護衛達の婚約(10)
別件の仕事で忙しいはずの相棒が、あろうことか主の執務室の隅にある長椅子に突っ伏していた。執務室にクロードの忘れ物を取りにきたカイルは、眉間にしわをよせる。
(さぼりか)
わざと長椅子のところまで足音を立てて近づき、今度は別の意味で眉をよせた。
「……どうしたんだ?」
ぐったりと長椅子に投げ出した腕も足も、体全体に覇気がない。
「俺を殺してくれ……」
しかもわけのわからない返事が返ってきた。さすがにただのさぼりではないことはわかったので、両腕を組んで尋ねる。
「なんだ、どうした。何かミスでもあったのか」
「……。お前さ。妖精に会ったって言ってたじゃん?」
まばたいたあと、少し頬を染めて頷く。
「ああ。月夜の庭だった。今思えば、彼女はお菓子の妖精だったのかもしれない……」
「それはどうでもいい。そうじゃなくて、いつ、そう思った」
「最初からだが」
「何がきっかけで惚れたかって聞いてんだよ!」
「なっ! お、俺はそんな、ふしだらな気持ちでいるつもりは――!」
あまりに俗な言いようにカイルは言葉を詰まらせてしまう。だがカイルの頬の熱さに反するように、ウォルトの眼差しは冷たくなっていった。
「お前、散々寝ぼけたこと言っておいてふざけんなよ」
「ふざけてなどいない! 俺は彼女をそういった目ではなく、ただ彼女に幸多くあることを願いたいだけで」
「あーそういう夢と幻想は十代で卒業しろ馬鹿が! そうじゃなくて、あっただろ。何か、お前が妖精だなんて見間違えた瞬間が」
「見間違いなどでは」
「うるせー俺は今、気が立ってんだ、よ!」
さっきまでぐったりしていたくせに妙に機敏な動きで、ウォルトが背後を取り、首に腕を回して締め上げてきた。
「ちょ、おま、本気か……!」
「いいから聞いてることに答えろ! 決定打はなんだった!」
「決定……決定打、など、な……」
最初から彼女は――と考えて、あがっていく息の間に思い出す。
「――っ怪我、を、して」
ウォルトの腕の力がゆるんだ。とりあえず思い出すがままに、答えを続ける。
「……硝子で手を切った。かすり傷だ。あっという間に治ったんだが……それを見た彼女は、気味悪がったりせずに、それでも、手当てしたほうがいいだろうと……あの、ハンカチをまいてくれて……」
ほんのり胸があたたかくなっていく。それとは対称的に、ウォルトは再び崩れ落ち、長椅子に上半身を投げ出した。
「……なるほど……なるほどな……ははは……そっかぁ……そういうのに弱いわけね、そうだよなぁまず他人からまともに扱ってもらえない人生だったもんな、俺らって……単純すぎて死にたい……!」
お互い相容れないところや理解しがたいところはあるとはいえ、さすがに奇っ怪に思えるウォルトの態度に、カイルも心配になってきた。
「……どうしたんだ、お前。おかしいぞ」
「ほっといてくれ……ああもうやだ……お前と同じってのがもう死ぬ……でも俺はまだ可能性だからな! 妖精までいってないからな!」
「な、なんなんだ」
ウォルトの剣幕に引いてから、ふとカイルはある可能性に気づく。今、ウォルトが手がけているのは、リラ・ルヴァンシュ伯爵令嬢の魔香売買疑惑の解明だ。カイルが出会った妖精が持っていたハンカチに刺繍されていた、名前の少女だ。
「……リラ嬢と何かあったのか?」
「ないよありませんあってたまるかないんだよ」
息継ぎをせずに言われた。聞くな、ということだろう。嘆息して、カイルは長椅子の端に腰かける。
「別に言いたくなければ言わずともいい。クロード様からの箝口令もあるしな」
「……。妖精の容姿は?」
また質問か、と思ったが、声が弱々しかったので無駄に拒絶する気にはならなかった。
「――綿飴のようなふわふわの、淡い金色の長髪」
「目は緑? 深い色の」
「だったな。宝石のようだった。――それがどうかしたか」
「お前の妖精さんが、リラ嬢かどうか否かについて興味ないのか?」
「クロード様に対する非礼の件なら俺も聞いたが、そんなことをするとは思えない。儚くて消えてしまいそうだった。別人だと思う」
「……今はお前の目が節穴じゃないと思いたい……」
ウォルトはうつ伏せていた顔をあげて、今度は床に足を投げ出して座り、長椅子を背もたれ代わりにして天井をあおいだ。長椅子に座っているカイルはそれを見おろしながら、尋ねる。
「大丈夫か。……かわってやろうか」
「はー? お前にこの手の仕事はてんで駄目だろうに、朴念仁」
「お前にだって向いてない。情をかたむけすぎる」
とてもウォルトは繊細だ。仕事だとしても、その相手が望むような振る舞いを見抜いてやってのけるのは、その繊細さがあってこそだと思う。
相手が手を差し伸べてほしいときは手を。慰めを求めているときは慰めを。それは本心ではなく計算だと罵る輩がいたら、カイルは殴ってやりたい。お前はできるのか、わかるのかと。
そこまで相手に情をかたむけて、自分を殺すことができるのかと。
「お前、なんか俺を誤解してない?」
「そんなことはない。名もなき司祭の時代からお前はそうだった」
次々死んでいく仲間の姿に心を痛め、逃げないかと自分に声をかけ、カイル自身がわかっていなかった望みを叶えてやろうとするほどに。
(……だから言ったんだ。いずれわからなくなるぞ、と)
仕事でやっているのか、本気でやっているのか。その境界線を見失って、ウォルトは踏みこんでしまう。ミイラ取りがミイラになる、というやつだ。
「さっきの話だが、俺は本当に、彼女とどうこうは考えていないんだ」
「正気か? さがす気ないって聞いたけど、マジで自覚ないのかよ」
「自覚はある。愛とか恋とかいうものだろう」
「真顔で言うと面白いな。はい続きどうぞー」
「真面目に聞け。……これはお前もそうだと思うんだが、そんな体験をできただけで十分だと思わないか、俺達が」
ウォルトの目線が、天井からこちらへ向かう。
「……そういう考え方、俺はあんまり好きじゃないけどね。まあ、わかるよ」
本来ならばとっくに死んでいてもおかしくない自分達がこうやって生きて、仲間に恵まれて、普通の人間みたいに生活して。そこに恋までくわわったなら、それだけで十分すぎるほどの贅沢なのだ。
だから自分もウォルトも、その贅沢を前にまず躊躇する。
「お前、ちゃんとさがせば? 妖精ちゃん」
そのくせ、自分と似た相棒が躊躇していると背中を押したくなるのだ。
「また会えたら、名前を聞く」
「なんでそう受動的なんだよ……白黒はっきりさせたほうがすっきりするだろ」
「お前が言えた義理か。……お前が今、どういう悩みを抱えているかはわからないが、クロード様も俺も、他にもお前の味方は大勢いる。昔とは違う。偽るのがつらいようなことになったら、きちんと言え。昔とは違う、というのはそういう意味だ」
ぽかんとしたあと、ウォルトが口端を持ち上げた。
「そこまで落ちぶれるつもりはないよ。仕事だ」
「お前の腕や矜持を侮っているわけじゃない。でも、もしそれが理屈で割り切れないものなら、そういうことだと俺は思う」
「いやだーかーらー」
「俺達はアイリをわりきれた」
アイリーンが魔王の婚約者だと知ったとき、皆に衝撃とともに大なり小なり走った胸の痛みは、同じ類いの感情だろうとカイルは分析している。
でも面白いくらい同じように、全員がわりきれた。
いずれ魔王の妻になる女だと言われて、手の届かぬ高嶺の花だと納得し、そのまま魔王を愛する強い貴女であれと願い、支え、祝福すらできた。
それを恋だとは、きっと言わない。憧憬だ。
「だからアイリと同じようにわりきれないのなら、腹をくくるべきだ」
立ちあがったカイルは、忘れ物だという書類を執務机から取り、そこにはさまっていたものに気づいて振り向く。
ウォルトは再度長椅子に突っ伏していた。
「おい、歌劇場での護衛予定はどうするんだ。お前がキース様に頼んで組み込んだんだろう」
「あー……それ、衝撃のあまり誘いそこねてまーす……保留で」
「早くしろ。皇帝夫妻のオペラ観劇だ。お前がいないなら警備体制が変わる」
お小言を残してカイルは執務室の扉に手をかけて――一応、声をかけた。
「もし妖精にまた会えたら、俺も報告する」




