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聖女の凱旋門と呼ばれるアーチ型の門の前で、四頭引きの馬車が止まる。
馬車から降りた人間は一人。紺を基調とした学園の制服を着ていた。
学園内の馬車での移動は禁止されているため、市街との境であり学園の入り口でもある聖女の凱旋門の前から、馬車が走り去っていく。
取り残された人物に、門の内側から同じ制服を着た青年が声をかけた。
「えーっと……お前、転入生のアイリ・カールア?」
頭一つ分は高い赤褐色の髪の青年を見上げる。少し小首を傾げたせいで、布を巻き付けて平らにした胸元の赤いタイと、短い金髪がゆれた。
「ええ――いや、そうです。あなたは?」
「あ、俺はオーギュスト・ツェルムっていうんだ。ミーシャ学園の生徒会副会長をやってる。転校生に生徒会室まできてもらえって会長の指示で迎えにきたんだ。えーっと……アイリって呼んでも?」
こくりと頷く。本名に近い名前の方が、反応が楽だ。
「よろしくお願いします、ツェルムさん」
「オーギュストでいいよ。丁寧語もいらない。同じ学年だろ。堅苦しいの苦手なんだ、俺」
そう言ってオーギュストは人なつっこく笑う。そして、自分についてくるよう言った。
ちょうど昼休み時だ。噴水のある前庭では、昼食を膝に広げた学生達が談笑している。
ちらちらとこちらをうかがう視線もいくつかあった。その視線はオーギュストにそそがれている。もてるのだろうな、と想像がついた。今も歩幅が小さい自分に合わせてか、オーギュストはゆっくりと歩いてくれている。
男の格好をした自分にこんな気遣いができるのだ。女性にも優しいのだろう。周囲を観察していると、おもむろに建物を指差して説明を始めてくれる。
「あっちが学舎。東側にあるのが職員室や学園長の執務室が入った棟で、西側には学生寮がある。この三つの建物を結ぶとちょうど三角形になるんだ。その真ん中にあるのが、生徒会がある棟。他にも各委員会の執務室があったり、学園執行に関する組織の棟って感じかな」
「噂には聞いてたけど、広いんだね。しかも生徒の自治権が認められていて、生徒会がすごい力を持ってるって聞いたけど」
転校生の自分を職員室ではなく生徒会室にまず案内するあたり、相当だ。
「ああ。なんてったって生徒会は、“小さなミルチェッタ”“小さな国政”だからな。あんまり教師は生徒に口出ししないよ。そういう意味ではいい学園――」
オーギュストの説明を、悲鳴とざわめきが遮った。同時に罵声が耳に入る。
「だから、俺は珈琲には砂糖がいるんだっつってんだろ!」
「すみ……すみません……!」
「買い物一つ満足にできないのか。お前みたいなのが婚約者でほんっと恥ずかしいよ。家だって借金まみれだしな! 砂糖は高価で買えませんってか?」
男子生徒のせせら笑いに、ぶたれた頬に手を当てて女生徒がうなだれる。オーギュストが舌打ちした。
「またあいつは……!」
「何とか言えよ、お前――いったたたたなんだぁ!?」
腕をひねりあげてやると、男子生徒が悲鳴を上げて振り向く。にこりとそれに笑い返した。
「女性に対するマナーがなってない」
「な、なんだと」
「それとも珈琲に砂糖がいるようなお子様だと、マナーが分からないのかな?」
「このチビ――!」
激高した男をかわすなどたやすい。
そんなことでいちいち怪我でもしていては、皇妃になる前に引きずり落とされてしまう。
飛んできた拳をよけ、みぞおちに一発叩きこむ。大した力はなくても的確な一撃に、男子生徒はあっけなく膝をついた。それを見下ろし、殴った拳をハンカチでふいた。
腹をかかえてうずくまった男子生徒が、うなる。
「誰だ、お前……!」
「ぼく? ぼくはアイリ・カールア。転校生だよ」
そう言って、冷めた目で口元だけの笑みを作る。
「彼女に謝りなよ。這いつくばってね」
「ふざけるな、誰が女に!」
「……なるほどね。そういう学園だとは聞いてたけど」
ミーシャ学園。ミルチェッタ公国随一の教育機関であり、誰もが分け隔てなく勉学に励む学び舎――ということに表向きはなっている。
表向き、というのはミルチェッタ公国が聖剣の乙女という救国の聖女の故郷であったことに原因がある。エルメイア皇国を建国した聖剣の乙女が、故郷のミルチェッタ地方を両親に任せた経緯からミルチェッタ公国はできた。そのため代々の公主を聖剣の乙女の兄弟がつとめることとなり、ミルチェッタ公国は属国でありながら聖剣の乙女の兄弟国として、エルメイア皇国内でも特別な自治権を持つ国となる。
しかし、聖剣の乙女の遺した一つの教訓が、この国の価値観をゆがめた。
たとい世界を救ったとしても女性としてのつとめを忘れることなかれ。
聖剣の乙女が遺したと言われる教訓から生まれた、男尊女卑の思想だ――すなわち、世界を救ってもいない女性が男性に刃向かうことなど愚の骨頂である、という。
聖剣の乙女はエルメイア皇国を建国はしたが、皇帝ではなく皇妃の道を選んだ。そこを都合よく解釈したのだ。おそらく聖剣の乙女が現れたことで女性の地位が向上することに、当時の為政者達が危機感を抱いたのだろう。
そして卒業生が国政にたずさわることが多いミーシャ学園では、この意識が顕著にうかがえる。聖剣の乙女を神聖視する裏で、女を決して思い上がらせるなという価値観だ。
(まあ、魔剣の乙女のわたくしには最初から関係ないかしら?)
くすり、と笑った。できるだけ女性らしい笑みにならないよう、気をつけながら。
「あいにく、ぼくは聖剣の乙女の教えに従う気はないんだ」
「な……」
「男性も女性も等しく支え支えられるべきだ。君みたいに、聖剣の乙女がいないと何もできないお子様にはまだ早いのかもしれないけどね」
唖然とした男子生徒を侮蔑し、呆然としている女生徒に手を差し出す。
「大丈夫?」
「……は、はい」
「さっさとこんな男とは婚約破棄した方がいい。きっと人生が変わるから」
実体験を元にした忠告と一緒に、女生徒を引き上げ、立たせる。そしてスカートのほこりをはらい、くずれた髪をなでて元に戻した。相手がおびえないよう距離を適度に保ちながら、適切な力加減で――とはいえ自分は女なので、そう力はないのだが。
「では失礼、お嬢さん」
ぽうっと赤く頬を染めた女生徒を残し颯爽ときびすを返すと、生徒達が自然と道をあける。
ふと見上げた遠い先に、ミルチェッタ公国の今の公主がすごす宮殿の時計塔のてっぺんが見えた。
(わたくしはあなたを皇帝にする)
そのためにもこの国の崩壊を免れなければならない。
アイリーン・ローレン・ドートリシュのゲームはまだ、終わっていない――そのために今、すべきことは。
「さあ、いざ男装学園生活よ……!」
――その騒ぎを遠巻きに見ていた男子生徒の一人が、ぽつりとつぶやいた。
「……俺はおとなしくしろって言ったよな、あいつに。何あのイケメン……」
「アイリーン様におとなしくなんて無理だよ、アイザック」
「……。まあ、元はといえば魔王が全部悪い」
白衣を着て研究生に扮したクォーツとリュックは遠い目で悟りきっている。アイリーンと同じ制服を着たアイザックは、がっくりと肩を落とした。




