魔王様と新しい護衛たち 其の七
例の屋敷が炎に包まれたという報告に、会議室の緊張がほっと緩んだ。
ミルチェッタ公国内の司教達が一堂に会する部屋で、銀の燭台が揺らめき、聖職者たちの影を伸ばす。
「では魔王はどうなった?」
「そちらはわかりませんが、ウォルトとカイルは確実に処分されたでしょう。すさまじい爆発でしたので」
「そうか……しかしあれほどの逸材を育てるのにまた何年かかるか」
「だからこそ、魔王のそばに置くわけにはまいりますまい。あの二人自身、色々知りすぎている」
「おやおや、情のないことだ。カイル・エルフォードはあなたが自ら育てておられたんでしょう。エルフォード司教」
わざわざここまで様子見にやってきた隣の司教の皮肉に、ゆっくりと笑みを深めた。
「教会のためです。あの子だとて理解しているはずですよ。そう育てたのだから」
それに彼はもう、十分に役立ってくれた。ゆっくりとほくそ笑む。
(これで私が枢機卿になる話は、滞りなく進む)
優秀な“名もなき司祭”を育てた功績だけではなく、それを手ごまにすることでさらに地位をのし上げた。
ウォルトの後見であるリザニス枢機卿は昔から後見とは形だけでウォルトを放置しており、“名もなき司祭”の一人としてしか扱ってこなかったため、今回の問題が責任問題になる可能性は少ない。今夜の件も教会の規則にのっとって処分すればいいと、処分結果を確認するそぶりもなかった。
だが自分はカイルを手駒にするため、息子のように扱っていた。もし魔王にカイルを使われでもしたら責任問題になる。ここまで築いた地位が一気に崩れ落ちる。それだけはさけなければならなかった。
それにあと、カイルは使えて、二、三年程度だった。
“名もなき司祭”の寿命は平均して二十歳、長生きできてせいぜい二十五歳前後だ。それも後半は廃人同然で使えない場合が多い。過剰な魔香の摂取の代償だろう。
そういったもろもろの事情を換算すれば、教会に害をなす前に処分してしまうのが正解だった。
もちろん、惜しむ気持ちはある。
大事に育てた、優秀な道具だったのだ。魔王にさえ目をつけられなければ、あともう少し使えただろうに――そうため息をついたその時、雨も曇りもない空にかっと稲妻が走り、衝撃が落ちた。
「な、なんだ? 落雷か?」
「どこに落ちた」
「みなさん、落ち着いて。ただの雷で――」
頭上に光が落ちた。爆音と一緒に、大聖堂のアーチが吹き飛ぶ。爆風が燭台の蝋燭の火を一気に吹き消した。
「夜分に失礼する」
ごうごうと鳴る風の中で、声が響いた。
しびれる鼓膜にもよく通る声だ。かすむ瞳を開く。半壊した天井から黒髪とマントをなびかせて、降りてくる人物がいた。聖職者たちが着席している長机にかかった真っ白なテーブルクロスが、土足で踏みつけられる。
雲一つない夜空の稲光に、煌めく赤い瞳。
「魔王……!」
「なぜ、ここに」
「私の護衛の処遇について話があるというので待っていたのだが、待ち合わせ場所の屋敷が爆発してしまったので、こちらに直接お邪魔することにした」
「カイル……ウォルト・リザニス……!」
その魔王に続いてテーブルの上に立った人物の名を思わず呼ぶ。
どうして二人とも生きている。だが、魔王はそんな凡人の疑問に答えず、周囲をぐるりと見回した。
「エルフォード司教はどなただろうか」
ひっと喉が鳴った。それが聞こえたのか、魔王が長テーブルの上をまっすぐ歩いてくる。
銀の燭台が倒れ、テーブルの上にあった食器が落ちて割れる。魔王が歩くたび、その両脇の席につく司祭や司教が腰を浮かせ、あるいは腰を抜かして尻餅をついた。そんなものに一切目もくれない。
そして上から、自分を見下ろした。
「ご挨拶が遅れてしまって申し訳ない。これはつまらないものだが、もらっていただこう。おすすめだ」
魔王の手からふわりと焦げた箱が浮く。拒むまもなく、その箱は立つこともできないエルフォード司教の膝の上に落ちた。
「ところでカイルとウォルトだが、何故か突然爆発しそうになったので、教会がかけていたであろう魔法を書き換えておいた。教会でも魔法は記述を間違うなどということがあるのだな」
「ま、間違い……?」
「まさか私の護衛を無断で爆発させようとしたりするわけがないだろう?」
かっと魔王の背後で稲光が光る。逆光で表情が読めない。ただ赤い瞳が月のように笑って見える。
「それで本題なのだが、カイルとウォルトを改めて私にくれないだろうか?」
「……」
「わかっている。だが彼らを“名もなき司祭”から除籍していないのは困るな。もちろん教会は彼らの実家のようなものだと思っている。里帰りもさせよう。自由に教会に出入りもさせてやって欲しい」
「……な、ん――」
「ありがとう。あなたはカイルを慈しんでくださったと聞いている。気にしなくていい、こちらがすべき当然の配慮だ。ただ、彼らの命令権と命は私のものだと覚えておいてくれ」
そんなことを許可すればただの間諜だ。そう言いたいが、圧を増した魔王の赤い瞳に舌がもつれて動かない。
「わかっていただけて嬉しい。安心してくれ、カイルもウォルトも大事にする」
「……一応つっこんどきますけど、クロード様、さっきから会話になってませんよー……」
「僕には心の声が聞こえている。それともまさか拒否するのか?」
瞬間、再度雷が落ちた。そのまま立て続けに、建物の周囲を囲むように稲妻が走り続ける。
目の前の魔王が、平然とひとりごちた。
「ああ、今日は変な天気だ。早くおさまればいいのだが」
悲鳴や椅子から転がり落ちる音があちこちから聞こえた。だが魔王はまるで何も聞こえていないかのように、ただ返答を待っていた。
この周囲が焼け野原になっても、同じ顔をして、返事を待つのだろう。
腹を決めたのは、その瞬間だった。
「お……仰せの、ままに」
「いい育て親を持ったな、カイル」
魔王から視線を動かすと、カイルは一瞬だけ瞳を細めた。が、すぐに目を伏せて、答える。
「ご理解くださって有り難う御座います、司教様。安心してください。俺はクロード様に誠心誠意、お仕えします」
「……カ、イル……お、お前、死に損なったうえに私を裏切るのか!? 育ててやった恩も忘れて!!」
カイルが答える前に、雷がまっすぐに目の前に落ちた。
一瞬で心臓がすくみ上がり、喉が干上がる。恐る恐る見上げた魔王が、初めて笑った。
「こんな言い方をすると傲慢だと言われそうだが――私はいつまで立たされたままでいなければいけない?」
魔王が見ている椅子は、この場で一番高位の者が座る場所。
今、自分が座っているこの椅子だ。
それを自ら譲れと、その赤い瞳が語っている。いや、譲らないわけがないと笑っている。
ぐっと拳を握った。震える唇で、応じる。
「――失礼しました。こちらへ、どうぞ」
「ありがとう」
エルフォード司教から椅子を譲られた魔王が、ゆったりと腰かける。テーブルから飛び降りたウォルトとカイルがその両脇をそれぞれ陣取って立った。
「さあ、色々話そう。私は教会と仲よくしたいと思っている、私の許容範囲内で。そうだ、リザニス枢機卿にもあとでご挨拶に行かねばな。先触れを出しておいてくれ」
魔王の言葉に、それぞれが息を呑んだり顔を見合わせたりする。
エルフォード司教はうなだれ、拳を握った。リザニス枢機卿も同じように巻き添えになるのが、せめてもの救いだろうか。いやそれで終わるわけがない。
教会の夜は、まだ明けそうにもなかった。




