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「うん、俺はな。お嬢様はただ者じゃねぇって思ってたよ?」
ベレー帽を万年筆で持ち上げながら、ジャスパーが叫ぶ。
「でもだからって普通、魔王の城の修繕作業をさせるか!? 人間に!? いいのか!?」
「法律には引っかかってないわ。徹夜で調べたから安心して頂戴」
「法律云々以前にだな!? ああもう、食われるんじゃないか!? 大丈夫なのかほんとに」
「怖がる者はこないでしょう。それならそれで仕方ないわ。でも、きてくれる人もいる。あなたみたいに」
アイリーンの指摘に、ジャスパーが虚をつかれた顔をする。
お世辞にも個性的とは言えない禍々しい廃城の前庭には、まだジャスパー以外誰も到着していない。集合時間まであと三十分はあるから当然と言えば当然だが、アイリーンは仁王立ちで待ち構えていた。
「まあ……俺は独身で守る家族もいねぇし、なんつっても特ダネの匂いがしたら飛びこんじまう記者の性みたいなもんっていうかよ……」
「第五層の人間は魔王に感謝している。――そう教えてくれたのはあなたでしょう」
「え、俺のせいなのか!?」
「そうは言わないわ。……ただ、クロード様が」
本当に為政者の器なら、見てみたい。
希望的観測も混じったその言葉をアイリーンは自ら閉ざした。
それは自分の命を救ったあとの話だ。
「こなかったなら、また別の手を考えるわ。平民落ちがかかってるんだもの、必死よ」
「平民なぁ……お嬢様が無茶する理由は分かったけどよ。ドートリシュ宰相も無茶言うよな。意外にお嬢様なら生きていけるだろうけどさ」
「無理よ。あなたの情報に賭けるような世間知らずのお嬢様だもの」
笑ったアイリーンに、ジャスパーは舌打ちした。
「だったら絶対くるって言わないといけなくなるだろうが、情報流した俺としては」
「ふふ、でしょう? これでも信頼してるのよ」
「――セドリック様は馬鹿だよな。こんないい女、手放すなんて」
きょとんとアイリーンはジャスパーを見返した。
「あら、お世辞? らしくないわね」
「平民になっちまったらすぐ連絡よこせよ。仕事も住む場所も探してやっから」
アイリーンの視線から逃げるように、ジャスパーが深くベレー帽を被り直す。
二人の間をざわりと、風が吹き抜けていった。晴天の空に不似合いな強い風だ。
「……まあ、どうせ俺の手には余る女だけどな」
「おい、娘! 状況を報告しろ!」
上空から翼を広げて現れたベルゼビュートに、ジャスパーがぎょっとしてあとずさった。
「ま、魔物……!」
「安心していいわ、扱いやすいから。……ベルゼビュート様、集合時間はまだ先でしてよ」
「では、上空から魔物達を引き連れて飛翔して現れるのと、あたり一帯を焼き払って力を見せつけてから一人で出てくるのと、どちらがより王の右腕としてふさわしい?」
「それなら上空からの方がまだまし――いえ、かっこいいと思いますわ。人間は空を飛べませんもの」
「なるほど。ではそのように王に進言する。それと、そこの人間」
「はいっ!? 俺ですかね!?」
声をひっくり返したジャスパーに、鷹揚にベルゼビュートは頷く。
「そうだ。貴様は我々の敵か?」
「め、滅相もない! 俺はアイリーンお嬢様の使いっ走りの、しがない記者で」
「ならばこれ以上、王を不快にするな。結界内のことを王はすべて把握しておられる――王の風は、人間など軽く吹き飛ばすぞ」
目を白黒させるジャスパーを置いて、ベルゼビュートは城の向こうへ飛んでいってしまう。
(風? 不快って……ジャスパーに?)
さっき突然吹いた風のことだろうか。しかし、考えても心当たりがない。
「ジャスパー、あなたクロード様に何かしたの?」
「いやいやいや、魔王様なんて顔も見たことねぇよ!」
「そうよね……一体なんなのかしら? 天気が悪くなるのは困るのだけれど……」
「あー、魔王様の心の乱れが風とか雨とか雷になるってやつか。……って」
同じように首をひねっていたジャスパーが、ふとアイリーンの顔を正面から見る。
「……そう言うお嬢様は、魔王様と面識があるんだよな?」
「当然でしょう」
「――えー……じゃあまさかさっきの? そういうことなのか? ええー……」
首をひねりながら何故かジャスパーが、アイリーンから一歩分距離を開けた。
「……。何? 何か分かったのならおっしゃい」
「いや、確信のない情報を流すのは正義の味方として主義に反する。なんか今もさわさわ風が吹いてるしな……これって魔王の圧力か……!?」
「クロード様は意味もなくそんなことをされる方ではないわ」
そう言った途端に風がやんだことに、アイリーンは気づかなかった。
待ちかねていた人影が見えたからだ。
明るい森の小道を歩く人影が増えてく。ジャスパーが口笛を吹いた。
「きたかぁ。さすがお嬢様。敵が多い分、味方は少数精鋭だねぇ」




