魔王様と新しい護衛たち 其の四
正しいと思ってきた。思わなければならなかった。
でなければ自分はきっと立っていられない。
自分が従う相手が間違っているかもなんて考える勇気も、どこかへ逃げたいだなんて希望も持てない自分は。
「教会から魔王へ密談の申し込み……ですか?」
「ああ。突然で申し訳ないが今日の夕方だ。教会本部があるミルチェッタにいる間に是非と言われたら仕方がない。護衛として君たちを指名されているが、ついてきてくれるか?」
「もちろんですよ、仕事なので」
肩をすくめて言うウォルトを不謹慎だとにらみつつ、カイルも頷き返す。
「ご命令とあらば」
「では頼もう。キースにはすでに知らせてあるが、他の者達には知らせないように。もちろん、アイリーンにもだ。密談だからな」
心なしか楽しそうに魔王がそう命じた。護衛について半月以上がすぎ、この魔王が意外と世間知らずで鷹揚に振る舞うことを、嫌というほど思い知らされているカイルは、そっと眉根をよせる。
(まさか、密談という珍しい言葉に浮かれてことの重要性をわかっていないんじゃないだろうな……?)
同じことを懸念したのだろう、ウォルトがため息まじりに注意する。
「油断しないでくださいよ、クロード様。相手は教会だ。用件だって書いてないんでしょう?」
「ウォルト! そういう疑う姿勢はよくないだろう。和解かもしれないというのに」
「なに。お前、なんか知ってるわけ?」
「そ、そんなわけがないだろう!」
胡乱げに見られて、ぎこちなく目をそらした。言えるわけがない。
今回の密談は、ひそかにカイルが送った手紙を司教様――カイルの育て親で恩義のある人だ――が、カイルの手紙を読んで魔王との関係の再構築を考えたからこそのものだ。カイルは内々に司教本人から書簡で『お前の言う通り魔王と話し合いたいので協力して欲しい』と頼まれている。
とはいえ、教会も一枚岩ではない。司教様も一派閥の長でしかなく、教会全体の合意ではないため密談という形になってしまった。魔王が怪しむのも無理はない。カイル達の暗殺命令もまだ撤回されていない。
(だが、魔王側にとっても悪くない話のはずだ)
魔物の討伐といえば皇帝直轄の聖騎士団が請け負うことで有名だが、それではとても地方が間に合わないので、日常的な魔物退治は教会が請け負っている。教会と和解するということは、そのあたりをどう調整するかという話し合いができるということだ。
クロード・ジャンヌ・エルメイアが魔王として生まれて魔物がおとなしくなったのは有名な話だが、それでもこれまで魔物の被害がなかったわけではない。そもそも獣と見分けがつかない魔物も多いのだ。人間への害意を捨てない魔物もいたし、逆に密漁する人間に怒り狂った魔物に村が襲われることもあった。うまく教会と協調がとれれば、そのあたりの問題を効率よく解決していける。
本当に魔物と人間を共存させるのであれば、大切な交渉だ。そのはずなのだが、魔王の方からは緊張も意気込みも見られない。むしろカイルの方が緊張している。
(もしこの交渉がうまくいかなければ、俺達は――)
ちらりと横に立つウォルトに目をやる。
きっとこの男は、ここにいたいと考えている。だが裏切り者にならずにその願いをかなえるならば、教会と魔王が手を取り合うしかない。いちいちこの交渉に水を差すような物言いをされると、仕組んだカイルがはらはらしてしまう。
「ウォルトの懸念ももっともだが、一応、用件らしきものは書いてあるぞ」
「へえ? なんですか」
「内緒だ」
「はあ、そうですか。ま、確かに護衛には関係ないですけどねー」
「だがもし和解をあちらが申し入れてくるならば、受けるつもりだ」
視線を戻したカイルに、クロードが頬杖をついて口元を緩める。ウォルトが呆れた顔をした。
「こないだあれだけ刺客をよこされてよくそんな風に思えますね」
「ウォルト! お前はさっきから余計なことばかり――」
「お前はこの密談は罠だと考えているということか? ウォルト」
クロードの問いかけに、ウォルトは目を眇めたあと、はあっとため息を吐いた。
「――そう考えるのが普通でしょう。あの刺客共への対処、あなたはずいぶん手慣れてました。ああいうことは日常茶飯事なんでしょう? つまりしょっちゅう教会から命を狙われてきたわけですよね」
「だとしたら?」
「なら今になって教会が和解なんてあり得ません。わざわざ罠にはまりにいく必要はないでしょう。あなたの強さは理解しているつもりですが、油断大敵ですよ」
「大丈夫だ、お前達が僕を守ってくれる。違うか?」
真顔で断言されて、カイルまで固まってしまった。そのあとで妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。
(……この御方は、本当に)
信じているのだ。自分たちを。
ウォルトがあらぬ方向を向いて、すねたように答える。
「……ソーデスネ。それで苦労するのは俺達ですけどね」
「それは我慢して欲しい」
「自分の行動を戒める気はないんですね?」
「ウォルト……言いたいことはわかるが失礼だ」
「色々あるんだろうが、教会はお前達の実家みたいなものだろう。なら、僕は仲よくしたい」
穏やかに告げられた理由に、心臓がぎゅっと引き絞られた。
そんな風に思ったことなど一度もないのに――ああ、でもそう願ったことはあるのかもしれない。逃げ出したいと考えるウォルトも、きっとそうだ。
もし教会が穏やかで優しくて愛せるような場所だったら、どんなに幸せだっただろう。ここにいるしかないのだと諦めるような、そんな場所ではなかったら。そう思っていることは、確かなのだから。
「……クロード様がそう言うなら異議はありませんよ。甘いとは思いますけどね」
「もちろん、僕の許容範囲内での話だ」
よくクロードはそう言い置くが、その許容範囲は広い。少なくともカイルは本気で怒った魔王を見たことがない。
(いや、アイリの正体がばれた時は怒って……いたが……)
わかるようでわからない許容範囲だ。
いずれにせよ、魔王は教会の誘いに乗ってくれるらしい。そこは安心した。
(あとは、司教様とうまく交渉ができればいい)
目の前のこの人に、暗殺などしかけなくてよくなる。ウォルトだってここにいられるかもしれない。
――自分はどうしたいのかは、よくわからないままだけれど。
「ところで持っていくお土産は何にしようか」
「は? 土産……ですか」
賄賂的な何かだろうか。そういう媚びを売る人物だと思えなかったので、思わず問い返してしまう。
魔王は執務机に密談の日時を書いた紙を投げて、にこやかに言った。
「さっきも言ったが、教会の人間はお前達のご両親みたいなものだろう? 挨拶をしないとな」
主君のつとめだ――というクロードに、ウォルトとカイルは同時にため息を吐く。
今日も魔王はやっぱりどこかずれている。




