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ベルゼビュートが引きずり出した人間は、可愛らしい出で立ちをしていた。
柔らかそうな髪に甘い顔立ち。ふっくらとした唇も大きな瞳も可憐だ。
(これがセドリックが選んだ女性か。アイリーンを捨てて)
王座に頬杖を突いて見下ろす。
改装が終わったばかりの大理石の王の間で魔物に囲まれた少女は、不安そうに瞳をまたたかせた。
「……すみません、案内していただいて……あ、私、リリア・レインワーズといいます。やっぱりあなたが魔王様、なんですよね……よかった。私のこと覚えてらっしゃいますか?」
長い足を組み直してクロードは気になっていたことだけを尋ねる。
「どうやって僕に気づかれず結界に入りこんだ?」
「え? なんのことですか?」
まっすぐに赤い瞳を見つめてくる少女に、目を細める。そこに畏れはない。
(魔力に対する耐性が強い。……聖剣の乙女の関係者か?)
だから森の結界をこえられた。
納得するクロードに、もの言いたげな眼差しをベルゼビュートが向ける。嘆息して、クロードは立ち上がった。
「まあいい、ではお帰り頂こう」
「えっ……あの、待って下さい! お、怒ってらっしゃるんですよね。この間、マークスがあなたに失礼なことをしたから……!」
「興味がない」
「私、ずっと謝らなきゃと思っていて。それと、セドリックと仲直りして欲しくて……!」
眉根を寄せると、リリアは立ち上がって胸の前で手を組んだ。
「お話は聞いています。ずっと離れ離れで育ったって……セドリックは気にしてました。魔物に囲まれて、人間と争いにならないよう魔王としてのつとめを果たして――そんなの、悲しすぎます。みんなあなたに任せっぱなしで、ひどい。ひとりぼっちで……」
――あなたの強さを、わたくしは尊敬致します。
真反対の言葉が蘇った。あの言葉を聞く前だったら、自分は何を思っただろう。
何か言いかけたベルゼビュートを目線で制し、クロードは口を開いた。
「この森は今、そのセドリックが差し向けた兵に囲まれているんだが?」
「それは誤解です。マークスもセドリックも優しいから、私を心配して……脅迫文のこともあって先走ってしまっているだけなんです」
「君が先走らせている、の間違いだろう。脅迫文の犯人は君なんだから」
大きな瞳を瞠目させて、リリアの動きが止まる。そのあとで、肩を落とした。
「……ご存知だったんですね。それは悪かったと思います。私だって気が引けたけど……でも、アイリーン様を止めるためにはこれしか方法がなくて」
「止める?」
「こっちがアイリーン様の企みを見破ってるって教えたかったんです。あなたが優しい人だというのは一目で分かりましたけれど、人間と魔物の下手な接触は争いの火種になってしまうでしょう? この間マークスとも争いになっちゃったじゃないですか」
まさに今、下手に接触して不戦条約を破るきっかけを作っているのはこの女なのだが、クロードは黙って聞くことにした。
「だから私、アイリーン様が罪を犯す前に、自分で逃げることにしたんです。セドリックとマークスは優秀だもの、アイリーン様を捕まえてしまう。あの三人、幼馴染みなんです。そんなのよくないわ」
「……」
「私が自作自演で逃げてしまえば、アイリーン様は罪には問われません。あとでみんなにはきちんと説明します。きっと分かってくれますから」
そうだろう、と冷めた思考でクロードは同意した。
馬鹿な周囲は、アイリーンの罪をかばうため優しいリリアが嘘をついたのだと感動するに違いない。
そしてアイリーンは証拠がないだけの、罪人扱いをされるのだ――いや、それ以前に。
「君の話を聞いていると、アイリーンが君に危害を加えることがまず前提になっているみたいだが?」
「……アイリーン様は、本当にセドリック様を好いてらっしゃったから」
恨まれてて当然です。
そうしおらしくリリアは眉を下げる。
その思考がどれだけ傲慢か、気づきもせずに。
「それに私、どうしてもあなたを一人で放っておけなくて……もう一度、会って話をしてみたくて」
かすかに頬を赤く染めて、リリアがそっと見上げる。
その瞬間、クロードの不快指数が限界値を振り切った。
突風が巻き起こる。哄笑と一緒に王の間に吹き荒れる嵐に、魔物達が耳を塞ぎ、身を寄せ合う。リリアも立っているのがやっとのようだった。だが爆風から耳を塞ぎながら、まだ声を上げる。なかなか見上げた根性だ。
「ご、ごめんなさい! いきなりこんなこと言われても困りますよね。でも、私」
「困る? 僕は困ってなんかいない。愉快でたまらないんだ。アイリーンも、なかなかかわいげがあるじゃないか。こんな程度の女にしてやられるなんて」
「え――?」
びしりと王座をささえる支柱にひびが入った。かまわず、クロードは感情の嵐が吹き荒れる中で、静かに歩を進める。
「だが、その原因がセドリックにあると思うと不愉快だ」
こんな女にしてやられるほど目が眩んでしまったのは、セドリックへの恋心ゆえだ。
今だって、自分に近づくのはセドリックへの意趣返しがほんのわずかでも混ざっているのではないか。だからエスコートに『セドリックより』なんて条件がつくのではないか。
どうしてだろう。それがただの可能性でも許しがたい。妄想でも引き裂いてやりたい。
「興が削がれた」
その言葉と一緒に、ぴたりと嵐が止まった。
冷め切った眼差しで、クロードは人間の女の鼻先に顔を近づける。
「失せろ、女。僕は忙しい」
「え……で、でも、私の話がまだ」
うろたえる女の姿が、薄くなった。あっという間に強制転移されないのは、やはり何か魔に対する耐性を持っているからだろう。だがもう興味を完全になくしたクロードは背を向け、ベルゼビュートに向き直る。
「行くぞ、ベルゼビュート。遅刻だ」
「は。ですが森の外は」
「キースが手を回しているはずだ。どうせ入ってこられはしないと思うが」
「あ、あの――待って下さい! ど、どうして? どうしてですか? 何が悪かったの?」
霞のように薄くなった女が混乱して髪を振り乱している。クロードは冷めた目で分かりやすく説明した。
「ただ僕が君に、毛ほども興味が持てないだけだ」
きっと生まれてから、誰かに拒絶などされたことがないのだろう。
そうと分かる驚愕の表情を最後に、うるさい人間の女が消えた。
指を鳴らして荒れた王座を直し、身だしなみをととのえ、懐中時計を見る。
とっくに夜会は始まっている時間だった。




