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クロードとキースの様子を見ていると、魔王覚醒の核心である『クロードを絶望させる』点は既に回避できている気がする。だが乗りかかった船だし、リリアが聖剣の乙女と発覚した以上、必ず弱みにつけ込まれる日がくる。
ならば懸念事項はさっさと排除してしまうべきだろう。
「もうそろそろお出ましですよ。あっちも毎回、魔物が暴れた時のために荒事に強い連中雇ってますから、アイリーン様はベルゼビュートさんのそばにいるように。何かあったらクロード様がそれこそ絶望しますからね!」
「わたくしよりキース様でしょう。最前線にいて、流れ矢に当たって死ぬのはなしよ」
「あーこれほんと分かってないですねぇ。アイザック様達、大変だろうなー……」
しみじみと言われながら、とにかくベルゼビュートと一緒にと言われ、現場が見下ろせる学園の屋上へと追いやられた。
満月が明るい深夜、現場はもうくることもないだろうと思っていた学園の、またもや聖騎士団に近い寄宿舎裏だ。イベントに用意する背景スチルを使い回したかったに違いない。
もちろん、あとは卒業を残すだけの今の学園には学生がおらず、人目につかずかつ魔物が暴れた際は騎士団に任せられるという都合がいい場所ではあるのだが。
「……おい、娘。大丈夫なのか、キースは」
「大丈夫、とは? 何か不安があるの」
「あいつは……魔物を、売ってたんだろう……」
クロードが傷つくから、余計なことは決して言うな。そう言われたせいでここ最近、すっかり無口になっていたベルゼビュートが、屋上の床を見つめながら言う。
「それがどうしてかは、最初に説明したでしょう」
「分かっている! 分かっているが、土地が欲しいなら俺が奪ってきてやった!」
「そんなことしたら、争いになるでしょう」
「それがなんだ! 人間などに我々は負けない!」
「わたくしは人間だわ」
ベルゼビュートが弾かれたように顔を上げて、またうつむいた。クロードよりこちらの方が傷が深いかもしれない。彼らは魔物だから、ただ仲間の裏切りが、悲しくてつらいのだ。
「キース様だって人間だわ。……クロード様だって、魔王だけれど、まだ人間よ」
「……分からない。どうして」
「分からなくていいわ。許さなくてもいい。……キース様だって、許されようとは思っていないでしょう」
学園の校舎屋上から見える地上では、ドニが作った魔物の檻を前に、キースが一人でぽつんと立っている。彼は今、どんな気持ちだろうか。
「……売る魔物を選ぶ時ね、キース様、毎回馬鹿正直に事情を説明したんですって」
「――何?」
「そうしたら、人語を喋る魔物達はいつもこう答えたそうよ。『それが魔王様の、皆のためになるなら、自分が行く』って。喋らない魔物達も、抵抗一つせず、キース様についていったそうよ」
その度にね、自分は所詮人間だ。そう思い知らされるんですよ。
そう言って、キースは力なく笑っていた。
「……それは……そうだろう。俺でも、そう言う……」
「でしょうね。だから――取り戻すわよ」
「……は?」
ぱちくり、とベルゼビュートがまばたいた。
「取引相手はずっと変わらないそうよ。そして毎回、どの魔物をいくらで買ったかという帳簿を持ってくる。それには魔物がどこへ売られたのかも書いてあるはずだわ」
そしてそれは、取引相手が魔物の売買にかかわった証拠でもある。
リリア達にはああ言ったが、実際のところ魔物の売買は罪にはならずとも、非常にデリケートな問題だ。魔王の怒りを買えば、魔王と不戦条約を交わした皇帝に余計な厄介事を起こしたと睨まれる。
「もちろん、もう殺されてしまっている子もいるでしょう。でも生きていてくれれば、買い戻せる可能性があるわ。キース様だって馬鹿じゃない。売った後で、圧力をかけられるところにはかけていたらしいから、その線からも見つかるかもしれない。そのせいで、給金や予算を横領されても強く出られなかったらしいけれど」
だが、ジャスパーという第三者の横やりが入ることで、横領した本人こそ突き出せなかったが、金は取り戻せた。
「確かに面倒だろうけれど、キース様はぎりぎりのところを見極めていた。本当に従者として優秀だわ。わたくしが欲しいくらい。さすが魔王の左腕ね。そうでしょう?」
にこりと微笑みかけると、ベルゼビュートがふてくされたように応じる。
「それは、まあ……そうだが」
「そして売られてしまった魔物達を少しでも買い戻し、さらにくるだろう新しい魔物達を守っていくにはキース様が必要。でしょう?」
「――気に入らん!」
吠えたベルゼビュートが、どかりと床に腰を下ろしてぶつぶつ言い出す。
「殴って解決では駄目なのか。どうしてだ。燃やせばいい!」
「そうしたら他の場所にいる魔物達が攻撃されてしまうわよ。魔王が人間を襲わないよう制御しているという建て前があるから、魔物に手を出しにくい環境になっているのだもの」
「それも焼き払えばいい! 人間の町など一瞬だ!」
「じゃあたとえばそこにドニの家があったら?」
通訳をしていたせいか、ベルゼビュートはドニと仲が良い。腰から下げている剣は、ドニがデザインしそのツテで作ってやったものだ。だからか、即答が返ってきた。
「燃やさない。その程度の調整はできる」
「じゃあ、あなたの知らないドニの友達がいたら?」
「……」
難しい顔をして黙りこんでしまった。苦笑いをしながら、アイリーンはベルゼビュートの頭に手を伸ばす。そしてその頭を、できるだけ優しくなでてやった。
「……何の真似だ」
「頑張って考えているみたいだから、えらいなと思ったのよ。――その調子で、色々学ぶといいわ。きっとクロード様とキース様の役に立つ。あなた本当は、キース様をたった一人で戦わせていた自分の不甲斐なさが、我慢ならないんでしょう」
ぐっとベルゼビュートが詰まってしまった。よしよしと、アイリーンはその頭をなで続ける。
「――いつまでなでる」
「あなたが元気になるまで」
「ならもういい! ――きたぞ」
聴覚と視力に優れているベルゼビュートの目配せに、慌てて地上を見る。遠くからキースに向かって、いかにも怪しげな集団が近づいてきたところだった。
場所も何もかもイベント通りに、密売が始まった。




