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「……ベルゼビュートの様子が最近おかしいのは、君のせいか?」
できあがったばかりの城のテラスで眼下の様子を見ていたアイリーンは、上から声をかけられて顔を上げる。
真下では城の修繕に走り回る職人とドニの指示が飛んでいる。しかし誰も、宙に浮かぶ魔王の姿に驚きもしない。
それくらい、見慣れた光景になってしまった。
「様子がおかしいだなんて。騎士らしくなってきましたでしょう?」
「延々と正しい礼の仕方を見せられたんだが……」
「それくらい見て差し上げてくださいな。夜会まであと一週間。クロード様のそばにいたい一心で頑張ってらっしゃるんですから」
複雑そうな顔で、クロードはテラスに降り立つ。足下でおすわりをしていたフェンリルの子がすっくと立ち上がって、隣をあけた。アイリーンと並んで、クロードもテラスから周囲を一望する。
「他にも菓子をエサに、魔物達に色々させているらしいな」
「無理強いはしてませんわ。それとも全てクロード様の許可が必要でした?」
「いや。……魔物達も楽しそうだからいい」
眼下からは賑やかな声が聞こえてきていた。籠を首にかけて運んでいくカラスの集団が見える。重い木材をひょいと立てて、支えている狼男もいる。
「工事を手伝うと無料で住処を作ってもらえると、魔物達が言っていた」
「ええ。魔物達は人間にない力がありますわ。細かい作業は任せられませんけれど、力仕事や運搬はとても頼りになるとドニが言っていました」
おかげで、通常の倍以上の速度で城の修繕が進んでいる。
ドニなどついに「報酬払うから働きにきてもらえないかな?」と言い出した。
そしてその言葉にどの魔物も、魔王様の許可が出たらと返す。
「結界の外でもきっといい働きを見せてくださいますわよ。わたくしの商会の社員にしませんか? 仕事は主に災害復興。クロード様が幹部で、魔物のイメージアップをかかげますわ」
「検討しておく」
断っても無駄だと思っているのか、無難な答えを返された。口にはしたものの、自分の部下になるクロードが想像できなかったので、引き下がって話題を変える。
「クロード様の治める土地――魔物達の住処は、意外と広いのですね」
「……ああ。最初は本当に、この廃城と森だけだったんだが……」
ふとクロードが遠くを見る目になった。
「今は落ち着いたが、昔はよく人間に住処を追われた魔物がやってきた。手狭になって、魔物達が住むところが足りなくなって、困ったことがあった」
「魔物の難民問題といったところですか。それで、どうなさいましたの?」
「キースが隣の土地を買い上げてきた。当時はどこかの伯爵領だったはずだ」
つと、クロードが森の向こうを指さす。
「あちらは北にいくにつれ、気候が厳しく、貧しい土地になる。しかも魔王の森と隣り合わせだ。皇都に近いとはいえ、割に合わなかったんだろう。かなり安く買いたたけたと聞いた」
「でもあちらにも面子があります。難しい交渉だったと思いますが……やり手ですわね、キース様は」
「ああ。信頼している」
相変わらずの無表情だが、本心なのだとわかった。
ちくりと、アイリーンの胸の奥が痛む。
「……キース様がうらやましいですわ」
「君が? どうして」
「クロード様。皇妃というものは、臣下でもあるのですよ。……わたくし、セドリック様の信頼を得られなかったことは、臣下としての自分の手落ちだったと思っていますの」
強い風が吹いて、木の葉を巻き上げた。きゅうと足元のフェンリルの子が小さく鳴く。
「今思えば、ちゃんと予兆はありましたわ。会いにいくのはいつもわたくし。贈り物ももらったことがありません。事業も任せるの一点張り……あら、今も大して変わっていないかしら」
首をかしげたところで、いきなり頭からクロードのマントをかぶせられた。びゅうびゅう風が吹き荒れる中で、クロードが呟く。
「寒いだろう、中に入るぞ」
「あ、ありがとうございます。……クロード様……この風、というか、あの、竜巻があちらに見えるような」
「僕はセドリックとは違う」
ああ、それで不機嫌になっているのか。
納得したアイリーンは一気に不穏になった空模様の下で微笑む。
「わかっております。クロード様なら、約束通り夜会にきちんと来てくださいますでしょ」
「……すっぽかされたことがあるのか?」
「ええ、去年の学園祭で」
セドリックは現れず、アイリーンはひとり、ぽつんと立っていた。
あの時は何が起こっているのか分からなかったが、今は分かる。ゲームの知識があるから、分かってしまう。
セドリックは屋上で、リリアと二人きり、星空の下での舞踏会を堪能していたのだ。
「もし何か起こっていけなくなったとしても、僕ならきちんと説明する」
絶対に行くなどと安易に約束しないクロードは、確かにセドリックとは違う。
だから安心してアイリーンは頷いた。
「でも、どんな理由だろうとこなかった場合はそれ相応の償いをしていただきますわ」
「たとえば?」
「わたくしと結婚致しましょう」
呆れると思ったのに、真顔で考えこまれてしまった。クロードのマントに身をくるんだまま、アイリーンはまばたく。
「あら、ついに観念なさいまして?」
「……。君が泣いて頼むなら前向きに検討してもいい」
「どうしてそうわたくしを泣かせたがるんです!?」
「それはアイリーン様がやり込めたくなる性格をしてらっしゃるからじゃないですかねぇ」
テラスの内側からキースの声がした。見ると、キースだけでなく微妙な顔をしたジャスパーまでいる。
「確かに、泣かせたら男として勝ちみたいな感じするよな、お嬢様は」
「それが男という生き物のサガなら、今すぐ滅んでしまいなさい!」
「二人そろって、なんの用だ。出歯亀か」
「いい感じなところほんっとーに申し訳ないんですけれどね。ちょっとよろしくない情報をジャスパーさんからいただきまして」
ちらとキースに目配せされたジャスパーが、ベレー帽の縁を持った。
「お嬢様が、魔物と手を組んでリリア様の命を狙ってるって噂になってる」




