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自信はあったが、発表と同時に肩の荷が下りたのも本当だった。白百合姫に与えられる冠と花束を受け取り、アイリーンは拍手に一礼する。
セレナが壇上にいないのが気になったが、それより賞品だ。
「こちらが今年の白百合姫に献上する品になります」
台車で運ばれてきた賞品を急いでつかみ、アイリーンはあとずさる。
「続いて白百合姫による、最後のダンスのお相手を――」
「ではわたくし、失礼いたしますわね!」
「へっ? し、白百合姫!?」
ふわりと舞台から飛び降り、脱兎のごとく会場の真ん中を駆け出した。突然のことに驚いて人の波が割れる。
あれ以上舞台に立っていて、身元を根掘り葉掘り聞かれ出したら困る。ざわめく会場のすぐ外で、打ち合わせどおりレイチェルが待っていた。
「アイリ様、こっち、こっちです! こっちの部屋で着替えを」
「助かる、レイチェル」
レイチェルが誰からも見えないよう隠した扉に滑り込み、すぐさまドレスを脱ぎ捨てる。
高価なドレスはもったいないが、着替えが入ったバッグにぎゅうぎゅうに詰めこんだ。化粧を落とし、胸を布で巻き、結い上げた髪をかつらで隠し、男子の制服に袖を通す。
「おい君、確か警備隊の……白百合姫を見なかったか?」
「し、知りません!」
「最後のダンス、どうするんだ。逃げ出すなんて、百合の貴婦人たちもカンカンだぞ」
「おい、こっちだ! 早くしろ!」
最後の声はアイザックだ。そのまま生徒達を誘導するため、一緒に遠ざかっていく。
ぱたぱたと廊下を立ち去る足音を確認したら、アイリーンはそっと部屋から顔を出す。
レイチェルがほっとしたあと、妙に複雑そうな顔をした。
「あれ? まだどこかおかしい?」
「い、いえ……いつものアイリ様なんですけど……。……アイリ様ってよく見ると、顔立ちが女性的なんですね」
「えっ」
「アイリちゃん……?」
会場から出てきたウォルトの呼び声に振り向く。カイルもゼームスもいた。
これ幸いとばかりにレイチェルとの会話を打ち切る。
「先輩方、会場はどうです?」
「どうもこうも大騒ぎだが……」
ゼームスが答えの途中で妙な顔になり、そっと目をそらされた。
「どうしたんですか」
「いや……。なんとなく、こう……」
「……。ウォルト。俺は目を覚ましているか? この動悸はなんだ。男なのに……」
「カイル、落ち着けって。今はともかく賞品だろ」
ウォルトの言に、妙にそわそわしていた面々が咳払いをしたり、男、男と繰り返しながら向き直ったりした。
首をかしげつつ、アイリーンは持っていた箱を開ける。
中から出てきたのは、陶磁でできた小さな炉だった。
カイルがつぶやく。
「――東方の国の品だな。香炉だ」
「ということは中に魔香が入ってるとか?」
「……中は……からっぽですね」
緊張した空気が弛緩する。
炉の蓋をあけたまま、アイリーンは考えこんだ。色々ひっくり返したりしてみたが、中身は何もない。細かい装飾や龍の絵が素晴らしい一品だとしかわからなかった。
「……じゃああれは、ただの怪文書だったってわけかい?」
香炉を眺めながら、ウォルトが確認する。ゼームスが怪訝な顔をした。
「わざわざアイリの知り合いの新聞記者に偶然届くものか? できすぎだ」
「あの新聞記者は、普段皇都にいるんだろう。まさか皇都に異変が?」
「それだったらこちらにも連絡がきそうなものだけどね……」
どれも推測だが、なんだか嫌な感じだ。
(遊ばれてるみたいな……しかも皇都って、まさか魔香の出所もここじゃなく皇都……?)
だとしたら根本から見直さなければならない。
「――そういえば、オーギュストは?」
姿が見えないことに気づいて尋ねると、全員が顔を見合わせた。
「踊り疲れたから外の風に当たってくるって出て行ったきりだね」
「あ、私、セレナ様がオーギュスト様に用事があるって追いかけていかれたの、見ました」
「セレナが?」
レイチェルが頷いた。
「お二人で一緒にいらっしゃるのかもしれません」
「そういえばジルベールは、白百合姫の審査も抜け出したようだな。探すか?」
「いや、オーギュストに告白してたりしたら気まずいでしょ」
ウォルトの懸念はもっともだが、妙に嫌な予感がした。
決断できずにいるアイリーンの袖を、レイチェルがつかむ。
「アイリ様、あれ。オーギュスト様とセレナ様じゃ……」
レイチェルの指さした先に全員が顔を上げる。
ドレスを着たままのセレナが、オーギュストを引っ張って、まだ学生達が大勢残る会場の中へ入っていくところだった。
「会場に戻ってきた……みたいだね」
「行こう。セレナ様が何か持ってるのが見えた。レイチェル、君はアイザックを呼んできて」
「は、はい。分かりました」
アイリーンが廊下を進むと、皆もついてきた。
(小さな香水瓶に見えたけど……まさかね……)
気持ちがはやって小走りになる。先ほど逃げ出した両開きの大きな扉をくぐったところで、セレナの声が響いた。
「今宵、私は皆さんに、お知らせしなければならないことがあります」
オーギュストがアイリーン達に気づいて振り向く。困惑した顔をしていた。
その横でセレナがゆっくりと声を響かせる。
「この学園に、アシュタルトがいます。私が今からそれを暴きます」
突拍子もない話に周囲がざわめく。だがセレナは気にしない。
ゆっくりと周囲を見回し、胸を張って朗々と話を続ける。
「同じ生徒の中に魔物がいる。とても恐ろしいことですが、私は勇気を持って告発します」
「なあ、セレナ……お前なんかおかしいぞ。俺のこと聖騎士だとか言ったり……」
オーギュストの言葉にアイリーンは瞠目した。
(聖騎士!? どうしてセレナがそれを――まさか、私と同じなの!?)
「私は、彼を暴き、裁く使命をうけました」
ゆっくりと腕を上げたセレナの手に握られているものに、ウォルトとカイルが同時につぶやいた。
「魔香の原液――っ!」
「聖剣の乙女の代理として」
夢見るような微笑で、セレナがその手から香水の瓶を落とす。
硝子が砕ける音と一緒に、大理石の床からおぞましい色の煙が吹き上げた。




