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研究室を出てすぐに、ゼームスの背中は見つかった。
「ゼームス会長! 待ってください。話を――」
「……。そうか、そういえば私も聞きたいことがあった」
大足で進んでいたゼームスが、街灯の下で振り向いた。
小走りで追いかけていたアイリーンはぶつかりそうになり、そのまま後ずさる。
「お前は何者だ」
「それは、さっき説明したとおり――」
「聞き方を変えてやる。お前、俺の正体を見ただろう」
アイリーンは押し黙った。ゼームスはつまならそうに尋ねる。
「殺されたくなければ答えろ。何故、それを黙ってそのうえ、かばうようなまねをした」
「……」
「だんまりか。――それで協力だと? 笑わせる。弱みをにぎって、私に何をさせたい?」
嘲るゼームスの言葉に、彼がどんな目に遭ってきたかがうかがえた。助けてくれた人物にさえ裏切られたということだろう。
それは気の毒だ。人間不信にもなるだろう――が、ぽつりとアイリーンはつぶやく。
「めんどくさい性格……」
「……今、なんて言った?」
「いいえなにも。じゃあ、説明します。――出ておいで、リボン」
街灯の下、足下には影ができている。そこから呼ばれてひょいっと顔を出したのは、フェンリルの子どもだ。アーモンドの通訳により、リボンが大好きな女の子と判明したので、リボンと名付けた。
突然現れた魔物の姿にぎょっとゼームスが、目をむいて固まる。
成長期真っ盛りですくすく育っているが、まだ子供のリボンは、アイリーンの顔を見てきゅうと甘えて鳴く。アイリーンはにっこりと笑った。
「このお兄ちゃんが遊んでくれるって」
「きゅうっ」
「なっ――うわっ」
硬直していたゼームスが、喜んで飛びかかってきたリボンに押し倒された。そのままべろんべろん顔をなめられて悲鳴を上げる。
「やめっ……やめ、やめさせろ! おい!」
「いい、リボン。この人のにおいを覚えるんだよ。おいかけっこして遊びたいだろう?」
「きゅう」
「な、なにを考えてるお前!」
「ぼくの考えが正しければ、魔香を持ってる相手の狙いってゼームス会長の魔物化だと思うんですよね。だからあなたを守りたいんですよ」
リボンに押し倒されてばたばた暴れていたゼームスが動きを止めた。
きゅうっと首をかしげたリボンがなめるのをやめる。
「――守る? 目的はなんだ。何故そんな必要がある」
「何故って、何も悪いことをしてないのなら、可哀想じゃないですか」
ゼームスが大きく目を見開いた。
「見ての通り、ぼくは魔物が呼べます。だから信じろとは言えませんけど――そうですね、目的は教えられますよ。会長に質問もしたいですし」
「……なんだ」
「アシュタルトを探してます。会長はアシュタルトをご存じですか?」
その問いに、ゼームスはひるんだようだった。だがすぐにいつもの皮肉な笑みを浮かべる。
「答える理由はな――やめ、やめろ! その魔物をけしかけるな!」
「やだなあ、けしかけるなんて。リボンは会長を気に入ったみたいですよ。ね、リボン」
「きゅう」
こくこく頷いたリボンから這って距離をとったゼームスは、決まり悪そうに地面に座ったままため息を吐いた。
「――アシュタルトという魔物は、私の名前だ」
「え、嘘」
「そこで嘘と思うお前はどうかしてるぞ。……見ただろう。私は、半魔だ」
そう自嘲気味に笑ったあと、街灯に背を預けてゼームスは言った。
「正確には父親につけられた魔物の名前がそれだった。もうずいぶん前に捨てた名前だ」
「……そんな設定あったかしら……?」
「設定?」
「あ、いえ」
思わず素が出てしまったアイリーンは、こほんと咳払いする。
「なら今、襲撃を予告しているアシュタルトは会長なんですか?」
「……あれは私ではない。信じられないだろうが」
「いえ信じますよ。でないと理屈が合いません」
ゼームスが目を丸くした。リボンの頭をなでてやりながら、アイリーンは答える。
「会長が魔王になりたいようには見えないし、何より魔香でぶっ倒れるとか魔王に刃向かってる場合じゃないでしょう」
倒れたのが気まずいのか、ゼームスが眉をよせる。
街灯のあかりでくっきりとそのしわが見えたのがおかしかった。
「魔香をばらまいてる犯人が、会長をアシュタルトにしようとしている。つまり、魔香をまいてる人間がアシュタルトですよ。それで筋がとおります。……それにしては計画性がないように見えるけど……」
「学園にいるアシュタルトという名前の魔物が、私だとは知らないんじゃないのか」
とことこと歩いてきたリボンの頭を、一度なでたゼームスは、ふと顔を上げた。
「おい、この魔物を戻してやれ。誰かに見られたらただではすまないぞ」
「きゅうっ?」
「お前も不用心に私に近づくんじゃない。……私はお前の仲間ではないんだ」
そう物悲しく告げる姿が、クロードと重なった。
(……やっぱりラスボスだから? 似てる気がする……)
ゲームでの彼は、クロード亡きあと人間に追い詰められていく魔物の王になろうとする。それは、魔物のためでもあったのではないか。だとしたらやはり、クロードがいる今、彼に魔物の王になる野心はない。
ぱちぱちと黒い目をまばたいたリボンが振り向く。アイリーンは頷いた。リボンはゼームスを気にしながら、するんと影に飲み込まれていく。
「……ゼームス会長、ぼくの好きな人に似てます」
「は?」
ゼームスがものすごく嫌そうな顔をした。
「不愉快だ。私が女に似ているというのか?」
「あ。……ま、まあ、いいじゃないですか。そういうことでぼくはやる気が出ました。張り切って守るので、協力してください。学園長に報告するのはなしで」
「断る」
「出ておいでリボ――」
「わかった! 魔物を盾に取るな、卑怯だ」
立ち上がったゼームスが、長いため息を吐く。
「報告はしないでおいてやる。……魔王には、私もかかわりたくないしな」
「どうしてですか? ひざまずきたくなるとか」
魔物が魔王へ向ける敬愛は深い。だが、ゼームスはそれを笑い飛ばした。
「嫉妬深い女にほだされているふぬけた男にか?」
「しっ……あ、あれは」
誤解だと言い訳しそうになって慌てて口を閉ざした。
ふいと横を向いたゼームスの横顔が、街灯に照らし出される。
「半魔だが、私にも魔物としての矜持はある。――聖剣の乙女に屈した魔王など、ただの人間だ。王ではない者に、私は膝をつかない」
王とは、期待にこたえる者だ。だからアイリーンはもう、口を挟まなかった。
(とりあえず側室のことは早めに相談しておきましょう)
アイリーンにできるのは、ふさわしい妻であることくらいしかないのだから。




