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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
挿話4

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194/344

ロクサネ・フスカ

◆2019/3/1『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』4巻発売御礼挿話◆


 聖王の玉座の前に引きずり出された自分を、まるで囚人のようだと思った。

 実際そういう扱いなのだろう。

 婚約者――もう、元婚約者と言うべきだろう――は、部下ふたりにロクサネの拘束をさせてから、見向きもしない。

 言い訳も何も許されなかった。

 神の娘に手を出した。罪状はただ、それだけ。


 ――あの子は奴隷、後宮の下女です。

 ――そもそも彼女は聖王の所有物なのですよ、そのような者にかまってはいけません。

 ――神の娘だと持ち上げられていますが、あなたにふさわしい女性ではないのです。

 ――フスカ家の面子をつぶすおつもりですか。

 ――あなたは、わたくしの婚約者といつも会っているのですか。

 ――わきまえなさい、あなたとわたくしでは住む世界が違うのです。


 すべて正論だったと思う。でも言えば言うほど、白い目で見られるようになっていった。

 そうだろう、と今更ながらに気づく。嫉妬に狂った女が正論で武装していただけだ。そう言われては何も反論できない。

 もっと違う方法があったはずなのだ。


(でも、でも。わたくしは、何も……)


 ――そんなにサーラがうらやましいのなら、お前を後宮の下女にしてやろう。


 アレスが嘲笑と一緒に告げた言葉は、からからに乾いたロクサネの恋心に、最後のひびを入れた。


「バアル様。ロクサネを連れて参りました」


 それはつまり、ロクサネを聖王の妻に差し出すということだ。

 自分の婚約者から、他の男に下げ渡されるなんて――まるで物のようだ。

 さらさらと砂のようにもろく崩れた恋心が、絶望にかわって降り積もっていく。


「――ロクサネを残して全員、さがれ」

「は? ですが」

「これを余に差し出すのだろう。ならばお前にどうこう言われる筋合いはない。さがれ」


 アレスが怪訝そうな顔をしたあと、嘆息をひとつこぼして、こちらに向かって合図した。

 後ろ手に縛られて拘束されていたロクサネは突き飛ばされて、床に沈む。大理石の床には天鵞絨の絨毯が敷かれていて、覚悟したほど痛みはなかった。

 荒々しく出て行く足音を遠く聞きながら、こちらに向かってくる靴先を見る。


(――聖王。バアル・シャー・アシュメイル様……)


 アシュメイル王国の、聖なる王。

 この国における高貴な女性は、基本的に家族以外の男性との接触を控える。だからその名を知ってはいても、顔まで知らなかった。評判も、あくまで噂程度で聞いているだけだ。

 そもそも妃であっても、本来ならば頭をさげて、許しがあるまでは顔を見てはならない相手である。

 当然、こんな格好で目通りするなど許されないのだが、もう体に力が入らなかった。

 ただ、こちらを睥睨する菫色の瞳を、綺麗だなとうつろに見上げるだけしかできない。

 そのことを、聖王は怒りはしなかった。

 ただ芋虫のように転がったロクサネを見下ろしている。


「……神の娘に手を出したのだ。仕方ないとはいえ……罪人扱いだな」


 その言葉に、ぼんやりと思い出す。


(たしか、お父様が、バアル様は神の娘を想っておられると……)


 また神の娘だ。

 なら、自分のことは疎ましいだろう。

 笑ってやる力などもうない。ただただ、国が二つにわれるかもしれないと心配していた父親のことだけ考える。いっそ自害でもすれば、迷惑をかけずにすむだろうか。

 そう思ったとき、ぱちんと指が鳴る音がした。

 後ろ手に縛られた縄がほどけ、ふわりと体が浮かびあがる。驚いている間に、床に腰を落とした格好になっていた。

 ――魔法だ。いや、聖なる力だから、魔というのは失礼だろうか。

 驚きでややずれたことを考えながら、目の前に佇む王をもう一度見上げる。

 綺麗な、菫色の瞳。


「正妃になるか?」

「え」


 もう泣き枯れて出なくなっていた声が、思わず出た。

 聖王は淡々と、もう一度聞いた。


「余の正妃になるか?」


 もう動かないと思っていた思考が回り出す。

 アレスは自分を後宮に差し出した。下女になるのだとばかり思っていたが、フスカ家の令嬢である自分をそこまで貶めれば父もその周囲の貴族達も黙っていない。

 何より、神の娘ひとりのために聖王が後宮の階級や規則をまげたと思われてはまずい。神の娘にふぬけてしまった王だと、侮られてしまうだろう。

 そう、アレスは後宮の下女であるサーラに手を出したが、本来それはふたりとも極刑に処されて当然の案件だ。だが、サーラが神の娘であり、アレスが国民的人気の高い将軍であり、魔竜の復活に脅える現在の世情では、ふたりを極刑にすることは下策だった。

 だからこの王は、サーラもアレスも見逃した。

 そして今、アレスがかわりにくれてやるとばかりに差し出した自分を、正妃にしようとしている。


(わたくしを正妃にすることで、宮廷内の権力を調整しようとしてらっしゃるのだわ)


 一人娘が聖王の正妃になれば、フスカ家の面子は保たれる。

 また、アレスに妃を奪われたあげく、その婚約者を押しつけられた――という屈辱きわまりない醜聞も、その婚約者が正妃となればまた別だ。憶測は広まるだろうが、体裁として神の娘が去ったかわりに後宮にはフスカ家の令嬢という高貴な女性を正妃として迎え入れたことになる。


 突然、目がさめたようだった。


 このひとは、サーラを想っている。

 なのに、その想い人を手放して、その想い人に馬鹿な嫌がらせをした自分を正妃にする。自分の失恋などあとまわしにして、国のことを考えているのだ。


「返事は?」

「――あ……」

「とはいえ、どちらにせよお前に待っているのは屈辱的な未来だ。誰もがお前をフスカ家の権威にまかせて正妃をかすめとった女だと思うだろう。そしてお前が正妃だろうと、下女だろうと、余がお前のもとに通うことはない」


 形だけの、正妃。

 目の前に出された選択肢に、ロクサネは呆然とする。

 選択肢を差し出されたことが、信じられなくて。


「どうする、ロクサネ・フスカ。アレスはお前を処刑しろと息巻いている。だが、聖王を裏切った神の娘が無罪放免となるのに、お前ひとりが処刑されるなど道理が通らぬ。余はそういうのは好まん」


 時折言葉に苦みをにじませながら、それでも王の顔で、そう言われた。


(この方だって、サーラ様を想ってらっしゃるのに)


 馬鹿なひとだ。

 ロクサネを正妃にすれば、醜聞は広がり続ける。恋敵が捨てた女を妻にして、想い人を差し出すのだ。痛みがないわけがないのに、それでもそれが最善だと選ぶのだ。

 それなのに、自分ときたら――たかがあんな男のために、人生の終わりを見たような気になって。


(わたくし、は)


 ――あんな男の婚約者のままで、終わるものか。


 奥歯を噛みしめて、傷だらけの恋心を呑みこむ。砂のように降り積もる絶望を、振り払う。


 この王の正妃になろう。

 そこに恋も愛もなくてもいい。ここで絶望しておわるのだけは、それだけは、駄目だ。


 だってほら、目の前のこのひとは、たったひとりで立っている。


「――謹んでお受け致します。わたくしを、どうぞあなたの正妃に」


 立ちあがり、指先まで気を張り巡らせて、最高の淑女として礼をする。

 目を細め、聖王が自嘲気味に笑う。きっと、正妃の座に目がくらんだ愚かな女だと思われている。

 それでもかまわない。否定しない。


 あなたの正妃は、とても魅力的だと思うから。





 ロクサネが正妃になったと聞いたときの、アレスの顔を思い出す。

 驚いたような、初めて傷つけられたような、そんな顔だった。

 そのあとも、正妃としてロクサネが振る舞うたびににらまれた。

 この男は、聖王に牙をむく。

 なぜだかそう確信して、ロクサネはその顔をにらみ返していた。


(そうはさせない)


 王にふさわしいのはあのひとだ、お前じゃない。

 そんなことを考えてばかりで、バアルがそのうしろでどんな顔をしているのか気づかなかった。


「……お前が魔竜と通じるようなまねをしたのは、バアル様に冷遇されたからだろう?」


 なだめるような優しい声色が、薄暗い牢に響く。

 一応、尋問の体裁を保つため、椅子に座ることは許されていた。小さな四角い木机をはさんで座っているのは、アレスだ。


「正妃とは名ばかりで、お前を放置し続けた」


 それは、必要以上に情を向ければ、周囲の反感を買いかねないからだ。

 ロクサネを遇すれば、ただでさえ立場の悪い正妃が追い込まれていくことを、彼は知っていた。

 一度は処刑しろと息巻いたアレスが何を言い出すかわからないことを察して、先回りしてロクサネに必要最低限の施ししかしなかった。

 それは政治的な判断で、とても正しい。


(そんなことも、わからないなんて)


「お前ばかりが悪いわけではない」

「……」

「正直に話してくれ、ロクサネ。さみしさ故に、魔王にそそのかされたんだろう」


 それはたぶん、彼なりの慈悲の手なのだろう。

 不意に、この男が内乱なんてたくらんだのは自分のせいかもしれない、と思った。

 とても傲慢な考えに、笑みが浮かんでしまう――この男はロクサネの心がはなれるなんて微塵も思っていなかったのだ、なんて。

 でもその笑みを見て、まるで昔に戻ったようなほっとした笑みをアレスも返すのだから、あながち間違っていないのかもしれない。


「いいえ」

「……何?」

「わたくしは魔竜など知りません。魔王も知りません。そして――バアル様を、売ったりもしない」


 肩を突き飛ばしたとき、呆然としていた夫の顔を初めて正面から見た。

 ロクサネに伸ばそうとした手が、落ちていく手が、何かをつかみたがっていた。

 こんな男にかまけていないで、その手をつかんであげられる自分になればよかった――愛する時間をもっと作ればよかった。

 それはきっと正しくないことだったのだろうけれど。

 自然と、唇がほころぶ。驚くほど優しい笑みを浮かべた自分が、アレスの瞳の中にいた。


「わたくしは、あのひとの妻ですから」


 頬に衝撃が走る。頬を張ったアレスも、驚いた顔をしていた。衝動的に叩いたらしい。

 焦りも苛立ちも隠さず、まるで裏切られたような顔をして、アレスは荒々しく牢から出て行った。





「もう動ける」

「なりません」


 目がさめた途端そう言い出したバアルをいさめるのは、これで数回目だ。

 だだっこのようにバアルがわざわざ布団から這い出て、寝台の上に大の字になった。その上にかける毛布をさがしていると、また不満が飛んでくる。


「もう熱はさがった」

「さがっておりません」


 毛布をかけて、バアルの額に手をあてる。やはり、まだ少し熱をもっている。

 昨日、ずぶ濡れになって震えて戻ってきたと思ったら、そのまま高熱を出して倒れたのだ。それに比べればさがったのだろうが、病人には違いない。無理は厳禁である。

 それを告げようとすると、バアルが先に口を開いた。

 

「お前の手が冷たいのだ」


 子どものような屁理屈だ。

 だがそれを本人も自覚しているのだろう。じっと見つめていると、気まずそうに寝台の布団の中に潜っていく。

 ほっと、肩から力が抜けた。


「安静になさってください。……昨夜はひどい熱だったのですよ」

「……お前が看病したのか」

「今は人手が足りませんので」

「――そうか。そうだな」


 その口調と顔が王のものになったことに気づいて、慌てた。顔には出ないのだが。


「あなたが動かれる必要はありません。あなたが集めた方々は、皆優秀ですから」

「……」

「おとなしくなさってください。……困ります」


 布団の中から顔だけ出していたバアルが、ごろりと横になった。と思ったら、指先が寝台の脇から出てくる。


「余がおとなしくしていないと、お前が困るか」

「はい」

「……余が心配か?」

「はい。早くよくなってくださいませ」

「……それまで看病は誰がする。お前か」

「はい。あなたの正妃ですので」

「そうか」


 寝台脇の小さな椅子に座っているロクサネの衣装についた赤いレースをつまんだり離したりしながら、バアルはもう一度、そうかとつぶやいた。

 ロクサネは、自分の衣装を指先で遊んでいるバアルの手を取って、布団の中に戻そうとした。だがその前に、手をつかみ返される。


「――お前は、余の正妃か」

「そうですが」


 何を当然のことを、と思いながらも、その声が切実だったので頷き返した。

 少し唇を尖らせて、バアルが布団の中に顔を半分沈める。


「情緒が足らぬ」

「……どういうことでしょう? それよりも手を離していただけませんか」

「嫌だ」

「なぜですか」

「……なぜだろうな」

「まだ熱があって混乱なさっているのかもしれませんね」

「――よし、わかってきたぞ」

「何がでしょう」

「このままでは食い違いつづけて、少しも進展せぬことがだ」


 手をつないだままで、バアルが起き上がった。

 眉をひそめてそれを止めようとしたが、その手を額に当てられ、菫色の瞳を閉じられた。


「ロクサネ。――今まで、すまなかっ」

「いけません」


 バアルが何をしようとしているのかわかって、強い口調になった。


「謝ってはなりません。あなたは王です」


 バアルは瞳を開いて、ロクサネをまっすぐ見つめる。

 綺麗な目だ。

 何者にも穢されず、魔王にも斃れない、王の瞳。


(ああ、よかった)


 ――自分はこれを守り抜いた。

 誇りを胸に、ロクサネは繰り返す。


「わたくしは、あなたの正妃として当然のことをしただけです。ですから、わたくしのしたことを、誇らせてください」

「……。そうか。そう、だな。――よくやった」


 手を引かれて、抱き締められた。

 嫌悪感はない。安堵だけでもない、うずきがあった。


「よく、余を助けてくれた。――ありがとう。お前は、余の正妃だ」


 はい、とロクサネは微笑む。

 やっと、自分があの男の婚約者ではなくなった気がした。今死んだとしても、自分はこのひとの正妃として人生を終えるのだろう。

 それが誇らしい。


「……それで……だな、ロクサネ」

「はい」

「つまり、その、今後も余の正妃ということで、かまわぬのだな」

「はい」

「それはつまり、その、余を愛しているということか」

「いいえ」


 ただし、ロクサネの素直な返事にバアルがそんな馬鹿なと絶叫するまで、あと数秒。




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