魔王様と新しい護衛たち 其の五
「あれで大丈夫だろうか……」
「あら、何か心配ごと?」
ひとりごとが漏れてしまったらしい。アイリーンが衝立の向こうから声をかけてくる。
魔王と教会の密談まであと数時間。だが魔王の命令で、アイリーンにそれを教えることはできない。
新しく仕立てられたばかりの服に袖を通し、カイルは衝立の内側から出た。
「いや、なんでもない。――サイズは問題ない、ぴったりだ」
「そのようね。似合っていてよ。わたくしの見立てに間違いはなかったわ」
にんまり笑うアイリーンに居心地の悪さを覚えながら、カイルは自分のために用意された衣装を見下ろす。クロードの護衛用にとアイリーンが特注で仕立てさせた服だ。護衛ということは夜会や社交の場にも顔を出すことになるため、ウォルトと並んだ時対称になるようドニにデザインさせ用意したらしい。
皇太子の護衛ということで騎士服に近い形になっており、短いがマントまで使われている。使われている衣も一級品だ。見せるための衣装にカイルは困惑する。
「しかしこういう衣装は、護衛として違うだろう。目立つ」
「目立たせているのよ? ふふ、クロード様と並べてゼームスとオーギュストも置いたらほぼ系統は押さえたも同然……! さすが乙女ゲームの攻略キャラ、これで今季の夜会はもらったわ」
「……なんの話だ? とにかく護衛は目立つべきではない」
「なにを言っているの。あなた達がかすんでいたらクロード様が一人で目立つだけでしょう。あなた達も目立ってクロード様を少しでもかすませてちょうだい。あの方は単品で置いておくと手がつけられないの」
「そ……そう……だな……?」
妙な説得力にのまれて、半分同意してしまった。ずいとアイリーンが近づいて、下からすごむ。
「教会のやり方とうちは違うわ。あなたはクロード様の護衛。だからみっともない真似は許されないのよ。あなたの一挙一動がクロード様の評判にかかわる。わかっていて?」
「……わかっている、つもりだ」
「ならいいわ。クロード様と一緒にあなたたちも表舞台に立つことが多くなるでしょう。色々と振る舞いには気をつけて。特に女性関係」
「女性関係!? 俺がか!?」
仰天したカイルに、アイリーンが両腕を組む。
「そうよ。ウォルトは手慣れていそうだけれど、あなたは心配だわ。ころっとひっかかりそうね」
「な、な、な……し、失礼だろう! 俺は、お前より年上なんだぞ」
「だからなんなの。わたくしがちょっと着飾ったくらいで口をあけて呆けていたじゃないの」
「あれは不意打ちだ!」
真っ赤になって言い返すと、アイリーンが髪をはらってはっと笑った。
「あんな程度の揺さぶり、皇都の令嬢にとったら基本の手練手管よ」
「男だと偽る令嬢が皇都では基本だとでも……!?」
絶対にそれはない。カイルの指摘はさすがに痛かったのか、アイリーンはこほんと咳払いをして誤魔化そうとする。
「それはともかく。わたくしは確かに美人だけれど、絶世の美女というわけではないのよ。見た目にだまされないよう――」
「そんなことはないだろう、お前は綺麗だった」
アイリーンがぱちりとまばたいた。
言ってしまってから、カイルはやや斜めに視線をそらす。
「皇都のご令嬢というものを、俺は知らないが。お前はその……美しい、と俺は思う。宝石のようだ」
「……」
両腕を組んで仁王立ちしたまま、アイリーンはしばらく考えこんで、それから小さく笑った。
「認識を改めるわ。カイル、あなた実は悪い男ね? そうやって女性をだますのが手口というわけ」
「失敬な。俺はウォルトのようにいい加減なことはしない」
「あら、ほめているのよ? 素敵な口説き文句だったわ、ありがとう」
悪い男と言いながらふふっと笑う彼女が心乱れた様子は少しもない。魔王に可愛いとささやかれるだけで逃げ出さんばかりにうろたえるくせに。
「基本の護衛用の衣装はこれとして、他にもいくつか仕立てるわね」
「まだ作るのか? 無駄ではないのか」
「無駄なんてことはないわ。何度も言うけれどあなたはクロード様の護衛。大事な仲間よ」
「……大事な仲間」
聞きなれない言葉を、思わず繰り返してしまう。アイリーンはそうよ、と笑った。
「アヒルの着ぐるみで結ばれたね」
「……あの一件はなかったことにしたい」
「過去はなかったことにはできないわ。潔く未来に向けてたくましく生きなさい」
まるでカイルの迷いを見透かしたように、アイリーンがそう言い切る。
もし、今日の密談で魔王と教会の関係が変化したら、自分の立ち位置も変わる。
カイルとウォルトへの暗殺の密命を教会側が魔王に告白するかどうかはわからないが、命令が撤回されるならカイルは教会側に戻る可能性は大いにある。それに命令内容を知れば、クロードが自分たちを手放したがるかもしれない。
不意をついたようにちくりと胸が痛んだ。
なんだろうと思ったけれど、深くは考えないことにした。それより目の前の仕事だ。
「カイル、時間だよ。クロード様がお待ちだ」
「……ああ」
「あら、クロード様とおでかけ? ずいぶん仲良くなったのね」
密談のことを知らないアイリーンが首をかしげる。呼びに来たウォルトが笑って誤魔化した。
彼女には密談のことを知らせないのは魔王の命令。けれど、心の奥底にはカイルの――護衛の、ささやかな誇りと優越感もある。
「うん、いつもの気まぐれなお出かけ。事前申告してくれるようになってくれただけマシなやつね」
「完全にあなた達に甘えているわね、クロード様。キース様がぼやいてたわ、最近『ウォルトとカイルを連れていくからいいだろう』って言われるって」
「……俺達は魔王の護衛であっておもり役ではないのだが」
思わずぼやいたカイルに、ウォルトが肩をすくめて同意を示す。
二人並んだ姿を見て、アイリーンが目を細めた。
「ふふ、二人並ぶと一層素敵ね」
思わず目を合わせたあとで、ウォルトが茶化そうとした。
「なら今度デートとかどう、アイリちゃん」
「クロード様を出し抜ける見込みがあるなら、つきあってあげるわ」
「その前に消されるんじゃないのか」
「クロード様はそんなことなさらないわ」
そうだろうか。という疑問は呑み込んだ。多分、ウォルトも。
あの魔王は器が大きすぎて、邪魔な存在は物理的になかったことにしかねない気がする。
「そもそもあなた達がいなくなったら、一番悲しむのはクロード様よ。わたくしだってとても困るもの」
そう笑う彼女は気づいているだろうか。
(……そう言って俺達を迷わすお前自身が、悪い女だろうに)
もし密談がうまくいかず、魔王を殺せと命じられたら自分はどうするだろう。
アイリーンの嬉しそうな笑顔を振り切って、大事にすると言ってくれた魔王の背中に、刃を向けられるだろうか。
そんな今更すぎる疑問など、密談の始まる十分前に考えることではないのに。
「土産のシュガークッキーは喜んでもらえるだろうか」
「クロード様……普通そこはこう、絵画とか宝石とか高価なものを用意するもんじゃないですかね……?」
「それでは平凡だろう」
「あ、一周回って非凡になるわけですか。うーんその発想はなかった……」
「シュガーがおすすめだと言っていた。異議は一切認めない」
時折見せる魔王らしい暴虐さを発揮しながら、案内されるまま屋敷の応接間に入る。十人は座れるだろう長いテーブルの一番奥の暖炉では、赤々と火が燃えていた。誰もいないがきちんと手入れされている部屋に案内係の少年が通してくれた。
「こちらで、お待ちください」
「わかった」
案内係の少年が下がり、広々とした応接間にはクロードとウォルト、カイルだけが残される。
待たされることになったクロードは気を悪くするでもなく、一番奥の席に座り肘掛けに頬杖をついて目を閉じていた。しばらく、かちかちと柱時計の秒針が音を立てていたが、待ち合わせ時間を知らせるように鐘が鳴り始める。
その、瞬間だった。
「――!?」
自分の首元に異変を感じて、喉を押さえる。何が起こったか理解したのは、同じように喉を押さえたウォルトと目があった時だった。
それは、自分達が道具だという証。
いざという時、自爆するための魔法が“名もなき司祭”の首には組み込まれている。魔香に侵された分だけ蓄積した魔力を爆発させ、周囲を吹き飛ばす人間爆弾になる。それが今、強制的に発動させられた。
足が絨毯に縫い付けられたように動かない。柱時計の音に捕縛の魔法でもしかけてあるのだろう。鐘が鳴るたび、指が、腕が、動かなくなっていく。ただの道具に変わっていく。おそらくウォルトも。
ここへおびき出した魔王を屠るために。
(ああ、俺は司教様に切り捨てられたのか)
必要ならばいつだって使い捨てられる覚悟はしてきた。そういう風に育てられたのだから、そういう風に死ぬのだろうと思っていた。仲間だってみんな、そうやって死んできた。今更自分だけ逃げるわけにはいかない。
なのに、どうして未練がましく叫んだのだろう。
「クロード様、お逃げください! 俺達を置いて、早く――!」
あなたを守るのが仕事なのだから、どうか、最後くらいは。
ミルチェッタ公国の郊外、人気のない屋敷が夜の闇を一掃するほどの爆発を起こしたのは、その直後だった。




