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ケーニヒの悲鳴が響く。
どういうことかさっぱり分からないが、アイリーンは逃げていった誰かではなく、悲鳴がした方向に突っ切って進むことを選んだ。
(確かこのあたりって、裏庭――)
唐突に、視界が開けた。
意識を失っているケーニヒを芝生に落ちる。月明かりの下で、ゆらりと影が揺れた。
青に透けて見える銀の髪。そこから生える二本の角。背から生える、黒の翼。魔王と同じ赤の瞳。
月夜の下にたたずむその魔性の姿は、堕天使のように美しい。
ただアイリーンには、その姿にも光景にも見覚えがあった。
イベントのスチルだ。
(まさか、ゼームス!? どうして魔物になってるの!? やっぱりこのにおい――)
じりと魔物が距離を取るように一歩下がった。同時に、背後で茂みをかきわける音が鳴る。
今、ここへくるとしたら、ウォルトだ。叫んだのは、とっさの判断だった。
「逃げろ、早く! 君が吸血事件の犯人じゃないなら!」
魔物が驚いたように顔をあげた。だがそれは一瞬で、翼を使い、飛び去る。
直後にうしろから発砲音が響く。
その銃弾はアイリーンの横を通り過ぎ、小さくなる魔物の影を追っていった。
「……君、今魔物を逃がさなかった?」
「なんのことですか、先輩」
発砲した銃を隠そうともせず、ウォルトが月明かりの下に出てくる。そして笑顔のまま、近寄ってきてアイリーンの胸ぐらをつかんだ。
そのまま銃でも突きつけられるのかと思いきや、力任せに胸元を開かれた。制服のボタンがはじけ飛び、布で巻き付けた胸があらわになる。
とっさに胸元を隠そうとしたが、ウォルトに力任せに地面へと押し倒された。だがその無駄な動作を見逃さない。
アイリーンの額に銃をつきつけたウォルトが目を細める。その首元には、アイリーンの剣先が突きつけられていた。
「やっぱり女か。……何者だ? 言え、返答次第では人間でもただではすまさない」
甘い笑みはそのままだが、声色は低い。
冷静に、と言い聞かせながらアイリーンも不敵な笑みを浮かべた。大丈夫――取引材料は、ある。
「教会の調査能力も大したことないのね?」
「なんだと」
「わたくしはあなたが何者か知っていてよ。ミルチェッタ教会からの粛清者“名もなき司祭”。魔物も討伐できるよう教会がひそかに育てている、魔香による強化人間。手に持っている聖銃がその証拠」
ウォルトが手にしている銃を見て、そう言う。
聖銃とは、聖水で清められた銀弾を放つ特別な銃だ。下位の魔物なら一発で息絶える威力がある。
「へえ、物知りだな。ま、この銃を見ればその手の関係者にはすぐ分かることだけどね」
「そんなあなたと一緒に学園へ送り込まれたのがカイル先輩」
ウォルトが瞠目した。アイリーンはゲームの知識を、さも調べた情報のように並べ立てる。
「二人とも、最年少で名もなき司祭になった優秀な人物。そんな人材が二人もここへ送り込まれたのは、ずっと教会が追っている上級の魔物がここに隠れているという情報を得たから。そして魔香がここで使われている可能性があるから――違って?」
「――君は、何者だ」
同じ問いかけを、先ほどより慎重に、ウォルトが繰り返した。
意味深な笑みを浮かべて、アイリーンは口を動かす。
「離してくださる?」
情報量の差で一方的に蹂躙できる相手ではないと悟ったウォルトが、銃を引く。アイリーンは無事なボタンで胸元をとめて、起き上がった。
「わたくしはあなたの正体を黙っている。だからあなたも、わたくしが女だと黙っていてもらえるかしら。今夜はそれでお別れしましょう?」
「……俺が、それで引き下がるとでも?」
「なら、わたくしが一体誰なのかくらい、暴いていただけないかしら。魔物を討伐するためなら赤子も殺す“名もなき司祭”なんでしょう?」
ミルチェッタを本部とする教会は、エルメイア皇国内でも大きな組織だ。だが、アイリーンの父親であるルドルフは、教会ごときに出し抜かれるやわな経歴詐称などしない。
それにアイリーンの方に意識が向いてくれた方が、ゼームスの安全を確保しやすい。彼らが追っている上級の魔物は、ゼームスなのだ。
(まだ人間に戻れるとは思うけれど……)
アイリーンに襲いかかりもせず逃げたのは、正気だった証拠だ。大丈夫だろう。
「……俺にそんな啖呵切った女は初めてだ」
そう言って、ウォルトは銃をしまった。着崩した制服が、上手に銃を隠してしまう。
「いいだろう――その条件、呑むよ。君が女性だと周囲にばらしたところで、俺に利はなさそうだしね。逆に俺たちの正体を言いふらされて、魔物に警戒されては困る。互いの正体は、俺たちだけの秘密ってことにしておこう」
「話が早くて助かるわ」
「教会の連中にも化け物扱いされる俺たち相手に、大した度胸だ。一応確認するけど、あのアイザックとかいう生徒も君の仲間かな?」
「隠しても無駄そうだし、肯定しておくわ」
「聡明なお嬢さんだと仕事が楽でいい。――で、その教授はどうするんだい、警備隊長」
言われて、アイリーンはまだ気絶しているケーニヒを見て、ウォルトを見る。警備隊長という呼びかけは、切り替えの合図だろう。
「教授とレイチェルの会話を証言してもらえますか、先輩」
「困ったな。それはできない。今夜、君といたことを誰にも知られたくないんだ」
怪しげな言い回しだが、要は魔物に正体がばれたら警戒されてしまうと言いたいのだろう。
そこは妥協すべきだと、アイリーンは判断した。
「わかりました、じゃあレイチェルのところへ戻ります」
「あれ、いいの? あの教授ほっといて。気を失ってるだけみたいだけど」
「ぼくとアイザックの証言だけじゃ、捕まえても言い逃れされるか、魔物がどうこう言われるだけです。それに、レイチェルをかばえなくなる」
ウォルトが驚いた顔をした。
「先輩は、ケーニヒ教授を調べたらどうです? あからさまに人間離れした動きを見せてました。何か出てくるかもしれませんよ、魔香とか」
「ああ……いや、いいんだ。こいつはわざと泳がせていた奴だから」
「……それをぼくに教えていいんですか?」
「別に大した情報じゃない。じゃ、レイチェルちゃんのところに戻ろうか、アイリちゃん?」
その呼び名に一瞬眉をつり上げる。それを見て、ウォルトが何故か楽しそうに笑った。
「反応したってことは、アイリって名前は君の本名に近いのかな?」
「さあ、どうでしょうね」
「つれないな。俺たちは互いの秘密を抱える仲じゃないか」
「そうですね」
これ以上まともに相手にするのは時間の無駄だと、アイリーンは来た道を引き返す。
ウォルトは何故か機嫌よさそうに、そのうしろをついてきた。




