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「ゼームス、いたいた」
やっとアヒルから抜け出し制服姿に戻ったゼームスは、同じくアヒルから脱皮したオーギュストに目を向ける。
幻想的に揺らめく銀の燭台の火と、天井できらめくシャンデリアがオーギュストの顔を明るく照らしていた。背後にはゆったりとオーケストラの音楽が流れ始めている。ようやく始まったのだ、後夜祭の舞踏会が。
「なんだ。私はもう疲れた」
「はは。生徒会長の挨拶おつかれ。ここまでは平和にきたなー魔物の影もないし」
「アシュタルトの件は、また狂言だったのかもしれないな」
「あ、カイル先輩もお疲れです! ウォルト先輩は?」
「いるよ。やっとアヒルから抜け出せたね。アイリちゃんはまだみたいだけど……」
その話題に、ゼームスの眉がつり上がった。
「本気なのか。というか、正気か。女装するなんて」
「アイリって勇気あるよな……」
「アヒルから女装までこなすとは……」
「んー……案外似合ったりして?」
おどけて言ったウォルトに、思わず尋ねる。
「お前、目は大丈夫か。確かに体格は小さいが、男だぞ」
「うまく女の子に見えたとしても、跳び蹴りとかするしなーアイリ……礼儀作法とか大丈夫なのかな」
「ドレスは下手な鎧より重いとも聞くが、そもそも動けるのか?」
「まあ俺もあんまり期待はしてないんだけどねー……見物は見物かなあって」
「見苦しかったら叩き出すからな、私は。ミーシャ学園の恥だ」
両腕を組んで宣言したゼームスに、全員が苦笑を見せる。そこへどよめきがきた。
まるで白百合のように清廉なドレスをまとった女性が、シャンデリアの輝く正面の扉からしずしずと入ってくる。セレナだ。
ほうっと周囲から感嘆の息がもれる。ひゅうっとウォルトが小さく口笛を鳴らした。
「さっすが、綺麗だねぇ」
「エントリーナンバーは一番か。準備万端といったところだろうな。順当にいけば彼女が白百合姫だが……あらかじめ賞品について交渉しておくか?」
カイルの言に、オーギュストが首を振った。
「アイザックが最後まで必要以上に情報もらしたくないって言ってたよ」
「……となると、俺たちは見守るしかないな」
「みんな! 珍しいね、四人そろって」
こちらに気づいたセレナが笑顔で駆け寄ってきた。言われて、全員で顔を見合わせる。
知らない間に自然と集まることに慣れてしまっていたのだ。
「……最近、色々あってね」
「へへ。アイリのおかげでちょっと仲良くなったんだ、俺たち」
「それはお前の勘違いだ。私は仲良くなってない」
「……ふうん?」
セレナが首をかしげると、イヤリングがきらめいた。
「そうだ、オーギュストかゼームス会長、あとで踊ってくれる? 目立てると思うの」
「えっあー……俺は警備隊のあれこれあってさ」
「……私も警備隊のあれこれが」
舞踏会が本格的に始まったらそれもあるのだと思い出して、ゼームスはげんなりした。誰か踊りたい女子生徒などいないからいいが、面倒は面倒だ。
(ああ、だがアイリが一番に踊って目立たせろと……男と踊るわけか、私は)
同じようにウォルトとカイルにも断られたセレナは、両手を腰にあてて頬をふくらませた。
「何、全員。いつの間に警備隊に入ったの。アヒルの格好してたってまさか本当?」
「黙秘権を行使する」
「はーあ。なんかあのアイリ・カールアが入ってから変だよ、みんな。しっかりして」
セレナのお説教じみた言葉に、全員が曖昧に笑った。たぶん、どこか気まずい気持ちで。
(面倒だ、とは思ってる。……だが)
お前に言われることではないと思ってしまうのは、今の関係を悪くないと思っているからだ。
アヒルの着ぐるみで結ばれた友情は勘弁願いたいが、アイリに引きずられてできた何かが今の自分たちに芽生えつつあるのだろう。
それぞれまだ何か事情を抱えているのは知っている。なれ合うつもりは、ゼームスにもないし、オーギュストはともかくウォルトやカイルにもないだろう。
でもそれでもいいのではないか――と思い始めている自分がいることに気づいて、驚く。
(……毒されてるのか、まさか)
それとも、自分を受け入れてくれる世界があるような気でもしているのか。
それに何度も裏切られてきたのに、まだ、懲りずに。
「ま、仲良きことはよきことかな、でしょ」
ウォルトが何かを言い訳するようにそう答えた。カイルがそっと目を伏せる。オーギュストはそれを見て嬉しそうに小さく笑う。
誰も否定しない。
そこに言い訳めいた連帯感と、安心感があった。アイリのせいだから、あるいはオーギュストがうるさいから、という。
「ふーん……でも誘ったら応じてよね! 女性に恥をかかせないで、紳士なら。――じゃあ、私はそろそろ審査員に挨拶しなきゃ」
「頑張れよ、セレナ――あ、そうだ。魔王様ってくるのか?」
引き止めたオーギュストの質問に、きびすを返そうとしていたセレナが振り向く。
「これたらくるって。なんだか忙しいみたい。襲撃された村とか、あちこちいったりきたりしてるみたいで。白百合姫が選ばれたあとのダンスに間に合えばいいんだけど……」
「忙しいんだろう。警備はしっかりつけてもらえている、問題ない」
「私には大ありなの! もう、じゃあね」
くるっと背を向けたセレナが、勇ましく歩いていく。
元気なのはいいことだが、あれで礼儀作法は大丈夫なのだろうか。ドレス姿でもああなのは、彼女の魅力なのだろうけれど。
「なあ。アイリ、もうそろそろこないとまずくないか?」
大理石の大広間にしつらえられた柱時計を見て、オーギュストがつぶやく。カイルが静かに目を伏せた。
「やはり女装には無理があったんじゃないのか」
「少し様子を見てくるか」
埒があかないと、ゼームスは壁に預けていた背を起こす。自然と俺も俺もと、他の面々がついてこようとした。
「どうしてお前らまでくるんだ、目立つ」
「一蓮托生ってことでいいじゃないか。アヒル戦隊だし。だよねブルー」
「アヒルを思い出させる、な――……」
声を失ったゼームスの背中にオーギュストがぶつかる。なんだよ、というお決まりの文句も途中で消えた。にやにや笑っていたウォルトが口をあけて呆け、カイルがその場で固まる。
どよめきはない。こつりと大理石の床を鳴らすかかとの音が、静かに広がるだけ。
薄紅色のドレスの裾がふわりと羽根のように舞う。ほっそりした腰回りには、七番の番号札があった。それはレイチェル・ダニスがつけるはずだった番号。
つまり彼女は、その代理だ。
嘘だろ、とつぶやいたのはオーギュストか、ウォルトか。
干上がった喉を鳴らし、ゼームスもその姿を見つめる。
「――ごきげんよう、皆様」
静まりかえった会場の中で、星がまばたくように美しく、彼女は微笑んだ。




