護衛達の婚約(26)
出立にふさわしい快晴だった。
まだ肌寒いが、水平線まで見渡せるほど空も海も青一面に染まっている。
留学生達を乗せる客船は、国の威信もあるのか、なかなか豪華な作りをしていた。既に乗船は始まっており、周囲では別れと激励の言葉が飛び交っている。そのせいで、カイルはただの見送りにきたような気分になってきた。実際は監視なのだが――大きなつばの帽子をかぶった監視対象はすぐに見つかった。
大きな鞄をあぶなっかしく持っているヴィオラは、数度目の荷物の点検を妹から受けているところだった。
「よし、忘れ物はないと」
「大丈夫よ。リラったら心配性なんだから」
「だってお姉様だもの! ひとりで知らない土地で研究なんてできるの? ほんとに?」
「大丈夫よ」
おっとり微笑んだ姉に、しっかり者の妹はしかめ面をして――それから感極まったように抱きついた。
「調合に夢中になって、ご飯を食べるのを忘れないでね。きちんと起きて、寝て」
「そんなにうっかりしてないわ」
「転ばないように気をつけて」
「そこまで心配するの?」
「するわよ、だって産まれてから一度だって離れたことないのに」
「大丈夫、あなたを信じてるわ。きっと数年だけよ」
そう妹をなだめているヴィオラの目尻にも光るものがある。
本当に仲のいい姉妹なのだ。その別れに、見ているカイルのほうがつらくなる。
だが、これは彼女達が選んだ道。そしてクロードが与えた新たな人生だ。
リラ・ルヴァンシュの告発と、既に死んでいたはずのヴィオラ・ルヴァンシュの存在は連日新聞にも取り立てられている。果たしてこの双子の言うことは事実なのか、ルヴァンシュ伯爵の釈明は嘘なのか、連日いらぬ憶測と推理で賑わっていた。その中でもヴィオラは叔父に捕らえられ魔香を作り続けた危険な少女として、注目をあびている。流れはすべて予想できたことだった。
だから、彼女は騒動の責任をとるため自ら伯爵家の継承権をエルメイア皇室に返還し、姿を消す。無事ルヴァンシュ伯爵家を立て直し名誉を取り戻した妹が、姉をさがしだすまで――それが、本物のアイザックの書いた筋書きだ。
実際には、彼女は隣国アシュメイルの留学生として渡航する。魔香の知識がないアシュメイルのために――より正確にはエレファスの結婚で作った聖具の知識提供の借りを返すために――アシュメイルの大学で薬学を学ぶのだ。
なぜ普通に留学ではなく、エルメイアから姿を消すという迂遠な筋書きになったのか、カイルは今ひとつわかっていない。だがアイザックに「自分で消えたほうが戻ったとき危険人物だって疑われない、何より魔王様が自然消滅を期待しておとなしくなる」と言われて、引き下がるしかなかった。ヴィオラに対する不信の目は日に日にひどくなっているのは事実だし、何よりクロードの不興を買わないことは大事だ。
何せクロードは最近「エレファスもウォルトも僕を裏切った。カイルまで裏切ったらただではおかない」などとつぶやいている。もちろん、本気ではないのだろうか、あの魔王は何をしでかすのかわからないところがあるので注意するにこしたことはない。
「案外、楽しめると思うの。色んな薬を作るんだもの」
「……そうね、お姉様だもの。手紙だって書くのを忘れちゃうわよね」
ヴィオラ・ルヴァンシュは姿を消す。
だからこの先、ふたりは再会するまで直接連絡をとることはできない。手紙のやり取りも許されず、近況でさえ必ず誰かを経由して聞くことになる。
「そうよ。それにリラが迎えにきてくれる前に、戻っちゃうかも」
だがクロードはヴィオラの帰国許可に、もうひとつ条件を提示した。
それはエルメイアで役立つ大きな研究成果を持って帰ってくることだ。ヴィオラは妹を待たずとも、ヴィオラ自身の努力で帰ってこられる。
「なら、競争ね」
「ええ、競争よ」
リラがルヴァンシュ伯爵家をクロードの望みどおりに立て直すか、ヴィオラがエルメイア皇国に貢献できる研究結果を持って帰るか。
どちらかひとつだけでも達成すれば、またこのふたりは一緒に暮らせる。
何かの合図なのか、額を合わせてふたりが目を閉じる。きっと、互いにその未来を信じて進むのだろう。
だからふたりは、カイルが出航時間を切り出す前に、自ら離れた。
「いってくるわね、リラ」
「いってらっしゃい、お姉様」
「持ちます、荷物」
彼女の細腕が大きな旅行鞄を抱えるのはどうも見ていて危なっかしい。地面に置かれた鞄を取ると、ヴィオラが苦笑いのような困った笑みを浮かべた。――彼女は自分を見るとき、こういう顔になる。
「有り難うございます。すみません、お待たせして」
「仕事ですので、お気になさらず。あなたとリラ嬢の区別が、他の人間にはなかなかつかないようなので」
だからヴィオラが逃げ出さず船に乗るかどうかの確認に、カイルがお目付役でくることになった。今まで散々入れ替わってきたというのだから、当然だ。
淡々と告げるカイルに、ヴィオラは苦笑いを濃くし、リラは頭痛をこらえるような顔で言う。
「初めてのまともな会話がそれってどうなの……なんか他に言うことないの……」
「リラ」
「だってこのひと、お姉様が言ってた庭で会った魔法使いなんでしょ?」
「お時間を頂いていいなら、今後について少しお話させていただいても?」
リラとヴィオラの別れを邪魔してはいけないと待っていたのだ。突然口をはさんだカイルに、リラがまばたき、慌ててヴィオラが表情を引き締める。
「はい。なんでしょう、皇帝陛下からでしょうか」
「いえ、俺個人の話です」
カイルは自分の懐をまさぐって、小さな四角い箱を差し出した。ぱちりとまばたいたヴィオラの綺麗な指が、そっとそれに伸ばされる。
「あの、これは……?」
「俺と結婚してください」
その指の動きが止まった。固まったヴィオラの横で、リラが目を剥いた顔でこちらを見ている。
こんなに表情が違うのに、どうして同じ顔だというだけでこのふたりの区別が皆つかないのか、カイルにはわからない。
「初めて会ったとき、あなたを妖精だと思いました」
「……」
「次に会ったとき、あなたは人間でした」
「……。すみません、お話が、よく……」
「だから俺は後悔したんです。妖精だから、手の届かない存在だからと、あなたを知ろうとしなかったこと。助けられなかったこと。――今回、あなたを助けたのはウォルトだ」
ヴィオラが箱からカイルに視線を移した。
「次は俺に、守らせてもらえませんか」
彼女の指は動かない。それでも焦りはなかった。
ふんわりと、彼女が困ったような笑みを浮かべても、なぜだか失意は浮かばない。
「……互いに名乗ったこともないのに?」
ああ、とカイルは素直にそれを受け取った。
そういえば次に会ったときは、名前を聞こうと思っていたのだ。
「気が急いてしまって。失礼しました。俺は、カイル・エルフォードと申します。――あなたは?」
「ヴィオラ・ルヴァンシュと申します」
取り戻した名前を誇らしげに彼女は名乗り、優雅で完璧な淑女の礼をした。
そしてあの月夜の庭で見たのと同じ、いやもっとはっきりとした明るい微笑みを浮かべ、ハンカチを結んでくれた指で、小さな四角い箱を取る。
「喜んで、カイル様。私、あなたの妻になります」
二年後、ヴィオラ・ルヴァンシュ伯爵令嬢はエルメイア皇国に戻ってくる。
魔香に手を染め姿を消し、アシュメイルで神の娘と並ぶ癒やし手だと讃えられた聖女を皇帝の寵臣が口説き落として帰国の許しを得たという、ロマンスと一緒に。




