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ゼームス・シャルル。
魔物と人間の禁断の恋から生まれた彼の最初の不幸は、彼の母親がミルチェッタ公主の愛娘だったことだ。
ミルチェッタ家は魔物と駆け落ちした彼の母親をとらえ、教会に依頼して彼の父親をだまし討ちした。夫を殺された母親は、その命と引き換えにゼームスを逃がす。
しかし、ゼームスには悲しむ時間もなかった。彼を亡き者にするため、母親の弟――彼の叔父が、教会を使い彼を亡き者にしようと追い回したのだ。
半魔では魔物にも警戒され、味方につけられない。薄汚れた子どもを人間だって受け入れはしない。半魔である自分を隠しながら、ゼームスは必死で逃げ延びた。母親の「生きて」という最後の願いをかなえるために。
成長しうまく人間の中に溶けこむことを覚えた彼は、追手を嘲笑うようにミーシャ学園に首席で入学し、生徒会長になった。目立つことで簡単に暗殺できないよう一計を講じたのだ。
そんな彼は1のラスボスだったクロードと同じく、一周目で攻略できるルートがなく、聖剣に焼かれる未来しか用意されていない。二周目で攻略が可能になると、セレナの嘆願により聖剣が彼を人間にしてくれ、セレナと結ばれるエンディングを迎える。
だが現実に二周目はないし、何よりその結論にアイリーンは釈然としない。
(人間になって救われるってお約束なのはわかってるけど……彼はそれでいいのかしら)
ゼームスは誇り高い性格だ。――あなたは愛されて生まれた私達の子。胸を張って、どうか幸せに――そう両親から祝福されたから、半魔の自分を恥じていない。
そんな彼を人間にすることは、果たして救いと言えるのだろうか。
今、聖剣を持っているのはアイリーンだ。納得できないまま聖剣を使うと、ゼームスごと消し去りかねない。それはさけたいので、聖剣は最終手段だと考えている。
「アイリ・カールアを生徒会の庶務に推薦? 冗談もやすみやすみにしろ、オーギュスト」
放課後の生徒会室、逆光を浴びたゼームスが鼻で笑った。
むっとした顔のオーギュストが、黒檀の机の正面から迫る。
「冗談じゃないよ。俺、感動したんだ。この学園を変えるっていうアイリの心意気に!」
「転校二日目でそんな心意気を持つ生徒など、うさんくさいことこの上ない」
まったくもってそのとおり、とアイリーンは内心で頷いた。生徒会に入る目的は、ゼームスのラスボス化を防ぐための監視と観察だ。
だが、ついででこの学園も改革していいとは思っているので、声を上げる。
「ゼームス会長。ぼくは転校したばかりで、この学園のことをよく知りません。だからこそこの学園のことを理解するために生徒会に入り、そしてよりよくしていくことが自分の成長にもつながると思ったんです」
「そうだよ! それにアイリはここ以外の国のことを知ってる。そんな人物を生徒会に入れることはマイナスにならないだろ、ゼームス」
「この学園は“小さなミルチェッタ”、生徒会は“小さな国政”だ。国政に他国の介入を許す馬鹿がどこにいる」
「いいんじゃない? 俺は賛成だよ、アイリ君の生徒会加入」
壁沿いにある机に頬杖をついて声を上げたのは、ウォルトだった。思わぬ援護にアイリーンは視線を向ける。オーギュストはぱっと顔を輝かせた。
「だよな、ウォルト先輩!」
「他国からの優秀な人材輸入はよくあることだしね。なあ、カイル」
「学園祭を前に人手が足りないのは事実だ。この学園をよりよくしたいという同志が増えるのであれば、喜ばしいことだろう」
静かに応じたのは、カイル・エルフォード。この間は会えなかった生徒会の最後の一人だ。
黒髪に白い肌という東洋系の顔立ちをしたカイルはウォルトと同じ会計という役職を持つ先輩キャラだが、華やかなウォルトと静かなカイルは対照的で、並ぶととても絵になる。視線を投げたアイリーンに笑いかけたウォルトに対して、カイルはぴんと背筋をのばしたまま目もくれずものすごい勢いで書類をさばいているのも印象的だ。
(これで生徒会の攻略キャラは全員顔見知りね。でも肝心のセレナはいない、と……)
放課後の生徒会室に集まっていたのは、すでに帰宅したセレナを除くゼームス、ウォルト、そしてカイルの三人だった。
「これで三対一だ! セレナが反対したって三対二、ならいいだろゼームス」
「多数決など愚策きわまりない。そもそもあいつらは適当に言っているだけだろう」
「心外だね。俺はちゃんと優秀な人材って条件をつけたよ、ゼームス。ちょうどいい案件があるじゃないか。優秀かどうかためしてみるっていうのは?」
ウォルトの提案にゼームスが目を瞠る。だがすぐにいつものいけ好かない冷静な表情にもどり、アイリーンが問いただす前に、黒檀の机に両肘をつき手を組んだ。
「――なら、君が優秀でこの学園をよりよくしたい同志か、ためさせてもらおう。今、ちょうど私たちが手をつけられない案件がある。それを頼もうか」
あからさまに厄介ごとを押しつける気だ。オーギュストが若干不安そうな顔をしている。
だが、ここで引いても前に進めない。アイリーンは余裕の笑顔で受けて立った。
「ぼくでできることなら。どういった案件ですか?」
「一ヶ月ほど前、ある女生徒が怪我をしたんだが、犯人は吸血鬼だという噂がある」
「……吸血鬼……魔物ってことですか?」
そんな事件、ゲームにあっただろうか。不審な顔をしたアイリーンに、ゼームスは頷き、自分の首筋を指先でたたく。
「昏睡していた女生徒の首筋に二つ、血を吸われたような穴があったそうだ。本人も記憶がないと言って話にならない。そのせいで出た噂だ。私は事故扱いで放置していたんだが、それを百合の貴婦人たちに嗅ぎつけられた。ああ、百合の貴婦人たちというのはこの学園の卒業生で構成された保護者団体だ」
ゲームでも出てきた団体名だ。やはりゲームの設定が現実に存在しているらしい。
「女性達ばかりで、何かと口うるさ……細やかだ。学園祭前に何か事件が起こることを非常に懸念してらっしゃる。この学園の女生徒は淑女の卵。だから何かあっては困るとね」
なるほど、要はうるさい保護者の方々から調査を求められているが、ゼームスはくだらない噂だと相手にしたくない。面倒だからアイリーンに投げたいということなのだろう。
「こちらが事件を調査しなかったことで、公主代理にまで苦情を言いに向かったらしい」
公主代理。ぎくりと反応したアイリーンに、正面のゼームスも隣のオーギュストも気づかないでいてくれた。
「公主代理って……魔王だろ。勇気あるなー」
「犯人は魔王ではないかという詰問もかねての訪問と聞いてる」
「そのお仕事、引き受けます」
「は?」
「引き受けます。調査し、犯人を挙げればいいのでしょう?」
女生徒を襲ったとクロードが疑われている。これは婚約者として見過ごせない。
静かな怒りを燃やすアイリーンの気迫を感じ取ったのか、やや眉根を寄せたものの、ゼームスは咳払いをして頷いた。
「なら、まかせよう。それを無事解決したら、君を生徒会の庶務にする」
「では誓約書をお願いします。あとからそんなことを約束した覚えはないと言われたら、たまりませんので」
ふてぶてしく笑うと、後ろでウォルトが小さく噴き出した。ゼームスはため息を落とし、紙を取り出して羽根ペンを走らせる。慣れた手つきだ。文面も書式も完璧だった。ここが“小さな国政”だと呼ばれる理由がわかる。
「あともう一点、調査と同時に防犯もかねての警備も必要だと思います。ので、警備隊設立の許可もお願いしたいんです」
「警備隊?」
「帯剣も許可してください。犯人が魔物という噂があるならなおさらです。――百合の貴婦人たちへのパフォーマンスにもなるでしょう?」
ゼームスは顎に拳を当てて考えこむ。
「隊……ということはお前が隊長だとして、隊員はどうする」
「常時募集中です」
真顔の答えに、ゼームスは挑発的に笑った。
「いいだろう、許可する。――集まるものならな」
「有り難うございます」
「では、警備隊の設立につき、最初の君の仕事はこれだ」
誓約書の他に何か書いていたゼームスが、最後にサインと判を押した書面を、くるりとアイリーンの方へと反転させた。
警備隊の設立に関する報告書だ。今までの話し合いの内容がざっとまとめてある。
話をしながらこれを書いたのか。大した情報処理能力だとアイリーンは内心で舌を巻く。
「この書面に、学園長――つまり公主代理の許可をもらってこい」
「……。はい? 学園長が、公主代理?」
「代々、ミーシャ学園の学園長はミルチェッタの公主が兼任している」
「はあ!?」
そんな設定、初めて聞いた。
(つ、つまりクロード様が今の学園長……っちょっと待って! 学園に顔を出す可能性があるってことなの!? ……も、もし偶然、鉢合わせでもしたら)
ぶるっと身震いしたアイリーンに、ゼームスは鼻を鳴らす。
「なんだ、魔王に会うのが怖いのか。今から魔物の仕業と疑われている吸血事件の解決に挑むのに? 威勢がいいのは見かけだけというわけだ」
「そ……そういう、わけでは」
「さすがに新しい機関の創設ともなれば、学園長のサインと判がいる。ああもちろん、行きたくないというのであれば、それでいい。この話はなしだがな」
誓約書を指でつまんでゼームスが笑う。
(クロード様にばれたら、即強制送還……!)
男装しているから大丈夫――などという甘い考えはできない。あの人は見抜く。そんな確信があった。
というか目の前に立って見抜かれなかったら、それはそれでどうなのだ。
(いやそうじゃないわ、今は! どうしたら……)
さまよった視線が、整然とした生徒会室の隅に置かれた雑多に積み上げられた物の山をとらえた。
学園祭用に集めてある小道具なのかもしれない。あ、と瞠目する。
「さあ、どうする? 魔王に判をもらい行くか、行かないか」
黒檀の机に置かれたままの書面に指を伸ばす。ぐっと力をこめて、それをつかんだ。
だましきる。その相手が魔王でも、愛ゆえに。
「――行きます」




