護衛達の婚約(14)
エレファスと魔物達による売買人捕縛がひそかに完了した翌日、今度は前触れを出してから、予定より一時間近く早く、ルヴァンシュ伯爵邸を訪問した。
中に入るのは二度目だ。ひとまず玄関の広間に通されたウォルトは、帽子をはずしてぐるりと周囲を見回してみる。一度目とくらべても、変わったところはない。
だがウォルトの持っている情報量が違う。
訪問のベルを鳴らしたとき出てきたメイドも、今まさにこちらへとウォルトを応接間へ案内するメイドも、前回とすべて同じ。使用人の数は決して多くないので、珍しいことではない。
前伯爵夫妻が事故死したあと、今のルヴァンシュ伯爵が仕切るようになって、ひとりたりとも入れ替わりがない、と知らないのであれば。
ジャスパー曰く、やめた人間はいない。だが、新しく入った人間もいない。経済的な問題で新しく雇い入れがかなわないのはわかる。忠義に厚い使用人達がやめなかった美談もありえる。
(でも六年、ひとりもってのはさすがに異常じゃないかなー)
応接間へ案内するために先を歩くメイドは、二十代後半、といったところだろうか。特別給金がいいわけでもないだろうに、この年齢まで結婚も転職もせず働き続けるのは珍しい。
背中に声をかける。
「リラ嬢は病み上がりでしょう。もしよかったら自室にうかがいますが」
「お嬢様はもう全快されておりますので、応接間でお会いになられます」
「ああ、ならよかったです。あなたは、ここは長いほう?」
「……。十年ほどになります」
「じゃあ前伯爵夫妻のときは大変でしたね。魔香疑惑とか、色々あったでしょう」
「もう終わったことですので」
メイドは身じろぎもしなかった。それが逆に違和感をかきたてる。
「――こちらで少々お待ちを」
「ああ。案内ありがとう――っと」
応接間の扉を開いてウォルトを通したメイドが、出て行こうとした扉を片手で閉じて、閉じこめた。怪訝そうにメイドがウォルトを見上げる。
「……なんでございますか」
「君、いいにおいがするね」
能面のようだったメイドが初めて動揺を見せた。右手はメイドの腰から脚へ、左手は腕をつかんで胸元へ。
(これは、ハンカチかな? 大した物は持ってない、と)
鍵があれば欲しかったが、どうやらないらしい。少々がっかりした、そのときだった。
「な、何してるの!」
縦に長い形の応接間、反対側の扉からリラの叫びが届いた。
メイドからぱっと手を放してウォルトはにこやかに振り返る。
「やあ、リラ。風邪はどう?」
真っ赤になっているリラは、ウォルトが知っているほうだ。一目でわかる――という事実にちょっと目が泳ぎそうになったが、仕事中と言い聞かせて視線を戻した。
今日は詰め襟のドレスでのご登場だ。寝間着ではない。
「風邪とかそんなことどうでもいいでしょ、さっきの何!?」
「リボンが崩れかかってたから直しただけだよ。ねえ」
脅えたように頷いたメイドが、急いで部屋を出て行く。かわりにリラが詰め寄ってきた。
「今のどういうことなの、説明しなさいよ!」
「どうって。説明したとおり、リボンが」
「説明になってないわよ、あなた私に求婚してるんでしょ! 浮気じゃないの! 最低」
「浮気かあ。じゃあ婚約成立かな?」
おどけて尋ねると、握った拳を震わせて、リラが怒鳴り返す。
「誰が、あなたみたいな不審者と!」
「不審者か。うまいこと言うね」
返したウォルトに、リラがぎゅっと唇を結び直した。
(俺がアイザック・ロンバールじゃないって妖精から教えてもらったな、これは)
彼女の目に今、自分はどんなふうに映っているのだろう。でもまっすぐそらさない強い両目に、なんだか楽しくなってきてしまう。
「ルヴァンシュ伯爵は?」
「……もうすぐ帰ってくると思うわ。走り回ってるみたい」
「ああ。ここに出入りしている業者が魔香売買で捕まった件かな」
「やっぱり知ってるのね」
「皇后陛下の覚えめでたいアイザック・ロンバールだからね」
その立場は崩さないぞ、と言外に言い含めたことに、リラは気づいただろう。
「何か力になれることがあればと思って、きたんだよ。なんでも相談してほしい」
たとえばここで、これ幸いとばかりにくだらない言い訳を並べ立てて助けてくれとすがりついてくれば。あるいは愚かにも怒ってごまかそうとすれば――その瞬間、ウォルトは「ああやっぱり見間違いか」とリラから興味をなくしたかもしれない。
けれど彼女の反応はどれでもなかった。
泣き出しそうな顔をして、いつもの子どもっぽい仕草など嘘のように美しく、見違えるほど強く、微笑む。
「あなたと婚約はしないって、最初から言っているわ。今日はそれを伝えにきたの」
「……。それでいいの?」
我ながら間抜けな返しになったのは、多少なりとも動揺しているからだろうか。
「オペラも行かない。私なんかじゃ、釣り合わないもの。――これ、返す」
ずっと握っていた手を開いて見せられた。リラの手のひらに乗っているのは、口紅だ。黙ってそれを手に取って、ふたを開ける。オレンジ色のものだった。
未使用のままだ。それが精一杯の誠意だというように。
「チョコは無理よ。食べちゃったの。おいしかった」
「……」
「叔父様には私から話しておくから。それじゃあ、帰って」
胸を両腕で押された。そんな程度の力ではウォルトはびくともしないけれど、拒絶がリラの答えだということはわかった。
「さよなら。……いい夢をありがとう」
一歩も動けない、らしくない自分を叱咤して、きびすを返すリラの姿を目線だけでも追う。目をくらませるな、仕事だ。何か見抜け。
自分は魔王の護衛だ。
傷ついてないで、何か不自然な糸口を彼女のどこかに――そう、彼女の今日の格好は?
気づいたときにはもう腕をつかんでいた。
「なっ何」
「足。どうした? かばってるよね」
ドレスの裾捌きと歩き方に違和感があった。何より、リラの顔から血の気が引く。
「べ、別に、ちょっと」
「背中にも何か痕がある」
どんどん青ざめていく顔色に、答えを聞く時間ももどかしくウォルトは柔らかい長椅子のソファにリラの体を押しこんだ。
「まっちょ、やめ、なんでも――転んだの、足をすべらしたの、それだけよ!」
申し訳ないが、時間も説明も無駄にしたくない。
リラは両腕を振り回して抵抗しようとしたが、素人の抵抗など苦にもならない。犯人を拘束する手早さで両腕をまとめて押さえつけ、迷いもせず背中のボタンをはずし、ドレスの裾をまくりあげる。
「やめて、見ないでったら変態!」
――そしてあらわになったのは、足首に縄のようなすり切れた痕と、ふくらはぎにある新しい打撲の痣。治りかけと新しいものが入り交じった背中のミミズ腫れに、首には手で締められたような指の痣。
転んで怪我をして、こんなふうにはならない。
力が抜けたウォルトの拘束から逃げ出して、リラが脅えきった顔でソファの向こうに隠れる。まるで犯罪が見つかった罪人のように。
(……だからわざわざ肌を隠す理由とか、ほんとろくでもないことが多いんだよ)
奥歯を噛みしめて、それから吐き出す。そして必死で背中のボタンをなんとか自分で止め直そうとしているリラに、近寄った。
「ごめん」
びくりとリラが震えた。丁寧に背中のボタンをひとつずつ留め直して、ウォルトはつぶやくように誓う。
「言えないなら、なんにも言わなくていい」
「……」
「必ず助ける」
最後は抱きあげて、ソファに座らせた。その前に跪いて、もう一度告げる。
「俺が助けるから」
安っぽい言葉だ。だがこれくらいわざとらしくても、いいだろう。
自分は彼女を騙しているのだから。
(ああほんと、厄介な仕事だよな)
境界線がわからなくなる。
だから床に落ちていた口紅は、ポケットにしまった。
「じゃあ、また」
「……いい」
立ちあがって踵を返そうとしていたウォルトは、足を止める。
「私はいい、助けないで」
「……」
「お願い、もしあなたが本当に――」
「まだおられますか、アイザックさん!」
ばんばんと乱暴に二度扉が叩かれたと思ったら、そのまま扉を開いてルヴァンシュ伯爵が入ってきた。はっと顔色を変えたリラが黙ってしまう。
だが、それだけで収穫は十分だった。
「ああ、よかった。いやはや、予定より早くこられたのですね」
「すみません、時間が変な具合にあいてしまったもので」
「いえいえ。こちらもばたばたしておりまして……もう既にアイザックさんはご存じだとは思いますが、魔香売買の件で……」
うかがうような視線に、表面だけ眉をひそめて頷き返した。
「ええ。ここに出入りしていた連中が捕まったとか」
「とんだ言いがかりです。なのに、姪があなたを巻きこまないために、見合いをなかったことにしたいと言い出しておりまして」
ルヴァンシュ伯爵がリラの横に座る。姪の心配と不安を混ぜた弱った顔だ。対するリラは体を硬くして、ぎゅっと唇を結んだままうつむいてしまった。
「ひょっとしてもうリラからお聞き及びですかな」
そういえばこのふたりが一緒にいるところを見るのは初めてだ。そう思いながら、ウォルトは頷き返す。
「まさに今、その話をしていたところです。……私としては、気にしないでほしいと言いたいところですが……皇后陛下がなんとおっしゃられるか」
言葉を濁したところで、ルヴァンシュ伯爵が焦りだした。
「濡れ衣です! 姪は何も関係ない」
「もちろん、そう信じてます。ですが私にも立場があります。皇后陛下の臣下として、皇后陛下の信に値しない令嬢とつきあうわけにはいきません」
リラは一瞬だけ膝の上の手を拳に変えたのが見えたが、反論はない。逆にルヴァンシュ伯爵のほうが顔を赤くする。
「そんな! 姪を捨てるとおっしゃるのですか、疑惑程度で」
「ですが、皇后陛下に釈明できないでしょう。明日のオペラでお会いする予定がありますが、そのときにどう説明すればいいのか私が聞きたいくらいなんです」
「オペラ……ですか。確かに、明日、何やら人気のものがあるとは聞いてますが……そんな場所に皇后陛下が?」
「皇帝陛下と気休めにこられるそうです。チケットはもう売り切れだそうですが」
「では私もぜひ、ご一緒させていただきたい。なんとかチケットを入手しましょう。アテはあります」
迷わずルヴァンシュ伯爵が答える。つまり、姪の手元にチケットがあることを知らないのだ。
なぜ? 決まっている。
(彼女にとって、ルヴァンシュ伯爵は情報を漏らせない相手)
思い出してみれば、最初からそういう節はあった。
「健闘をお祈りしますよ。私はリラ嬢からのお話をそのまま伝えるだけです」
自嘲を隠すために帽子をかぶり直したウォルトに、ルヴァンシュ伯爵が声をあげた。
「姪が何か申しましたか」
低い声の確認に、ウォルトは無言で会釈し、踵を返した。ここは焦らせるべきだ。
だからリラがどんな顔をしているのかも見ない。――それがよくなかったのかもしれなかった。
あえて見るまいとしたことが。
鼻をつく甘ったるい匂いに目を見開く。振り返るより早く、また突き飛ばされた。
「――ッ!」
魔香をかけられそうになったのだと、絨毯に広がった液体から気化する匂いで悟る。
ウォルトを突き飛ばしたリラが床に倒れたまま叫んだ。
「吸わないで、早く逃げ――」
がん、と後頭部に衝撃が来た。
(な)
油断していたとはいえ、ルヴァンシュ伯爵が自分の背後をとっていた。それを確認すると同時に、脇腹に一発拳を叩き込まれる。転がったウォルトは空気を吸い込もうとして、床に転がった魔香をまともに吸い込んだ。それがいけなかった。
想像よりはるかに強力なしびれが、一瞬で全身に回る。
(なんだ、これ)
ただの魔香ではない。完全に動けず、倒れこんだウォルトの周りを、いくつもの足が囲む。いつの間にか部屋に入ってきた使用人達だ。リラが何か騒いでいるが、使用人に捕まえられて殴られているのが見えた。
(ああ、くそ。まずったな。やっぱり屋敷ぐるみか――)
気づいてはいたのに。
体に染みこんでいく魔香のにおいが意識を、視界を、薄れさせていく。やがて誰かに腹を蹴られて、ウォルトの意識はそのまま暗転した。




