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「そう! これ、この香りよ! よく抽出してくれたわ……!」
前世の記憶と大差ないラベンダーの香りに満足して、アイリーンは微笑む。リュックがドニを見た。
「ドニが作ってくれた水蒸気蒸留器のおかげですよ」
「ローズマリーも欲しいわ。わたくし、あれ好きな香りなの」
「確かにあれは香りがいいが……そういう意味ではカモミールもか?」
「そうね。果物もブレンドしたいわ。オレンジやレモン。それで効能を分けていくつか基礎になる化粧水を作りましょう。希少価値を高くして、高く売るわよ」
「ほい、そこで俺からプレゼント」
そう言ってアイザックがばさりと書類が入った大きな封筒をリュックに持たせた。
「ハーブや精油を使って効能があったって臨床例をまとめた。庶民の間で流行った噂もな」
「……火傷にラベンダー精油で効果……黒死病をハーブで予防した? これほんと?」
リュックがぺらぺらとめくる書類を、横からクォーツも一緒に覗き込む。
「使ったのはタイム、セージ、ミントに……どれも殺菌効果の高いものだ。それを酢につけこんでハーブビネガーにしたのか。なら強い殺菌作用が見こめる……」
「つまり、消毒薬ってことか。……これ、庶民にも広められるんじゃないかな? それこそ庶民が作っていたもののようだし……」
「薬に見えないよう売り方を工夫すればな」
アイザックが人の悪い笑みを浮かべる。アイリーンも頷いた。
「のちのちそちらにも手をつけましょう。今は利益を上げるのが先よ。化粧水と、あとはそれを入浴剤や石鹸なんかにも応用したいわね。何かまた見つけたら随時報告を頂戴」
「分かりました。この森はすごいですからね」
「――魔物の環境に合わせてなのか、見たこともない植物がある……」
「採取は魔物達の生態系に影響が出ない程度が鉄則よ。クロード様がお怒りになるわ」
こくりとクォーツが頷く。そもそも植物を大事にする彼ならば、そのあたりは忠告する間でもなかったかもしれない。
「あとは城の修繕ね。ドニ、進捗はどう?」
「順調です! 最初はどうなるかと思いましたけど、魔物達の住処とか滅多に作れないですし今は楽しくってしょうがないです! この厨房だってうまくできたと思いません!?」
ドニがにこにこ笑って両手を広げる。
魔物達の希望ということで、真っ先にできあがったのが、アイリーン達が集まっているこの厨房だ。他にいい場所がないので、本来なら使用人たちの食卓となる長テーブルで会議を開いている。
客人が見込めないというキースの言により、城の厨房にしては狭い。しかしちょうどいい間取りで、火の位置や食べ物の保存場所、外へ出る裏口まで便利に使えるよう作られている。
「やってるのは草と花の煮出しだけどな」
「でもこれで材料がそろえば、アイリーン様もお菓子がここで作れますよ」
「そんな時間はないわ。大きな問題がまだ一つ残ってるのに」
「ソウダ! 娘、クッキー作レ!」
背後の影から蝶ネクタイをしたカラスが飛び出てきた。そのあとわらわらと魔物達が出てきてアイリーンの足元やら頭上にたむろする。
「俺様、アーモンド! ケーキハイチゴ!」
「パイ、ヨコセ……」
「タルト、知ラナイ、食ベル」
振り向かないまま、こめかみに青筋を浮かべる。
「私の影を便利な通路にするなと何度言えば……戻りなさい今すぐ!」
「クッキー! クッキー!」
「ケーキ! ケーキ!」
「合唱しないで! この間、わたくしが寝ている間に部屋にあったお菓子を食べつくしたのはあなた達でしょう!?」
「オ前、持ッテコナイ、悪イ!」
ものすごい開き直りだ。だが多勢に無勢で、他の面々まで騒ぎ出す。
「作ラナイナラ砂糖トルノ、邪魔スル!」
「他ノ植物ダッテ、取ラセナイ! モウ何モ教エナイ!」
「ドニハ別! 屋根、雨、シノゲル! 便利!」
「ああもう、仕事が終わったら作るし話も聞くから待ってらっしゃい!」
がしっと飛び回るカラスを素手でつかんで、影の割れ目にぎゅうぎゅう押し込もうとする。
だがばたばた羽を動かしてカラスは生意気にも抵抗した。
「横暴、横暴! 魔王サマ、言イツケル!」
「それはこっちの台詞よ。わたくしは仕事中だと言っているでしょう……!」
「……邪魔をするんじゃない」
静かな声に、ぴたりと魔物達の喧騒がやんだ。
「それと、その影を使ってでも結界の外へ不用意に出るんじゃない」
「了解、了解!」
「この間もそう言ってつまみ食いをしに……お待ちなさい、逃げるつもり!?」
次々影に飛び込んで消えていく魔物達を見てアイリーンは地団駄を踏む。
仕方なく、キースを連れて出入り口に立っているクロードをにらんだ。
「クロード様は魔物達に甘いのではなくって? 私の部屋にしょっちゅうお菓子をねだりに来ますわよ、特にあのカラス達!」
「君だって菓子と引き換えに森の情報を集めてるんだろう」
「それはそれ、これはこれです! もう一度しびれ薬を仕込んでやろうかしら……!」
「そうしたらおいしい実の場所とか教えてもらえなくなるかもしれませんねぇ」
意味深にキースが笑う。アイリーンは両腕を組んで、ため息を吐いた。
「……報酬は渡しますが、礼儀は大事です。しっかり注意してくださいませ、クロード様。ドートリシュ公爵家の屋敷で魔物が見つかったら大騒ぎになりましてよ」
「君が何とかしてくれると魔物達は思ってる」
「だからそれが……!」
「まあまあ、魔物達の教育方針の話はそこまでにして。資金の面ですが、うまく調達できましたのでご報告に上がりました。いやー迅速解決ですよ、ジャスパーさん優秀ですね!」
ジャスパーが記事の締切に追われていないのをいいことに適当な報告をするキースに、冷めた目を向ける。
「ジャスパーはあなたを怖がっていたけれど? あっという間に証拠をつかんできたんですってね。まるで準備してたみたいに」
「そんな、偶然ですよぉ」
「しかもジャスパーには別の汚職ネタを提供して、横領相手は誰か教えなかったそうね。どういうおつもり?」
「えーだって魔王様に生活費がなかったとか記事になったら、かっこわるいじゃないですか」
テーブルに積まれたラベンダーが一気に枯れ出した。ドニが真っ先に叫ぶ。
「あっ魔王様が傷ついてる!」
「そんなわけですので皆さん安心して仕事に励んで下さい。あと夜会の準備も、私め張り切っちゃいますから! クロード様には一張羅着せますから、アイリーン様も負けずに、ね!」
にやにや笑うキースは完全に面白がっている。アイリーンは淑女の笑みを浮かべる。
「ええ、頑張りますわ」
「うわあ、楽しみですねー。ね、クロード様!」
その名指しに自分でも驚くほど動揺した。だが、皇妃になるべく鍛え抜かれた鉄壁の淑女の笑みのおかげで、表に出さずにすむ。できるだけ自然に、クロードに目を向けられた。
だが肝心のクロードが、とても綺麗な顔立ちのままで固まっている。
「……」
ただの世間話のはずなのに、なぜだか沈黙が恐ろしく重い。お願いだから適当なことを言って欲しいと、笑顔が引きつりそうになったその時、クロードがあえぐように唇を動かした。
「……別に」
それだけで、ふいっと顔をそむけると同時に姿が消えた。
微妙な沈黙が漂う厨房で、冷静になったアイリーンは低く呟く。
「……。大して着飾ったところで別に変わらないだろうと仰りたいのかしら……? いい、全員! なんとしてでもこの化粧水を完成させてクロード様をぎゃふんと言わせるわよ!」
「ええー……そっちいっちゃうんですかアイリーン様って。魔王様の純情が仇に!」
「残念だったな。どうしてあんなに自分がムキになってるのかも自覚ねぇよ、ありゃ」
キースとアイザックが呆れている。ばんと机に手をついてアイリーンはその空気を遮った。
「さあ、仕事よ! 夜会まであと一ヶ月しかないんだから……!」
「あ、ラベンダーが元に戻ってる」
ドニの呟きに全員が肩を竦めるが、頭にきていたアイリーンは目に入っていなかった。




