13
決着は翌日の放課後にはついていた。
「ほい手紙」
あっさりアイザックが持ち帰ってきた手紙に、アイリーンは思わず素でつぶやく。
「わたくしの部下が優秀で怖い……一体、どうやったの?」
「金ちらつかせて、ポーカーしませんかって誘ったんだよ。負けがこんできた頃に、そういえばレイチェルって子可愛いですよねーとか切り出したら、あっちから手紙を賭けてきた」
「教授、ポーカーは強いはずだよ。よく勝てたね」
当然のようにアイリーンについてきたウォルトが、感心している。
この空き教室にレイチェルも呼んだのだが、まだやってくる気配はない。
「ポーカーは心理戦だ。昨日の今日だし、色々動揺してたんだろ。何がどうなってるのか状況わからなくて焦ってたみたいだし。それに俺、イカサマ得意なんだよな」
アイザックとポーカーをするのだけはやめておこう。相づちを返しながらアイリーンはそう胸に誓う。
「こっちを学生だってナメきってたから、借用書もばんばん判を押してくれたぜ。これをちょっとガラ悪い知り合いに売ってくる」
「……。ちょっと、ガラが悪い?」
「表向き合法な取り立てだからちょっとだ。これで教授はほっといても終わる。取り立てなんて学園にきたら一発で職追われるからな」
「――まあ、それでいいかな。で、手紙をどうやって手に入れたかは? あと魔香についても、何か言ってた?」
「手紙と一緒に拾ったらしい。使ってみたら気分がよくなるって気づいただけで、なんなのかはわかってなかったな。もう残りがないみたいで、さぐりいれてきた俺にこれがなんなのかどこで手に入るのか知らないかって逆に聞いてきたくらいだ」
アイリーンはため息と一緒に相づちを返す。
「レイチェルの話だと、友達は手紙を焼却炉で燃やすつもりで鞄の中に入れていたのが、いつの間にかなくなっていたってことだったけれど……それと魔香を拾うってどういう状況?」
「そればっかりは確かめようがないな。……で、この金どうするかだけど」
ちらと目配せして、判断を仰がれた。こういうところがアイザックは律儀だ。
答える前に、その背後からの影が伸びた。レイチェルだ。アイザックは気づいていない。なんとなくそれを告げないまま、アイリーンは微笑む。
「君の好きにすればいいと思う」
「あ、そ。じゃあ、まず被害者にわたす。実家勘当されるらしいから、金はいくらでもあった方がいいだろ。これで残りの学費は払えるだろうし、まあ、働き口を紹介してもいいしな」
「なんだ、君、優しいんだな?」
ウォルトもレイチェルに気づいたらしい。意味深な笑みを浮かべたウォルトを、アイザックがにらむ。
「寝覚めが悪いだろ、こんな金もらっても。金は扱い方間違えると身を滅ぼすんだよ。……あとはあのレイチェルって女だな」
「恐喝されていた分の返金?」
「その前にあの女の実家が婚約者の家にしてる借金返済! そしたら婚約解消できるだろ。あの女も婚約破棄したいクチなんだろうが。これでまっとうに解決だ。愚痴ったり出すつもりないラブレター書いてないで、最初っからこうすればいいんだよ」
「じゃあ、レイチェルと今から行ってくる? ねえ、レイチェル」
その呼びかけにアイザックがぎょっとする。だがすぐ気まずそうな顔で舌打ちした。
「とにかく借用書、金にしてくる。話は全部それからだ」
さすが、撤退の判断が早い。笑いをこらえるアイリーンをにらむこともせず、きびすを返してしまう。レイチェルとの会話もなかった。レイチェルもただその背中を見送るだけだ。
「よかったね、レイチェル」
「え、ええ……その、でも、そんなにしていただく理由が……」
「信じるのは不安?」
力のない笑顔を浮かべていたレイチェルが唇を噛んだ。
アイザックを信じていいのか、判断がつかないのだろう。
「多分、君は今、男性不信気味なんだろうね」
「そ、そんな。アイリ様のことは、何度も助けていただきましたし」
まあ本当は女だし、という言葉を胸の内にしまって、アイリーンは優しく言う。
彼女がここで、止まってしまわないように。
「気にしないでいい。男性不信にならない方がおかしいよ。でも、君は信じる男を間違っただけだって、心のどこかで覚えておいて。――君を傷つけたのは男かもしれないけど、助けたのも同じ男だったんだから」
レイチェルは頷かない。そのかわりにきゅっと手を握りしめて――まっすぐ顔を上げた。
「私、特別な存在になりたかったんです」
ゲームにあった台詞に、アイリーンはまばたいた。レイチェルは真面目に続ける。
「友達を助けたいっていう動機も、多分それでした。セレナ様みたいに女子を助けられるかっこいい特別な女の子になりたいって思って……でも真っ正面から戦うのは怖くて、教授のことも疑わずに仲介しちゃったんです。ほんとに友達を助けたいなら殴られたって蹴られたって、こんなの間違ってるって、自分で向かっていけばよかった」
「君は悪くないよ。悪いのは君たちの声を拾い上げない環境だ」
ちらっとウォルトを目線で責めてみたが、ウォルトは綺麗に無視をした。
「それでもです。――私、自分から婚約解消を切り出します。借金を返しても、きっと、私が弱いままじゃ、なんにも変わらないから……」
「うん、そうだね。それがいい」
「私、本当にかっこいい女の子になりたいです。男の人の顔色をうかがって、びくびくせずにいたい。だから――もし、よければ、警備隊に入れていただけませんか。力仕事はできないかもしれませんが、雑用でも何でもします」
驚いたが、すぐに笑顔が浮かんだ。
「もちろん、歓迎するよ。よろしくね、レイチェル」
「はい! アイリ様」
「隊員四号だな、よろしく」
しれっと挨拶を交わすウォルトにアイリーンは眉をひそめる。
「まさか先輩が隊員三号ですか? ぼく、許可した覚えないですけど」
「え、なんだい。昨夜、秘密を語り合った仲だろう」
意味深なウォルトにレイチェルがまばたいたのを見て、アイリーンはため息を吐く。
「分かりました。では早速仕事です。この空き教室を警備隊の部屋にするよう、ゼームス会長に許可をもらってきてください」
「お安いご用さ」
「な、なら私、このお部屋を使えるようお掃除しますね! 掃除道具、借りてきます!」
ぐっと拳を握ったレイチェルが掃除道具を求めて、ぱたぱた部屋を出て行く。
二人きりになった教室で、ウォルトが確認した。
「それで、ゼームス会長や百合の貴婦人たちにはどう報告を? レイチェルちゃんをかばうなら、魔物の仕業にするのが一番簡単そうだけど」
「犯人はケーニヒ教授だって報告しますよ。レイチェルは無関係です。生徒への影響を考えて事実は公表しない方がいいと書き添えれば、完璧でしょう」
「それじゃケーニヒ教授が黙ってないんじゃないか?」
「教授が学園にこなくなってから報告すればいいじゃないですか」
そうすれば教授は異議など出せない。時間もそうかからないだろう。
「それでもゼームス会長がぼくの報告に不備があるというなら、この件を記事にしてもらいましょう。腕のいい記者と懇意なので」
市街にはジャスパーが待機している。それをにおわせると、ウォルトが眉をよせた。魔香の潜入調査中に、学園内に外部からの横やりを入れられたくないのだろう。
「百合の貴婦人たちには、ケーニヒ教授を懲戒免職にしてから報告すればいい。それで納得してもらえますよ。自分たちの母校が連日新聞で叩かれるのを見たくはないでしょう」
「……確かに、ああいうご婦人たちは醜聞を嫌う。なるほど、報告は完璧だ。それにしても意外だった。君みたいな正義感に溢れるお嬢さんは、悪を白日の下にさらすものだとばかり」
「あんな小物はどうでもいいですから。それに今回の真犯人って教授で正しいんです?」
ウォルトは瞠目したあと、笑みだけを残して答えなかった。だがそれが答えだ。
ケーニヒがレイチェル達の悩みを知り、手紙を手に入れたのが偶然ではないなら、真犯人の候補は一人心当たりがある。
(レイチェル達は、セレナに相談した)
アイリーンは窓辺に立って、階下の生徒達を見た。
ゲームでは、学園内に自生する芥子から魔香が作られていた。しかし今朝確認したところ、わざと残した一部はそのまま残っており、手をつけた様子がなかった。
リュックとクォーツはクロードの公主就任直後に研究生として潜りこませている。芥子が採取されたとしたらそれ以前だ。ずいぶん前に魔香を作ったことになるが、それはゲームで魔香が出てくる時期と合わない。
(まさか、教会からの魔香が横流しされてるとか……?)
本来ならゲームに関係ないケーニヒが魔香とかかわったのは、ゲームと魔香の出所が違うからではないのか。ウォルト達が魔香使用の疑いがあるケーニヒを泳がせていたのは、そこから元締めに迫ろうとしたからだとすると、説明もつく。
(ゲームでは、魔香に手を出すのはゼームスだけど……)
一体誰が、どこから手に入れて、何を目的にして使っているのだろう。
窓の外ではセレナが女生徒達とにぎやかに笑っている。――彼女は、女生徒から預かったはずのオーギュスト宛の手紙を、今回はどうするのだろうか。
――答えは意外なところからいつも見つかる。
「優しいオーギュスト様へ、だって」
「誰が書いたんだよ、あれ。私の夢に出てきましたとかさー」
「警備隊だ、ここから離れて!」
掲示板の前に集まっていた生徒達を追い払い、掲示板に張り出された可愛い便せんをちぎり取る。本人に返す方が酷だろうと、そのまま握りつぶした。
(ラブレターを掲示板に張り出すって典型的な嫌がらせだけど……ここまでする?)
ひょっとしてオーギュストに誘いを断られた腹いせなのだろうか。ずいぶん短絡的だ。
苦々しく思っていると、ぐいと肩を引っ張られた。二つ分背が高い男子が、アイリーンをにやにや見下ろしている。
「面白いもんが張り出されてるって聞いたから見にきたんだ、見せろよ」
「警備隊、関係ないだろ。掲示板はみんなが見るものですー」
「ちょっ……何するんだ!」
後ろから羽交い締めにされたアイリーンがばたばた暴れるが、男子生徒達は頓着しない。手紙が取り上げられそうになったそのときだった。
「見苦しい、やめろ」
「……カ、カイル様……」
アイリーンと男子生徒達の間に落ちた手紙を拾い、カイルがそれをアイリーンに差し出す。
「多勢に無勢は、卑怯だと思うが?」
「い……行こうぜ」
男子生徒達が、目配せし合って逃げ出す。生徒会では会計をつとめているカイルだが、武芸が達者なことで有名なのだ。体術の授業で複数人を同時にたたきのめしたこともあるらしく、男子生徒が逃げ出したのはそのせいだろう。ウォルトと同じ“名もなき司祭”として教育を受けた所以なのだろうが、長身の体躯と物静かな眼差しが相まって威圧感がある。
「ありがとう、ございます……」
「それなりのたしなみはあるようだが、体があまりに細すぎる。力もないだろう。弱い者が警備隊など、愚の骨頂では?」
まっとうな指摘をしてくるあたり、ウォルトからアイリーンが女だと聞いていないようだ。
(ゲームでも仲悪そうだったものね……そりが合わないライバルみたいな……)
仕事についても、つかず離れずの距離でやっているのだろう。
「それに、掲示板に張り出された手紙の回収は警備隊の仕事ではないだろう」
「でも、放っておけないですよ」
「――他人のために、よくそこまで働ける」
「え? 自分のためですよ。こんなの間違ってるとぼくが思ったから回収したんです」
当たり前のことを答えたのだが、カイルは驚いたようだった。だが瞠目したのはほんの一瞬で、呆れたようにため息をこぼす。
「変わり者だな、君は。弱いくせに」
「心は強いので。改めて、有り難うございました。助かりました」
「いた、アイリちゃ――なんだカイル、お前もか」
ぺこりと頭を下げたところへ、ウォルトが駆けてくる。嫌そうなウォルトの顔と対比的に、カイルはどこまでも冷静だ。
「何かあったのか」
「……まあね。どうせすぐ伝わると思うから言うけど。出たんだよ、アシュタルトが」
顔を上げると、ウォルトが唇だけで笑った。カイルは眉をひそめている。
「よりによって、裏口にある掲示板に貼り付けてあってね――」
『聖剣の乙女の首を差し出さない愚かな人間ども。次は、ミーシャ学園だ。学園祭で降る血の雨に後悔しろ』
クロード・ジャンヌ・エルメイアがミーシャ学園を守るため、学園長代理としてミーシャ学園に定期的に通うという報告が入ったのは、そのすぐあとのことだった。




