乙女ゲームの世界なので、バレンタインはあります【1箱目】
◆3/1『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』2巻発売御礼挿話◆
副題「ホワイトデーまでならバレンタインネタは許される」
よく考えたらカカオは貴重なはずではなかったか、と甘ったるいチョコレートのにおいが充満するドートリシュ公爵邸の厨房でアイリーンはふと思った。
つまりチョコレートも貴重品。本来なら上流階級の人間くらいしか手に入れられないもの――なのだが、庶民にまでバレンタインデーが広まっている世界とは一体どういうことか。
(恐るべき、乙女ゲームの世界)
そうは言ってもそういう習慣があるのだから仕方ない。そうなると楽しんだもの勝ちである。大体、アイリーンだとて前世の記憶なんてものが戻る前は、当たり前の行事としてこなしていたのだが、今更疑問を持つのも馬鹿馬鹿しい。
「アイリーン様。準備万端ですね」
「ええそうねレイチェル」
二人の目の前に広がるのは、チョコレートの山。アイリーンとレイチェルの力作が勢揃いだ。
自分の作ったトリュフを厚紙で作った紙コップに入れて、それをまた大きな籠に入れたらさあ出陣だ。今年は人数が多い。
アイザック達古株の仲間はもちろん、アヒル戦隊の仲間も増えた。ベルゼビュートやキースにも用意するのは当然のこと。
(だってわたくし、クロード様の婚約者ですもの!)
今年は相思相愛の婚約者と初めて楽しむバレンタインだ。気合いも入る。
そしてレイチェルのことも忘れてはいない。二人で作った小さめのハート型のチョコレートケーキは、女子だけの最後のお楽しみにする予定だ。
「皆に配り終えたら食べましょうね」
「はい、アイリーン様」
「そういえばレイチェル、あなたアイザックの分は? それ全部、本命に見えるけど義理チョコじゃ……」
レイチェルが用意しているチョコレートは、ものの見事に同じものばかりだ。一つ一つ丁寧にラッピングされており、どれも本命チョコに見えるのだが、全部数も大きさも同じである。
ああとレイチェルは微笑んだ。
「そんな、アイリーン様。私とアイザックさんはそんなんじゃないんですよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「だからみんなと同じでいいんです。アイザックさん、私の気持ちを察してる節があって……」
アイザックは観察眼が鋭い。それはあるかもしれないと考えこんだアイリーンの前で、レイチェルが唇だけで笑った。
「だから本命がくると警戒してる今、どう見ても皆と同じ義理チョコをわたして惑わせるのが効果的です」
さすが2の悪役令嬢。意外と純情なアイザックが巧妙な恋の罠に落ちる日も、そう遠くなさそうである。
■
レイチェルと別れたアイリーンがまず向かったのは、受験勉強で死んでいるオーギュストとゼームスの元だった。
「だからお前はどうして間違っていることを覚えているくせに正解を覚えないんだ!」
「駄目だ死ぬ……もう駄目だ、俺は駄目だ……」
「ふふ、休憩にしない? 二人とも」
部屋をのぞきこんだアイリーンに気づいて、オーギュストがぱっと顔を上げた。
「チョコのにおいがする……ひょっとしてバレンタイン!?」
「正解」
「やったー! 休憩しようゼームス!」
「お前な……」
「いいじゃないの。糖分を補給すれば効率があがるわよ」
そう言ってアイリーンは一つずつトリュフを二人の前に置いた。小さな箱に入ったトリュフにオーギュストが目を輝かせる。
「すげっ手作りだ!」
「二人ともまだ付き合いだして一年目だから一つだけ。来年は二つよ」
「子どものお菓子か。まあ、これならクロード様ににらまれることもないだろう」
ぽいとトリュフを一つ放り込んだゼームスに、アイリーンは笑う。
「あら、クロード様にきらわれたくないのね?」
「……ッ別に、そういうわけでは」
「ゼームスは魔王様のことすっごい好きだもんな!」
「オーギュスト、お前この問題集今日中に終わらせろでないと殺す」
「えっなんで!?」
「しょうがないわね。可哀想なオーギュストにはサービスしてあげるわ。はい、あーん?」
オーギュストはきょとんとしたあと、アイリーンの指先からトリュフをつまみ取る。
まばたきするアイリーンの前で、にっと笑った。
「俺、そういうのは両思いの女の子にやってもらう」
「――いいわね、素敵だわそういうの。でも聖騎士団に入って女の子をたぶらかしては駄目よ?」
「そんなの俺ができるわけないじゃん」
「……どうだか」
呆れたようにつぶやいたゼームスはきっと正しい。
そもそも『聖と魔と乙女のレガリア2』のメインヒーローで、聖騎士になるはずだった人物である。恋愛がらみの騒動を起こすことなく、可愛くて素敵な彼女でも見つけて欲しいのだが、難しそうだ。
「じゃあわたくしは他もまわらないと行けないから」
「ん、いってらっしゃい」
「……クロード様をあまりわずらわせるなよ。そわそわしてらっしゃる」
心配性なゼームスには笑顔だけ返しておいて、アイリーンはきびすを返す。
それを見送ったあとで、オーギュストがぼそりと尋ねる。
「ずっと聞きたかったんだけどさー、ゼームスってアイリのこと好きだったりする?」
「魔王に喧嘩を売るほど子どもじゃない」
「うっわあれだけ魔王様に反抗してたくせによく言う……」
「うるさい。そういうお前はどうなんだ」
「んー……どうなんだろうな。好きってことなのかな。でも違う気もする」
「……とりあえず面倒な女にはひっかかるなよ、助けないからな」
オーギュストはぽいともらったトリュフを放り込む。
いつかチョコレートが甘いだけの日はくるだろうか。
■
廊下に出てすぐ、曲がり角で出会ったのはジャスパーだった。
「ちょうどよかったわ、ジャスパー。あなたとのつきあいは……四年目ね。はい、チョコ四つ」
「お、バレンタインか。いや嬉しいねえ、もうこの年になるとこんなイベントもほど遠くなっちまうからなあ」
ははは、と笑うジャスパーにアイリーンはつい言ってしまった。
「あなた、誰かいい人はいないの?」
「オジサンは若い頃の心の傷が癒えてないんだよねえ」
「よかったら紹介するわよ、というのは――余計なお世話のようね」
ジャスパーの瞳の中に見て取れた愛惜の色に、アイリーンは瞳を一度伏せる。
そこそこに長い付き合いだ。何も語られなくてもわかるものはある。
「……一つだけ聞いていいかしら? あなたにそんな心の傷を負わせた悪い女はどんな人?」
「そーだなあ。アイリーンお嬢様に似てるかも?」
「なら美人ね」
おどけたジャスパーに合わせて、アイリーンも笑い返す。
ぱくりとジャスパーが一つ、トリュフを食べたのを見て、一歩下がった。
「他にもまだ配らないといけないから行くわね。味わって食べてちょうだい」
「お嬢様、一つ警告しとくけどな。魔王様だけは怒らせるなよ」
「クロード様はそんな心の狭い方ではなくってよ」
ふふんと笑って、手を振り、廊下の奥へと向かう。
トリュフを一つ、人差し指と親指でつまんで、ジャスパーはつぶやいた。
「……あと十歳若かったらなあ、とは思わないでもないけど……魔王様だもんなー。勝負になんねーわ」
それに十歳若くても、自分は同じ選択をしただろう。
だからきっとあの人と同じように、アイリーンの幸せを自分は願うのだ。




