついてクロードが続ける。
「お礼に魔物達に頼んで屋根を夜のうちに修繕したり畑の害虫の駆除をしたり、色々していたらどうしてだかどんどん数がふえて……」
魔王様が小人さんか妖精さんになっている。
「最近は願い事や困り事、相談事が入っていることも多くてな。あとで目を通すから破棄しないよう気を付けてくれ。大事な国民たちの声だ」
「クロード様……」
思わぬ話に瞠目していると、ジャスパーが苦笑い交じりに言った。
「……どーりで下層の奴らほど魔王様を支持するわけだよ。こんなことされちゃな」
第五層、つまり下層出身であるリュックが首をかしげた。
「でも僕らはそんな話聞いたこと……あ、女性限定ですかもしかして」
「バレンタインだからなー。この編み物とか絶対おばあちゃんの手作りだろ。……おい魔王様、入ってる手紙って俺らもチェックしていーの?」
アイザックが封筒の入った手紙をひらひらさせながら尋ねる。クロードは頷いた。
「かまわないが、手伝ってくれるのか?」
「オベロン商会のいい情報源になる。じゃ、手分けするぞ。各自贈り物の中身と贈り主をメモして手紙とまとめること。手紙の中身で緊急性高いものはこっちの箱な。アヒル戦隊も手伝えー」
「誰がアヒル戦隊だ!」
「アヒル戦隊とはなんだ?」
怒るゼームスの横でベルゼビュートが首をかしげている。
オーギュストが笑った。
「俺もちょっとだけなら手伝う。これ、こっちでいいのかなキースさん」
「はい、ほんと助かります。毎年この量なんでねえ……」
「……お返しはしないのか? 花を用意するくらいならできるが」
クォーツの提案に答えたのはリュックだ。
「試薬なんかもいいかもしれないですね。苦情が出にくい」
「それは人体実験なのでは……?」
「はいはーい、魔王様、このチョコとかプレゼントはどうするんですか?」
「もらったものは孤児院に寄付してる。大事に扱ってくれ」
返事をもらったドニがはーいとまた元気に返事を返す。
手際よく作業を始めた皆を見ながら、クロードがつぶやいた。
「チョコやプレゼントを楽しみにしている子供たちも多くて、それを思うと……今年は君がいるというのに断れなかった。すまない、アイリーン」
「いっいえっ!」
不意をついた誠実な謝罪に、アイリーンはあわてて首を横に振る。
ちょっともじもじしてしまった。
この大量のチョコレートに思うところがないと言えば嘘だ。最初は体育館裏に呼び出してやろうかとも思った。けれど、今は。
「……クロード様のなさってること、とてもご立派だと思います。わたくし、誇らしく思いますわ」
「そうだろうか。不義理だと君に呆れられてしまったのでは」
「そ、そんなことありませんわ! わたくしだってクロード様以外の男性に配り歩いてましたし……」
そう考えるとわめいてしまったことがなんだかいたたまれない。
だがクロードは何もかもきちんとわかっていると言わんばかりに、優しくアイリーンを見つめる。
「大丈夫だ。僕は君が誰より一途な女性だと知っている」
「クロード様……」
「おい人前なんだけど」
「言っても無駄ですよ、アイザック様。あれ僕らに見せつけてるんでしょ」
「……だろうな」
「そ、そうですわ、忘れかけてました。わたくしもクロード様にチョコレートケーキを用意したんです」
この騒ぎで放置してしまった大本命のチョコレートケーキが入った箱を胸に抱き直す。ちょっとどきどきしながら、クロードを見つめた。
「その……たくさん他にもチョコがありますけれども、受け取っていただけますか?」
「もちろん。それは僕がきちんといただこう」
「て……手作り、なんですけれども……」
クロードは今までアイリーンが手作りしてきた菓子を食べたこともある。けれどチョコレートケーキだけは、手作りだという自己申告に勇気が必要だった。まさかクロードが疑うわけがないとわかっていてもだ。
立ち上がったクロードがふわりとアイリーンを抱き上げる。ぱちぱちまたたいていると、クロードがとろけるように甘い笑みを浮かべた。
「お菓子作りのうまい婚約者を持って、僕は幸せ者だ」
うまく言葉を返せずに、アイリーンは頬を赤らめる。
チョコレートのように苦さを少しだけ残して、過去が甘くとけていく。
「クロード様、わたくし、あなたのことをあ――」
「アイリーン様ーこの手紙、『婚約破棄して』って書いてありますけどどうしたらいいですかー?」
「ドニ、お前このタイミングで!?」
「わざとなのか!? 素なのか!?」
「えーボクわざとそんなことしませんよーアイザックさんやリュックさんじゃあるまいし」
ぷくっとふくれるドニに皆が驚愕する中で、アイリーンはゆっくり振り向く。
こんな素敵な男性の妻になるのだ。もちろん、優雅な微笑みは絶やさない。
「その女の名前は?」
「えーっとむぐ、なにふふんでふかひゃふぱーはん」
「空気読もう若者よ! な! おじさん寿命縮んじゃう!」
「まあいいわ。ジャスパー、あとで徹底的に素性を洗いなさい。クロード様」
「な、なんだ」
「その女性にはわたくし直々にホワイトデーのお返しを選びます、よろしいですわね」
返事などいらない。決定事項だ。
にっこり笑ったアイリーンに、クロードが嘆息を返した。




