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最後のサインを終えて、自ら丁寧に手紙を折りたたむ。
婚約破棄を考えるなどと言われた際はどうしてくれようかと思ったが、こうして人間らしく距離を感じながら手紙を交わすというのもなかなかいいものだ。
こういう『普通の人間らしさ』をなくしてはいけない。人間の王にもなるならば。
「クロード様、百合の貴婦人たちって保護者団体の方が、客間でお待ちですよ。ミーシャ学園の件で」
「ああ、今行く。……キース」
封緘までしてから、クロードは悩みを打ち明けた。
「手紙をそのまま彼女の手に転移させたら、怒るだろうか?」
「……しない方が無難なんじゃないですかねえ。手紙を待つ時間ってのも、人間の恋人にはあるものでしょ」
「そうか……なら、アーモンドに頼んでおいてくれ」
大げさに頭を下げ、キースは手紙を懐にしまった。
「色ぼけてないで仕事もしてくださいね、我が主。ミルチェッタ公主のドラ息子に目の敵にされてるんですから。あのあたりの息がかかった連中、全部クビにしちゃって」
「無能を片っ端から切っていったら偶然そうなっただけだ。聖剣の乙女の兄弟などと自負するなら、その有能さで魔王をたおしてもらいたいものだな」
薄く笑ったクロードは立ち上がり、マントを翻して外へと出る。
人前ではできるだけ魔力を使わないことにしているため、応接間まで歩く。キースは天井を仰いでから、それについてきた。
「そうそうあのドラ息子、教会にだいぶ金を流してます。甥の暗殺依頼とかしちゃってるみたいで」
「甥? ミルチェッタ公主の子どもは彼とその姉の二人だろう。姉の方はもうずいぶん前に亡くなっていると公主は言っていたが、姉の隠し子でもいるのか」
「似たようなものです。ドラ息子が隠したみたいで、公主はそのことを知らない。――姉は二十年近く前に駆け落ちしたらしいんですよ、魔物と」
思わず足を止めた。静かに確認する。
「……なら、半魔の子どもがいるのか」
「そうです。ドラ息子はそいつが怖いんですよ。魔物と駆け落ちしたと聞いて公主は激怒したそうですが、それでも姉をかわいがっていた。一方でドラ息子は公主と折り合いが悪い。もし姉に子どもがいたとわかれば、次の公主に自分ではなく甥が選ばれるんじゃないかと考えているようです」
「甥が半魔でもか?」
「半魔なら人間として生きていけるでしょ。教会を使って執拗に甥を探してますよ。私達には黙ってますが、身内にはアシュタルトはそいつに違いない自分に復讐するつもりだって息巻いてると、アーモンドから報告がありました」
「それはないだろう。その甥がアシュタルトなら恨まれているのはミルチェッタ家だ。アイリーンを狙って僕にまで喧嘩を売る必要がない」
「よほど後ろ暗いことしてるんでしょう。我が主相手じゃ半魔だから犯人、殺してしまえなんて通りませんし。……魔物の父親はすでに殺されたようです」
クロードは短く嘆息した。
「その半魔がアシュタルトだとは限らないが、気にはとめておく」
「そうしてください。ひょっとしたら何かに使えるかもしれません。そうそう、もうそろそろベルゼビュートさんを護衛に戻しますね。襲撃された村はだいぶ復興進みましたし、魔物達による見回りもうまく動き始めましたので」
キースの報告に頷き、再度歩き出す。本当は廊下を移動している時間も今は惜しいのだ。
「襲撃時の情報は何かつかめたか」
「襲撃したのはその周辺に住む魔物でした。先導した魔物はおらず、暴れるだけ暴れてちりぢりになってます。ベルゼビュートさんがとっつかまえて尋問したんですが、どうも記憶が混乱してるらしくて一体何があったのか、どうしてそんなことをしたのか、今ひとつ要領を得ません。ただ気になる報告が一つ。襲撃時、村では妙に甘ったるい匂いがしたそうで……」
「匂い?」
現在調査中です、とキースが答える。
「魔物に対する住民達の反応はどうだ?」
「先の対応と行動の早さがよかったのか、概ね好意的です。死人も出てませんしね。わめいてるのはクロード様が片っ端から切り捨ててる貴族の方々ですよ」
「僕の方針は変わらない」
ですよねーと語尾を軽く伸ばしたあと、後ろについたキースは静かに答えた。
「転んでもただでは起きたくないですからね。いっそミルチェッタを我が主の国にしてしまいましょうか? さっきの甥の件以外にも叔父は色々やってます」
「そうだな。アイリーンの手土産に……いや、こういうのは彼女は嫌うか?」
薄く笑ったクロードに、キースは首をひねった。
「清濁呑みこむ度量はある方ですけど、魔王な我が主のことは苦手っぽそうですからねぇ」
「僕が彼女に見せている魔王な部分など、ほんの一部だ」
彼女が思うよりもっと、自分は冷酷非道な人間だ。それこそ、魔王よりも。皇太子として再度人間の世界に戻ってからさらに、そう自覚した。
馬鹿馬鹿しい腹の探り合い。小賢しい手のひら返しと、裏切った方が勝つ世界。捨て置いていた場所にくすぶっていた怒りが、たまに再熱しそうになる。
「アイリーンをおびえさせないよう、気をつけないとな」
「ああやだ、めろめろだ我が主」
彼女は今、何をしているだろう。そう考えるだけで切なさと愛しさがこみあげる。これが離れている人間の距離だ。
(おとなしく待ってくれていればいいが)
魔物からは何も報告はない。ならば恋人らしく、指折り手紙の返事を待とう。
廊下の窓から見上げた晴天は彼女の頭上にも続いているのだから。
『愛しい僕のアイリーン。君と会えない時間は今までもあったはずなのに、こうして距離があるととてもつらく長く感じる。君と出会わず生きてきた二十五年が信じられないほどだ。
君の顔が見たい。声が聞きたい。抱き締めたい。青く澄む空も君の瞳の輝きにかすむ。月夜の安らぎも君の肌ほど柔らかくない。
そして不安になる。僕をまだ愛してくれているだろうか――君を置いていった僕に怒るのも無理はない。会えないだけでこんなにも切なくなるのだと、僕は知らなかった。これこそ、魔王である僕の驕りなのだろう。
だがどうか、誤解しないで欲しい。
僕は君の前ではただの男だ。君なしではもう生きていけない、君を失うくらいなら世界を滅ぼしてもかまわない、愚かなただの男にすぎない。
女神より気高い君が、僕と同じ気持ちでいてくれるだろうか。君を前にすれば、魔王もただひざまずき愛を乞うしかない。
だからどうか、僕を愛していると言って欲しい。君と会えない世界を僕が壊してしまう前に。
返事を待っている。
クロード・ジャンヌ・エルメイアより、愛する君へ』
「アイリーン、どうした。なんか報告があるんだろ?」
「ええ、アイザック……報告があるから呼び出したのだけれど……今から生徒会に入るために乗りこむのだけれど……」
「はあ? お前、目立つなって俺が言うそばから……!」
「待って、事情はちゃんと説明するわ。それより大きな問題が発生したのよ……さっき、アーモンドからクロード様の手紙を受け取って……」
「ばれたのか!?」
「……ばれてはいないんだけれど……こんな手紙にどんな返事を書けって言うの!?」
アイリーンの叫びが空に響く。
――そう、その空は実は案外近くだったりすると、クロードはまだ知らない。




