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今の婚約者に自分はそうとう愛されているらしい。
苦悩しつつ、それでもどうしてもアイリーンを連れて行くことは承服できなかったクロードは「文通に魔物を使うのはいいんだな」と何度も確認して、ミルチェッタ公国へと旅立っていった。
笑顔でそれを見送ったアイリーンは、早速行動を始めた。
もちろん『聖と魔のレガリア2』の舞台であるミーシャ学園をさぐるための準備だ。
ゲームがもし始まっているなら、アシュタルトなど関係なしにミルチェッタ公国は滅びてしまう。魔香も表に出てきたら面倒なアイテムだ。内々に処分してしまうに限る。
それに今、対処できるのは自分だけだ。
クロードは感情で判断をひるがえしたりしない。婚約破棄をにおわせても、結局アイリーンを置いていく人だ。何か根拠になるものをあげて説得しないと、見つかった瞬間にアイリーンは強制送還されるだろう。
つまり、アイリーンはミルチェッタ公国にいるクロードに見つからないよう、ミーシャ学園をさぐらなければならない。
なお、ミーシャ学園はクロードが住むであろう公主の城と同じ市内、高い建物のてっぺんが目視できるくらい目と鼻の先にある。
(ゲームが始まってないならそれでいいわ。せめてそれだけでもつかむ……!)
そのためにはアイリーン自身がミーシャ学園に潜入することが必須だった。
協力者はオベロン商会の幹部であるアイザック、ドニ、リュック、クォーツと新聞記者のジャスパーといういつもの面子に、今回はアーモンドを含む魔物達も巻き込んだ。「ミーシャ学園に魔物にも危険な香があるという情報をつかんだ、クロード様を助けたい」と言うアイリーンに当然説明が求められたが、そこは「それを確かめにいく」でおしとおした。
クロードほどアイリーンに強く出られない皆は、最終的にアイリーンを一人で行動させるわけにいかないという結論に達したらしく、クロードに内密で渋々付き合ってくれることになった――アイザックいわく「魔王様にばれたらお前が全責任負えよ!」という条件つきで。
そして、ミーシャ学園にある大学院へリュックとクォーツは研究生として、アイザックは同じ学生としてアイリーンと一緒に潜入することが決まった。
(念のためよ。もしゲームと関係ないならすぐに撤退する……!)
クロードに怪しまれたら、まばたき一つで強制送還だ。
そのため、アイリーンを含め名前のみを残し、全員の素性を偽装した。娘を困難な状況に追い込むのが大好きな父親ドートリシュ公爵の協力なので、書類上の隙はない。各自潜入する時期も理由もずらし、アイリーンに至っては、念のため名前どころか性別まで偽った。
――その結果が、今まさに始まった楽しい男装潜入学園生活である。
「男装、お母様に仕込んでもらっておいてよかったわ……」
「何か言ったか、アイリ」
「いや、なんでもないよ」
笑い返したアイリーンを、オーギュストが怪しむ様子はない。ちょっと小柄なだけの男子生徒だと思っているのだろう。
(まずは第一段階突破ね。でもオーギュストがこの学園にいるってことはやっぱり、ゲームは始まってる……?)
オーギュスト・ツェルム。彼はれっきとした攻略キャラだ。
聖剣の乙女リリアにより魔王が斃され、魔物の脅威から解放されたエルメイア皇国。『聖と魔のレガリア2 ~滅びの国と救いの聖女~』はその直後の設定で始まる。
不遇な伯爵令嬢であるヒロインが卒業までに、真実の愛を見つけられるか。一方で魔王を喪った魔物側の最後の抵抗が始まる――というのが大まかなストーリーだ。
その中で、オーギュストは1で言うところのセドリックの立ち位置だ。いわゆるベストエンディングで、彼はリリアから聖剣を借りてラスボスを斃し、聖騎士の称号を得ることになる。
「それにしたってお前、強いな。さっき女子に絡んでた奴の方が体格でかかったのに」
「たしなみ程度の護身術だよ。オーギュストの方が背も高いし、強そうだ」
「ま、剣の腕には自信あるけどな。悪いな、さっきの……最近ああいうの多くてさ。アイリみたいな奴がもっと増えてくれたら、この学園も変わると思うんだけど……」
そうつぶやく彼は、女性蔑視が強いこの学園を苦々しく思っている正義のヒーローだ。女性は守るべきものという意識を持っている。それは母親を守れなかった負い目の裏返し――という設定があるのだが、そこはまあどうでもいいとアイリーンは割り切った。
今回、アイリーンが男のふりをしてまでここへやってきたのは、攻略のためではない。
(でも、ヒロインもラスボスもメイン攻略キャラも全員生徒会のメンバーだから、そこの情報は欲しいわね。仲良くなっておくべきだわ。好感度を上げる会話は……え、でもわたくしそもそも男子だと思われているけれど、有効なのかしら?)
「ここが生徒会室だ」
目の前の扉に意識を戻す。オーギュストがゆっくりと扉を開き、中にいる人物が見える。
「どうしたんだい、オーギュスト」
柔らかい口調で声をかけたのは、少し制服を着崩した学生だった。襟元に光る学年章から、一つ上の学年だとわかる。
「ウォルト先輩。生徒会室にいるなんて珍し――まさか、また女子から逃げてきたんじゃないですよね?」
「人聞きが悪いな。まるで俺がいつも厄介ごとを抱えてるみたいじゃないか」
談笑している二人を眺めながら、アイリーンは知識を引っ張り出す。
ウォルト・リザニス――色男の軟派キャラで、生徒会の役職は会計。彼も攻略キャラだ。女性に優しいためもてるが、それはあくまで表の顔。裏に秘密がある、大人びた人物である。
(ああもう、ゲームどおりじゃないの……ヒロインと会うまでは断定できないけど、これはもうほぼゲームが始まってるんじゃ……)
「でもウォルト先輩だけしかいないんですか? カイル先輩は?」
「カイルなら、図書館だよ。静かな場所で食べたいんだそうだ」
カイルというのはウォルトと同じ会計だ。
もちろん攻略キャラで、ウォルトと対照的にきっちりとした真面目なキャラとして描かれていた。そしてウォルトと同じく、魔物との戦いにおいて重要な役割も担っている。
(まあ、それはともかくとして――ヒロインがいないわね)
セレナ・ジルベール。それがヒロインの名前だ。アイリーンと同じ十七歳、ゲームどおりなら生徒会の書記になっているはずである。
彼女がいなければゲームは始まらない。希望が見えた気がしたが、その答えははからずしてウォルトが教えてくれた。
「そういえばオーギュスト、この間の議事録。セレナちゃんがあとで確認してくれっておいてったよ。そこの机にある」
ああ、やっぱりいるのか。ほとんど諦めの境地で、アイリーンは会話に耳をすます。
「はい、分かりました。こんなに早く仕事するなんて、真面目だなぁ、あいつ」
「真面目ねぇ……ま、白百合姫になりたいなら頑張らないとね。――ところでその子は?」
ウォルトにちらと観察するような目を向けられて、アイリーンは丁寧に辞儀をした。
「初めまして。転入生のアイリ・カールアです」
「……ふぅん? ずいぶん可愛いね。で、転入生が生徒会になんの用だい」
「ゼームスの呼び出しで――あれ、そういえば肝心のあいつは?」
「奥の資料室。過去の学園祭の手順を確認してるらしい。生徒会長こそ真面目だよね」
「あー……ごめんアイリ、ちょっと待っててくれ。呼んでくるから」
そう言い残してオーギュストが奥にある扉に向かう。ゼームス、と呼びかける声の合間に、ウォルトが立ち上がってこちらに来た。
「生徒会長は怖いから、俺はおいとまするよ転入生君。頑張って」
「はい」
そのまま横を通りすぎるのだろうというアイリーンの予想を裏切って、ウォルトが足を止めた。何だと見上げると、腰をかがめたウォルトの顔が鼻先にせまっていた。
アイリーン・ローレン・ドートリシュなら反射でひっぱたいているところだが、完全に不意をつかれたせいか固まってしまう。
「……君、いいにおいがするね?」
「は、はい?」
「俺、においには敏感なんだよね。ほらいい女っていいにおいがするっていうだろ?」
先に驚いたせいか、アイリーンは動揺を見せずに返してみせる。
「そうなんですね。ところで先輩、近いです」
ウォルトもアイリーンの冷静な指摘に、失礼と距離をあけた。
「恋人でもできたら是非確認してみてくれ。じゃあ、また今度」
最後まで意味深な笑みを浮かべてウォルトが出て行く。
(……。女だってばれたわけじゃないと思うけど……香水もつけてないし……)
気になって服の裾を嗅いでみたが、清潔な石けんの香りしかしない。まさか石けんのにおいが男らしくないのかと悩みそうになったとき、奥の部屋からオーギュストが出てきた。
「お前が呼んだんだろ、ちゃんとしろよ」
「待たせておけばいいだろう。私は忙しいんだ」
埃を払いながら出てきた人物は逆光を浴びていて視認しづらかった。アイリーンは目を細めて、その男子生徒が生徒会長の机の前に立つまで待つ。
ゼームス・シャルル。本来ならば、ミルチェッタ公国の公子だった人物――そこまで思い起こして、クロードと設定が似ていることに苦笑いしそうになった。
彼が、2のラスボスとなるキャラ。乙女ゲームらしく生徒会が巨大な権力を持つ、ミーシャ学園の生徒会長だ。
オーギュストとは対照的な、色素の薄い髪にガラス玉のような瞳。スチルは覚えていたが、人外じみた美しさを持つ人物だ。それもそうだろう。
魔王を頂点に、魔物はことごとく美しい――半魔の彼が見栄えがいいのは当然の帰結といえる。
そう、彼は半魔であることに苦しむ2のラスボスだ。
彼は、出自のせいで命を狙われている。魔物にも人間にもなれず居場所がない彼は徐々に追い詰められ、魔香を使い魔物をけしかけてミルチェッタ公国に反撃をするのだ。
そして人間を捨て魔王の後継者を名乗り、居場所を求め、最後は聖剣で斃される。
(でも彼は、まだ何もしてないかもしれない)
慎重に見極めねばならない。なぜならアイリーンは魔王の妻になる女だ。何もしていないのであれば、半魔だからなんて理由で裁くのは魔王の妻として失格である。ゲームの展開を防ぐためにと、彼を安易に始末する気はなかった。
「君が転入生のアイリ・カールアか。……オーギュストから聞いた。さっそく騒ぎを起こすとは、面倒なことを」
「ゼームス、さっきのは相手の方が悪いんだって説明しただろ。そうじゃなくて」
「女を殴ったくらいでいちいち問題を起こすようなら、即刻出て行ってもらいたい」
「――女を殴ったくらいで?」
アイリーンの低い声に、ゼームスに食い下がっていたオーギュストが固まってしまった。
だが、ゼームスは素知らぬ顔で生徒会長の椅子に座る。さながらどこかの支配者のようだ。
「あんなもの日常茶飯事だ。いちいち対処していたらきりがない」
「……つまりこの環境を改善される気は、生徒会長にはないということですか?」
返ってきたのは嘲笑だった。
「転校生はよく勘違いするから困る。正義の味方気取りをしたいなら、それなりの立場を得てこい。そしてこの学園では、私が絶対だ。覚えておけ」
ああ、そういえばそういうキャラだったと思い出したので、アイリーンの鍛え抜かれた表情筋は笑顔のまま動かなかった。
「用件はそれだけだ。私は学園祭の準備で忙しい。寮に戻って明日からの学園生活を楽しみにしているといい。……きっとろくなことにはならないだろうからな」
そのまま再度資料室に向かうゼームスに、アイリーンは笑顔を保ったまま思う。
(クロード様は本当にすごいわ)
彼は強者が持つ力に溺れない。誘惑に負けそうな自分はまだまだだ。婚約者として精進をこころがけたい。
だから決して、半魔の彼に背後から聖剣を使ったりしないのだ。




