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舞踏会は自由参加だが、白百合姫の選考はエントリー制だ。ただ登録は番号札をもらってくるだけで本人登録である必要はないため、代理で登録手続きをすませたアイリは七番という丸い名札を持って、アイザックとレイチェルを待っていた。
(ギリギリの登録だったから、白百合姫候補は七人と思えばいいわよね。オーギュストが確認とってくれるはずだけれど……)
誰とでも友達になってきて、いろんな情報を集められるオーギュストのあの能力はすごいと思う。剣の腕はまだ見たことがないが腕は立つはずなので、あれに色々技術をしこめば大した騎士になるのではないだろうか。それこそ聖騎士団に欲しい人材だ。
「アイリ様! すみません、お待たせして……!」
控え室が押さえられず警備隊の部屋で着替えていたレイチェルが、中から出てきた。
薄桃色の花びらを何枚もかさねた可憐なドレス。たっぷりとしたドレープとところどころあしらわれた小さなダイヤモンドのきらめきが、おしとやかな顔立ちをしたレイチェルを華やかに包んでいる。羽化する前の蝶のような、少女と大人の狭間を感じさせるデザインだ。
(さ、さすがアイザックというか――スチルとまったく同じ、最先端のドレス! これ、大丈夫なのかしら!? 悪役令嬢の断罪イベントって白百合姫の審査だったわよね……!?)
白百合姫に選ばれたくて、レイチェルは審査員や周囲にセレナの陰口を吹き込み、あげくセレナを階段から突き落とそうとする。だがセレナはそれらをはねのけ、破れてしまったドレスもアレンジし、舞台に挑むのだ。その凜とした彼女のたたずまいに皆が拍手を送り、卑怯なまねをしたレイチェルを断罪する――大まかにはそういう内容だった。
当日いきなり参加になったレイチェルにそんなことを仕込む時間はなかったし、何よりそんなことをする人物ではないことは重々分かっているが、楽観はできない。どこからどう見てもスチルと同じレイチェルのドレス姿に、不安になるなという方が無理だ。
「あ、あの、似合いませんか……?」
ゆるめに結い上げた髪を不安げにゆらし、レイチェルが尋ねた。ぶんぶんとアイリーンは首を振る。いけない、不安にさせては。
「い、いや。とても似合うから見とれてた」
「そ、そんな……ちょ、ちょっと自分には派手かなって思ったんですけど……アイザックさんが派手なくらいがいいって……」
はにかんだあとで、レイチェルはぐっと拳を握った。
「私、頑張りますね! こう見えて礼儀作法は得意なんです。アイザックさんをぎゃふんと言わせてやりますから!」
「……。レイチェル。興味本位で聞くんだけど……」
「はい、なんでしょう?」
「もし白百合姫になれたら、最後のダンスの相手はアイザックを指名するの?」
数拍あいて、レイチェルの頭からぼんっと湯気が出た。わかりやすすぎる反応にアイリーンは思わず笑い出してしまう。
レイチェルが顔を真っ赤にして怒った。
「ちがっ違いますよアイリ様! わ、私はアイリ様を指名するつもりでっ……」
「い、いや、せっかくだしアイザックでいいんじゃないかな?」
「そんな! ……ご、ご迷惑でしょうし……私、まったく相手にされてませんし……」
「……どうしてアイザックか聞いてもいいかな」
言いながら、アイリーンは手を差し出した。ここから会場まで遠い。ドレス姿のレイチェルはきちんとエスコートしないと、足下が危険だ。
「……。婚約破棄を言い出したとき、両親も大反対で、もちろん相手からも怒られました。色々責められて、本当にこれでよかったのか迷いました。家でも居場所がなくなって」
貴族の婚約は家同士の契約だ。レイチェルの行動はわがままと取られても仕方ない。
「でも婚約破棄できたってお知らせしたとき、アイザックさんがよくやったって一言だけ、言ってくれたんです。そのとき、すごく自分が誇らしくなった」
きゅっと唇を引き結んで、レイチェルが前を向いた。本当に綺麗な顔で。
「だから私、今回も頑張ります。これでも悪巧みはできるんですよ」
「そうなの?」
「ええ。セレナさんは綺麗な方ですけど、礼儀作法は少し雑です。その分、人目を惹く力がすごいんですけど……ですので私、ゼームス様に踊っていただこうと思ってるんです。あの方が踊ってくださったら、それだけで目立ちますから。それと礼儀作法に厳しくて口うるさい審査員をさけようとしてるみたいなんですが、逆にその方にアピールしていこうかなって」
負けまいと策を巡らせるレイチェルが、かつて夜会に挑んだ自分と重なった。
その胸に、美しさを損なわないよう、番号が書かれた札をつける。
「頑張って。頼りにしてるから」
「はい! はったりでも何でも頑張ります――あ」
噂をすれば、階段の踊り場からセレナが降りてきた。
まだ制服姿の彼女はドレスを抱えて、レイチェルを見て目を丸くする。
「レイチェルさん。……番号札をつけてるってことは、白百合姫にエントリーしたの? エントリーはしないって、聞いてたけど……」
「ええ。気が変わったんです」
レイチェルの自信ありげな笑みははったりだろうが、とても悪役令嬢らしかった。
アイリーンは一歩引いて、悪役令嬢とヒロインの対峙を見る。このときばかりは、自分の出る幕ではない気がしたのだ。
――だから、反応が遅れた。
「そう! お互い頑張ろうね。そのドレスとっても素敵! ちょっと見せて――きゃっ!」
「レイチェル!」
無邪気にレイチェルのドレスに触れたセレナにひっぱられ、一緒に階段から落ちていく。
階段から落ちた、という他の生徒の声が響いた。
踊り場で倒れ込んだ二人に、アイリーンは慌てて駆け寄る。
「レイチェル、大丈夫!?」
「アイリ……様。は、はい。平気……っ!」
足を動かそうとして、レイチェルが顔をしかめた。だがそれを確認する前に、セレナが声を上げる。
「いた……やだ、私のドレス……!」
セレナが抱いていたドレスのレースが破れていた。ゲーム通りに。
「セレナ様が落ちた?」
「相手は無事らしいぜ。でもセレナさんのドレスが破れたって」
「審査前でしょ、突き落としたんじゃ……」
「あの子、警備隊に入ってる子でしょ。婚約破棄したって最近えらそうにしてた……」
「ちょ――」
あっという間に広がっていく勝手な憶測にアイリーンは声を上げようとしたが、レイチェルがその腕をつかんで、首を振った。ここで言い返したら余計に騒ぎになることを知っているのだ。だが、このままだと、ゲーム通りだ。
それに、アイリーンは見た。
「……れ、レイチェルさん。気にしないで、事故だよ。ドレスはなんとかできるし」
階段から落ちる直前。セレナはレイチェルのドレスを引っ張った。
「お互い、正々堂々、がんばろ!」
そして口元にゆがんだ笑みを浮かべて、自分から落ちていったのを。
(この女――!)
かすり傷に顔をしかめたふりで立ち上がったセレナが、勝ち誇ったような笑みでこちらを見下ろす。そして立てないレイチェルとそれを支えるアイリーンを置いて、踊り場から颯爽と立ち去った。
「おい、何があったアイリ――レイチェル?」
「人が落ちたって聞いけど、まさか」
入れ替わるようにやってきたのはアイザックと、アヒル姿のウォルトだった。ぎりぎりまで校内の見回りをしていたらしい。
青い顔をしたレイチェルが、立ち上がろうとする。
「……だ、大丈夫です。私、できま――った」
「レイチェルちゃん、君、足をひねったんじゃないのかい」
「ちょ、ちょっとだけです。立てます。大丈夫です」
「ふらついてるじゃねーか。……それじゃ踊れないだろ、白百合姫は無理だ」
「そんな! わ、私、大丈夫です。少しでも、アイリ様のお役に立ちたいんです……!」
「レイチェル。――そのドレス、ぼくに貸してもらえる?」
静かに切り出したアイリーンに、泣き出しそうだったレイチェルが目をまばたいた。
ウォルトがぽかんと口を開け、アイザックが天井を仰ぐ。
(わたくしの可愛い後輩に、よくもやってくれたわね)
代理戦争だ。ゆっくりと微笑む。とても、悪役令嬢らしく。




