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ほどなく、化粧水の試作品が完成した。
秘匿性を考え、アイザックが選んだ富裕層の女性にモニターしてもらった結果、評判は上々。手応えは十分あった。
問題は売り方だ。
(わたくしが売り込もうとしても、今は名前だけで門前払いだわ。前はドートリシュの名前だけで信用は十分だからって、宣伝のことはあまり考えてなかったのよね……)
ジャスパーに調べてもらった、夜会出席予定者のリストに目を通す。
皇太子が初めて自ら夜会を主宰する場だ。ドートリシュ公爵家に劣らぬ大物貴族の名前も並んでいる。ここでうまく演出できれば、軌道にのる。
(いいものができたもの、使ってもらえれば確実に評判になるはず。問題はどうやって使わせるかよ。頭を下げて頼む? いいえ、そんなことをしたら足下を見られるだけ……)
がさりと音が聞こえた。
羽ペンを持ち、ランタンの灯り一つで自室の机に向かっていたアイリーンは、先に口を動かす。
「アーモンドでしょう。クロード様に言いつけましてよ。まったくあなたは懲りもせず――って」
振り向いたアイリーンは目を丸くする。
そこにいたのは蝶ネクタイをつけたカラスではなくベルゼビュートだった。
(……。そうね、彼、魔物だものね。使えるのよね、私の影)
微妙に間抜けたことを考えてしまう。
こんな真夜中に、淑女の部屋に忍び込む。魔物とはいえ青年の格好をしている以上、許されざる所業だ。だが、彼に限って夜這いなんてことはあるまいし、ただ困惑が勝る。
「……娘。頼みがある」
「……。まあ、いったいどういう風の吹き回しで?」
皮肉ではなく本気で首をかしげると、ベルゼビュートは眉間のしわをさらによせた。
「俺だとて、頼みたくはない。だが、お前が適任だと小僧から聞いた」
「ドニのことかしら。まったく、わたくしは便利屋ではなくってよ。でもいいでしょう、言ってご覧なさい」
「……王が、夜会に行かれるだろう。俺もそれについていきたい」
ぱちり、とアイリーンはまばたきした。ベルゼビュートは深くため息を吐く。
「キースがついていくのは知っている。だが、それだけでは心もとない」
「夜会についてきたとしても、従者は隅にいるくらいしかできませんわよ?」
「それでもだ。……夜会とは、王を追いやった人間共の集まる場所だろう。そこは王にとって戦場だ。王は強い。負けない」
ゆるぎない信頼が宿る瞳で、ベルゼビュートは続ける。
「だが、傷つかないわけではない」
「……」
「夜会という場所で王に恥をかかせないためには、マナーという力が必要だと聞いた。俺は、その力が欲しい」
せめて、そばにいるために。
そう訴える瞳に、苦笑いしてしまった。――これは、断れない。
「分かりました」
「俺にマナーの力を授けてくれるのか」
「ええ、授けましてよ? まだ一か月あります。とりあえず形にして差し上げますわ。あなたはクロード様の右腕で、騎士なのですから」
ぱっと嬉しそうな顔をするベルゼビュートの純真さは本物だ。
「クロード様は幸せ者ね。……何より、不思議な方だわ」
ベルゼビュートが首を傾けた。
それがまぶしくて、うらやましくて、アイリーンはぽつりと胸の内をさらす。
「ここまで周囲を動かすなんて、どんな方かしらと気になってしまう」
「魔王だが?」
「そうね。それでこそ魔王なのかもしれないわ。……危険で、謎めいていて、何が起こるか分からない。だからこそ誰もが無視できない……――それだわ!」
まさに天啓だった。立ち上がり、夜会の出席者のリストをもう一度見る。
「……狙うならこことここと……確かこの二人は仲が悪かったわね、それを利用して……!」
「おい、娘。俺は早くマナーを授かりたいのだが」
「ええ、もちろんよ。あなたにも他のご令嬢がときめく騎士になってもらわないと」
いけるはずだ。にいと悪徳商人の笑みを浮かべたアイリーンは、早速ベルゼビュートに向き直る。
そして両腕を軽く組み、優雅に微笑んだ。
「そういうわけで、まずはわたくしに跪くことから覚えましょうね?」




