魔王様と新しい護衛たち 其の一
第二部エピローグ前のお話です
いつか逃げ出したい。自分の願いはずっとそれだ。
六歳の頃、母親に教会に置いて行かれた。ただ、幸せになってねごめんねと何度も謝られたから、その時はそういうこともあるだろうと、仕方ないと、まだ耐えようと思っていた。
置いて行かれた教会では、適性があったために非人道的な訓練を課されることになった。衣食住が確保されていただけで満足すればよかったのかもしれない。
ただどこまでも自分は『教会に仇なす者を屠るすごい道具』だった。使えなくなったら即処分。裏切ろうものならば刺客に追われる。せめて人を守っているのだと信じられれば、たとえ道具でも汚れ役でも誇りを持てたのに、そうはならなかった。
逃げ出したい。いつか、きっと、どこかへ。
そう思い続けながら、ウォルトは魔王の配下となった。
(うん、ついに命運尽きたね)
いつもと同じ言い方をすれば配属は昨日。ミーシャ学園が魔物の襲撃を受け半壊した翌々日の話である。 ウォルトは教会からいつもの命令書を受け取った。内容を要約すると『魔王様にお前を売りました』だ。世の中は本当に世知辛い。
即日発送、送料無料。自ら歩いて魔王様のところまでお届けされる最中である。
それもこれも男装した女子生徒などに興味を持ってしまったせいだ。身から出た錆といえばそうなのかもしれないが、代償が大きすぎる。
「わかっているだろうな、ウォルト」
「なーにがー?」
同じように送料無料で発送中の隣の人物に投げやりに応じる。
切れ長の瞳がじろりとにらんできた。相変わらずカイルは真面目だ。歩く速度は一定を保ったまま、声をひそめた。
「俺達が本当に課された任務の内容だ」
足を止めると、カイルも足を止めた。誰もいない宮殿の回廊で二人、向き合う。
「教会が俺達を魔王に譲り渡したのは、魔王を暗殺せよということだ。それができなければ潔く自害しろと」
「……お前、本気でそれ言ってんの?」
「本気だ。お前こそ、まさかまだ逃げ出したいなどと思っていないだろうな」
――お前、俺と一緒に逃げる気はないか。
かつてウォルトはそう声をかけたことがあった。うかつだったと今でも悔やんでいる。
だが年々無用の道具として仲間が処分されていく中で、いつも見る顔が救いみたいに見えたのだ。だから勘違いした。そして知った。
世の中には道具でもかまわない人間がいるのだ。
(俺はごめんだね)
まっすぐ馬鹿みたいに教会の掲げる理想を信じて、淡々と任務をこなす。赤ん坊を殺し、魔物を屠り、教会の金になる。それが正義だと信じて揺るがない。
愚かだ。そしてどうしようもなく、羨ましい。どうして逃げる必要がある、などと返せる弱さが。
どこへも逃げられないということを受け入れている強さが。
彼は逃げることをしない。
だからウォルトにとってカイルは天敵だ。決して分かり合えないと思っている。カイルがどうして自分の発言を密告しなかったのか、興味もない。
「教会の意図くらい、お前に確認されるまでもなくわかってるよ」
「ならいいが。相手は魔王だ。気を引き締めていけ」
「それよりお前、俺の足引っ張るなよ。あとこんな場所でべらべらしゃべるな、誰かに聞かれたらどうするんだ? 魔王様の呼び出しだってカラスの魔物が飛んでくるようなとこだぞ、ここは」
「そんなミスはしない」
「ああそう。じゃあお互い干渉せず頑張りましょう」
おどけてそう言うとカイルは目を細めて小さく言った。
「それでも、表向きは魔王の護衛だ。協力は不可欠だろう」
「嫌だね」
「俺だって不本意だ! だが任務だ。お前、護衛の任務はどれくらい経験がある」
「お前より経験はあるよ。どいつもこいつも殺してやりたいような人間だった、護衛対象を殺せって言うならありがたいくらいだ」
そこで話を打ち切ってウォルトは歩き出す。
(自爆まがいに魔王に突撃する任務? 人間爆弾ってか、お笑いだね)
生き延びるのだ。いざとなったら、アイリーン・ローレン・ドートリシュを手籠めにしてでも。そしていつか逃げ出す。
でもいったい、どこへ?
「ウォルト・リザニスです。お呼びと聞いて参りました」
「同じくカイル・エルフォード、参上いたしました」
「ああ、よくきてくれた」
ゆっくりと木漏れ日の下で魔王が振り向く。
黒髪に、赤の瞳。言い伝え通りの色と運命を持って生まれた魔王。一度は皇位継承権を放棄したが、セドリック皇太子とアイリーン・ローレン・ドートリシュ公爵令嬢の婚約破棄をきっかけに、ドートリシュ公爵家の後ろ盾を得て、もう一度皇太子に返り咲いた人物。世の中の認識はそれだ。
だが世の中の認識と実在の人物や事情が違うことはよくあることだ。清廉な人物が裏では好色な少年愛好家であるなど、日常茶飯事である。
(魔王様はアイリちゃんにめろめろっぽいしね。ただの政略結婚ってわけじゃなさそうだ)
そして、愛する女には甘くとも、他には残酷なんてこともよくあることだ。
アイリが甘いのはわかっているのでそこを突けばいいのだろうが、油断していると足元をすくわれる。なにせ、相手は魔王だ。
カイルが緊張した面持ちで切り出した。
「ご用件はなんでしょうか」
「シュガーから聞いていると思うが、君たちには今日から僕の護衛についてもらう。だが、君たちにも事情があるだろう。異存はないだろうか? 僕は話を聞く王でありたいと思っている」
意向をうかがわれ、ちょっとウォルトとカイルは目配せしあった。異存はありまくりだが、ここで真に受けて首をはねられるのもよく目にする光景だ。
それに、教会の任務と自分たちの能力をかんがみるに、護衛という立場は非常に都合がいい。刃物を持ち込んでも許されるし、多少の無茶も通せる。だから護衛を選ぶにあたっての最重要事項は信頼関係だ。後ろから刺されないためには当然のことだろう。
だが、それを魔王様はご存じないらしい。
(こっちは教会の人間だよ? でも人手がないって話だったし、しょうがないのかもねえ)
可哀想な魔王様。皮肉っぽくそう思った。
人間を信じても裏切られる。化け物じみた自分たちからでさえ。
ほほえましいような憐れなような気持ちで、ウォルトはうなずいた。
「正直、経緯には納得しがたいところもありますよ。でも命令された以上は従います」
「精一杯つとめさせていただきます」
「そうか、とても嬉しい」
少しも嬉しくなさそうな無表情でそう言われた。だがふと目に飛び込んだ鮮やかな色に、ウォルトは目をまばたく。
(あんなところに花、咲いてたっけ?)
「ではさっそく、君たちには僕についてきてもらう。ちょっと出かけたいんだ」
「はい。市街の視察でしょうか?」
「いいや皇都に」
「は?」
「クロード様、いた!! 我が主、そこを動くんじゃないんですよ!」
突如響いた怒鳴り声に、クロードが舌打ちした。
「キースめ、さすが行動が早いな。では行こう」
「で、ですがあれは従者の……」
「仕事山積みなんですよ、ちょっと出かけてくるってどこに――おいこら馬鹿主!」
ぱちんと鳴ったのは指の音。
呪詛するような従者の声は一瞬で遠のき、次の瞬間ウォルトもカイルも地面に尻餅をついていた。
のどかな緑萌える裏庭ではなく、石畳の裏路地。少し向こうでは人々が忙しく行きかい、馬車が走る蹄の音が聞こえる。
「僕の護衛をするんだ。強制転移させられても、きちんと立ったままでいられるように」
今までそんな注意をされたことがなかったので、間抜けにも聞き返してしまった。
「……え、強制転移? 瞬間移動ってことですか」
「では――ここはまさか皇都ですか!?」
「そうだ。僕は一度、カフェというものに行ってみたい。アイリーンを誘う前の予行演習だ」
君たちに期待している――と真顔で言う魔王様は、護衛とはなんなのかを勘違いしている、たぶん。




