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魔王を一撃で消滅させる光り輝く剣、エルメイア皇国に伝わる伝説の聖剣。その剣は魔を打ち払い皇国を建国した乙女の体から出てきたと言われている。持ち主の意思に応じて姿を変え、天を貫く巨大な剣にもなり、その光の粒子は魔物を灼く。
だがエルメイア皇国の長い歴史上、その聖剣を持っていた女性はその乙女一人きりだった。
いつか聖剣を持つ乙女が生まれるよう、皇族と公爵家はその血をつないだが、結局聖剣は『乙女の生まれ変わり』という設定でリリアが持つことになる。
魔を打ち払い、人間を守るために乙女は剣を振るう。平和な世界が訪れるように。
「私達と一緒に来て欲しいんです、アイリーン様」
「……こんな真夜中に? 訪問しろと言うなら日中の方がいいのではなくて」
「逃げろ、アイリーン」
膝をついたベルゼビュートが、浅い呼吸を繰り返しながらかすれた声で言う。それをかばうように抱き締めながら小さく答えた。
「逃げるのはあなたよ、ベルゼビュート。早くその怪我を、クロード様に――ッ!!」
「余計な会話はしないでもらおう」
首ねっこをつかまれ、マークスに引きずられた。ベルゼビュートが顔を上げる。
「アイリーン!」
「いいから早く逃げなさい! わたくしは自分でなんとかするからっ……駄目! やめて!」
リリアが聖剣をベルゼビュートに向けたのを見て、その手をつかむ。だがすぐに背後からマークスに腕で首を締め上げるように拘束された。それでもリリアの意識をそらすために、声を張り上げる。
「用があるのは、わたくしでしょう! それに魔物を殺せば、不戦条約に反するわ。皇帝の怒りを買うつもり?」
ぴくりとリリアの眉が動いた。笑顔のままだからこそ、余計不気味な動作だ。
(何かあったの? 皇帝と。……そもそもイベントなら、目的はキース様のはずなのに)
分からない。ただこれはゲームにはなかった展開だ。
「大丈夫ですよ。アイリーン様にひどいことはしませんから」
「もう十分、侮辱的なことをされている気がするわ」
「侮辱されているのは私です。でも、仕方ないの。セドリックが困ってるから……」
物憂げに睫毛を下ろしたリリアの肩を、労るようにセドリックが抱く。そしてマークスに拘束されたアイリーンを見て、妙に優しく微笑んだ。
「喜ぶといい。お前を俺の第二妃にする。今夜中に」
「……は? なに、を――!」
「待て! アイリーンを、はなせ……!」
ドニにもらった武器を杖代わりに、ベルゼビュートが立ち上がる。リリアが困ったように眉をよせた。
「あの、私は別に、あなたを攻撃したいとか思ってないんですけど……」
「その女は、大事な女だ」
まっすぐにベルゼビュートがアイリーンを射貫く。
「王の、大事な女だ……!」
「そんなに必死にならないでください、聖剣にかなうわけないんですから。大体、魔物のくせに大事とか」
ぱん、と乾いた音が響いた。アイリーンの平手が、リリアの頬を打ったのだ。
血相をかえたマークスが、慌ててアイリーンを拘束したまま距離を取る。
「アイリーン、お前リリアになんて真似を!」
「ベルゼビュート、戻りなさい。クロード様のところへ。――わたくしは」
呆然と打たれた頬に手を当てているリリアを睨め付けながら、アイリーンは宣言する。
「わたくしは、あなたを侮辱したこの女に、負けたりしない――っ」
「アイリーン!」
側頭部に強い衝撃が走り、ぐるんと世界が回ると同時に闇に落ちていく。
「――アイリーンの影に気をつけろ。まあ、聖剣がそばにいて寄ってくる魔物がいるとは思えないが……」
セドリックの声も遠くなる。最後にかすめ見えたのはベルゼビュートの愕然とした表情だ。
でも大丈夫。彼は、最善を考えて行動してくれる。そう、信じられた。
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羽を動かす度に、激痛が走る。傷口から体力が根こそぎ奪われていくようだった。
それでも夜目で必死に周囲をさがす。作戦では、後始末も兼ねて近くにいるはずだ。
早く早く、この速度では森にたどり着くまでに時間がかかる。その前に力尽きてしまうかもしれないから、だから。
(――居た、人間!)
「ベルゼビュートさん!? その怪我……っ!」
「ド、ニ……俺は、いい。アイリーンが」
「リュックさん! 来て下さい、ベルゼビュートさんが!」
「いいから聞いてくれ」
腕を強くつかむと、ドニは小さな体でベルゼビュートを支えながら、まっすぐに見つめてくれた。
「アイリーンが、連れて行かれた。三人組だ。人間の、あの夜会にいた……」
「三人……リリア様とセドリック様と、マークス様?」
「そう、そんな、名前だった……早く……」
「ドニ、どうしたん――この怪我、焼き切られて……!? と、とにかく応急処置だ、クォーツ、この薬を混ぜて水を!」
何か薬剤をかけられたのか、一瞬激痛が走り、意識が引き戻された。冷やされて、痛みが幾分か引いていく。
「おーい、騎士団の方はうまく誤魔化せたぞー……ってどうしたよ!」
「ジャスパーさん、よかった。アイザックさんどこですか。アイリーン様がセドリック様達にさらわれたって!」
「はああ!? なんでンなことに」
「……第二妃に、と……」
荒い呼吸を繰り返しながら、それだけ絞り出す。それ以外は分からない。けれど、ベレー帽の男が口元に手を当てて答えを探し出す。
「まさかあれマジだったのか。リリア様の皇妃の資質に懸念が持たれるから、せめてアイリーンお嬢様を第二妃にしたらっていう……」
「は? それでなんでさらうんです? 馬鹿ですか? 正々堂々求婚して見事に玉砕すればいいものを――ベルゼビュートさん、少ししみますからね。ドニ、水を飲ませてあげて」
「ドートリシュ宰相が大反対してんだよ。あの夜会で魔王様と踊ってるのを見てる貴族達の中からは、いっそクロード様を皇太子に戻したらって話も出ててだな……あーとにかくアイザックに説明してくるわ、そしたら状況把握と策も立てられる」
「頼みます!」
「すま、ない」
漏れ聞こえる会話への、安堵感のせいだろう。思わぬ言葉が、零れ出た。
「俺は、逃げた」
「……ベルゼビュートさん……」
「聖剣が、怖かったわけじゃない。助けられるなら、聖剣に殺されてもよかった。だが、俺一人では、助けられないと、思って」
「――それで正解だっつーの」
目から溢れる雫のせいで、そう言った人間の姿がよく見えなかった。
「お前はよくやったよ、さすが魔王の右腕だ。聖剣に怯まなかった」
「……アイザックさん」
「おめーら声でかいんだよ、全部聞こえてたっつうの。おっさん、魔王様ンとこ報告だ。あの暗殺者みたいな従者には今しらせるな、ややこしくなる。――まあ、魔王様が助けに行くんだろ、どうせ。だったら俺らの仕事は、そのお膳立てと、後始末だ」
だからと、生意気にも人間ごときが自分の瞼の上に手を置いた。
「寝とけ。大丈夫だ。目が覚めたら、またアイリーンが魔王様に結婚しろって迫ってるよ」
そうか、それならいい。
アイリーンが王のそばにいれば、自分もそこにいられるから。




