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連続更新です
(……あら? あそこの茂みに、リリア様達がいない……)
ゲームであればリリア達が息をひそめて様子をうかがう現場近くの茂みの中に、人影が全くない。訝しんでいる間に、キースと取引相手がやり取りを始めてしまう。
仲間を売る会話に、またベルゼビュートの顔が渋くなる。
「駄目でしてよ、ベルゼビュート様。ここはキース様を信じて」
「分かっている。俺の役目はここでお前を守ることだ。キースにも、ドニにも頼まれた。他の連中にも――ここにはこられない、王にも」
きょとんとしたあと、ベルゼビュートが呟く。
「お前がいなくなったら、王はきっと絶望する」
「――ところで、おうかがいしてもいいですかペンネ伯爵」
ことさら大きく響いたキースの声に、意識を引き戻された。
「私めが欲しがっている土地、ドートリシュ公爵にお売りになったとか?」
「……な、なんの、ことだ?」
上ずった声が空とぼける。だがキースは迷ったりしない。
自分を味方にしろと迫ったあの日、アイリーンが見せたのは、彼が仲間を売ってでも欲しがった土地の売買契約書だったのだから。
「そんなにそわそわ待っても、私を捕縛する騎士団はまだきませんよ。橋が壊れて遠回りしている頃ですねぇ」
「な、なんだそれは」
「せめて一蓮托生の密売仲間という意識くらい持っているとは思っていました。まさか、私め一人に全部の罪をかぶせて終わらせようと思ってらっしゃったとは」
キースが眼鏡をはずす。
アイリーンが目配せすると、ベルゼビュートが空に向けて火の玉を作り出した。
「とっても残念です。ので、その帳簿をもらってお別れしましょう」
太陽のように発光する夜空の炎が合図だ。
光に怯んだ相手の懐に一瞬で入り込んだキースが、帳簿を奪い、そのまま剣の柄で昏倒させる。同時に、鍵をあけたままの檻から一斉に魔物達が抜け出した。旋回するアーモンドの指示に従い、アイザックに何度も言い聞かせてもらった通りの道順で逃げ出す。
「おい、魔物がっ……」
「それより帳簿を取り戻せ! あれが向こうの手に渡ったら」
魔物は人間を攻撃してはならない。それは大原則。
――でも別に、遊んで穴掘ったり、薬を落としたりするのはいいんだろ?
そう笑ったのはアイザックだ。アーモンド曰く魔王軍ご自慢の空軍が、リュックが用意した『目にしみる粉』とか『人によってはくしゃみと鼻水が止まらなくなる粉』を上空からぶちまける。あらかじめ掘っておいた穴に落ち、丸太が倒れるしかけを踏む。
(どれも魔物が用意できるものではないけど、不戦条約ギリギリでしょう、これ)
死人はでねぇからと笑っていたアイザックには、今度からもう少し注意するように言おう。
「それにしてもキース様、強いんですのね……」
援護をする魔物達は撤収し、仕掛けで大半の傭兵達が脱落したが、一対多数でもキースは平然と両手に短剣を持って戦っていた。その動きは剣舞のように無駄がなく、鋭い。眼鏡をしているからてっきり目の悪い文官タイプかと思ったら、そうではないらしい。どっちかと言えば間諜タイプなのかと思い直す。
「俺もあれくらいできるぞ」
何故かむっとした顔で、ベルゼビュートが口を挟む。
「何度も言ってるでしょう。魔物は戦っては駄目です」
「……。そうなると俺の出番はいつだ?」
「人間と魔物が戦う最終決戦時でしょうね。それか魔物相手か」
遠くから光が見えた。キースを捕まえるための、相手の息がかかった騎士団だ。だが、父親に頼んで半分ほど入れ替えてある。魔物は逃げ、取引相手が昏倒しているこの状況で、キースが「魔王に内密で魔物の売買を阻止した」と言えばこの茶番は終わりだ。実際、ゲームでリリア達が皇帝から与えられた仕事は犯人さがしではなく、穏便にことをすませることだった。
(皇帝はひょっとして、セドリック様達の駆け引きの素質を見たかったのかしら? クロード様との関係をどうするのかっていう、ものすごく扱いが難しい問題だものね、これ)
俯瞰して見て、思い出す。そう言えばリリア達はどうして来ていないのだろう。
あの三人の口を封じるのが、一番面倒そうなのに――。
「アイリーン!」
「!!」
叫びと一緒に、褐色の腕に抱きこまれた。じゅっと何かが焼ける嫌な音と匂いがする。
「ベルゼビュート!? あなた……っ」
肩から腕が、何かで焼け焦げたようにただれている。脂汗を浮かべ、膝をつくベルゼビュートの腕の中から慌ててアイリーンは抜け出た。そこへ人影が三つ、現れる。
「や、やだ。どうしよう。襲われないよう牽制するだけのつもりだったのに……」
「大丈夫だ、かすった程度だろう。リリアに非はない」
「……セドリック様」
「二人とも、後ろへ。アイリーンは結構腕が立つ」
「マークス」
そうして最後に、アイリーンはいつかと同じ角度で、その少女を見上げる。
「リリア様……」
「大丈夫ですよ、アイリーン様。私達、アイリーン様に話があるだけなんです」
可愛らしく、聖剣の乙女がにっこりと笑った。




