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毎朝、目が覚めたら見えるのは夫の姿のはず。
だから目をあけたとき、少しここがどこかわからなかった。
「――リーン、アイリーン……!」
「クロード様……もう朝ですの……?」
ぱちりとまばたいたクロードは、周囲を見て答える。
「朝……といえば、まだ朝かもしれないが」
「……。――そうだ魔竜!」
一気に思い出したアイリーンは、クロードの腕から飛び起きて、まばたく。
すっかり昇った朝日を浴びて、きらきらと輝く美しい白銀の竜がいた。人より少し大きなサイズのその竜は、アイリーンと目が合うなりさっとクロードの影に隠れてしまう。
だがクロードより大きいので、丸見えだ。
「……クロード様。その竜……」
「ああ、魔竜……というか水竜だ」
呆然としながら、アイリーンは周囲を見る。気を失っていたのは一瞬のようだ。
すぐ近くにバアルが、その横にロクサネが立って、こちらを心配そうにうがかっている。他の面々はいないが、もう空に魔竜の気配はなくなっていた。
終わったのだ。自覚した瞬間、どっと疲れが出て、クロードの胸に再度倒れこむ。
「こ……今回も疲れましたわ……」
「――エルメイアからの客人よ」
ゆっくりとバアルが進み出た。その横にロクサネが立ち、うしろでその国の人々が跪く。
抱き上げようとするクロードの手をとめて、アイリーンも立ち上がった。これは外交だ。
向き合った隣国の王が、まず頭を下げる。
「我が国を救ってくださり、感謝申し上げる。――これからも、互いによき隣人でいていただけるだろうか」
「願ってもいない申し出だ」
「何か礼をしたい。まあ、これから復興だ。値が張る物はそうそう渡せぬが」
「バアル様、そのような言い方は」
眉をひそめてたしなめようとしたロクサネに、クロードが微笑んだ。
「だとしたらちょうど頼みたいことがある。――ロクサネ妃がよろしければ、だが」
「……私ですか? おうかがいしますが……」
「この子――水竜を後宮に住まわせていただけないだろうか」
思いがけない話に、ぎょっとバアルが目を剥く。
アイリーンもまばたいてクロードの横顔とまだ隠れている水竜を見比べた。
目を丸くしたロクサネが、戸惑いながら質問する。
「……後宮に住むというのは……妃にするということですか?」
「後宮は正妃であるあなたの管轄だと聞いた。彼女を聖王の妃にしたい」
「ちょっと待て、そいつは雌なのか!? いやそれより――妃だと!? 余の嫁にしろと!? どうしてそうなった!?」
バアルに指さされた水竜が照れたように尻尾を丸め、鋭い爪で顔を隠す。意外と可愛い。
「この子は、毎晩君のところへ行く内に、なんだかそういうことになったらしい」
「さっぱり理解できん! いや、したくない……!」
「毎晩、話をしていただろう。片恋がつらいとかひとりでさみしいとか」
「アーーーーーーーーーーーーー!?」
バアルが空に向かってものすごい絶叫をあげ、その場に崩れ落ちた。
ぴくりと長い髭を立てた水竜が、おろおろしたようにバアルをうかがっている。
「その話を聞いて、同情したようなんだが」
「……そんな……馬鹿な……話が……」
「君が作る国ならば、水で潤してもいいそうだ」
はっとバアルが顔をあげた。アイリーンもとんでもない展開に口を挟めずにいたが、ようやくクロードが狙う落としどころに納得する。
そうすればこの国は、魔王とよき隣人で居続ける限り、水に困ることはない。
「わかりました、彼女を聖王の妃に」
「ロクサネ!? お前、いくら余でもこれと子作りは守備範囲外だ!」
「覚悟をお決めください」
「なん……だと……」
よろめくバアルを無視して、ロクサネはクロードのうしろに隠れる水竜を見上げる。
「うつくしき竜の姫。あなたは魔王であるエルメイア皇太子の娘と同然の御方です。わたくしは正妃ですが、そのような位では足りぬことでしょう。長くこの国に妃として止まっていただけますよう――聖竜妃という位を新たに作ります。そして後宮の、いえこの国のどこにでも好きな場所にお住みくださいませ」
「――よろしく頼む」
クロードが目を伏せ、水竜の背を押した。
「つらくなったらいつでも帰っておいで」
「――っそんな娘を嫁に出すような言い方でごまかされるか! お前! おもしろがっているだろう!? アイリーンをとられた仕返しか!」
ずかずかと歩いてきたバアルが、王の顔をかなぐり捨ててクロードの胸ぐらをつかんだ。
それに平然とクロードが返す。
「僕の妻が君にとられたことなどない」
「ほお、そうか。そうだな、まだアイリーンはお前の妻とは言えないからな……!?」
「――どういう意味だ?」
「どうもこうもそのままの意味だ。役立たずの夫が」
ぴしっとクロードの鉄壁の無表情にひびが入った気がした。
それは気のせいではないと、クロードが剣の柄に手をかけたことで証明される。
「それを言う君は妃だけが山のようにいるだけのさみしい男だ。魔竜も同情するほどの」
「貴様、今それを言うか!? よしわかった、アイリーンは返さぬ」
「なんだと」
「腑抜けなお前にかわって余があれを夜ごと啼かせてやろう! はっはっは」
がきぃんと、戦いが終わったはずの後宮に剣戟が鳴り響く。魔王が抜いた剣を聖王が受け止めた音だ。
「余に魔力はきかんぞ」
「防御しか能がないくせに何を言う」
「剣が使えぬとも言っていない!」
その言葉の通り、見事な剣さばきでバアルがクロードに振りかぶった。
爆風が吹き荒れるのは、それぞれに魔力と聖なる力を応用して使っているせいか。
「ちょ、ちょっとお二人とも!」
「アイリーンは僕の妻だ」
「いいや余の妻だ!」
がんがんと剣で撃ち合う二人はまったく耳を貸す様子がない。
突然始まった魔王と聖王の戦い――といえば聞こえがいいが、ただの喧嘩に周囲はおろおろしている。
(王が喧嘩してたらまとまるものもまとまらないじゃないの!)
ぽんと肩をたたかれる。振り向くとそこには二つ桶を抱えたロクサネがいた。
「神水です。そこでくんでまいりました。お一つお使いください」
なるほどと頷いて、アイリーンはロクサネから桶を一つ受け取る。ロクサネが持っている分を合わせたら、川ができるくらいの量だろう。
それをいまだに剣を撃ち合っている二人目がけて、ぶちまけた。
「…………」
「…………」
頭からずぶ濡れになった二人がこちらを向く。桶を投げ捨てて、アイリーンは言った。
「お二人とも、ご自分が王だというご自覚が足りないようですわね?」
「どうしても続きをなさりたいのならば、どうぞ目に入らない場所でお願いします」
「……ちょっと待てロクサネ。これはまさか神水」
バアルの質問が終わる前に、二人の足下が地盤沈下を起こした。そのまま後方に向けて一気に水が濁流のようにあふれ、水路に混ざり込んで、二人を押し流す。
あっという間に見えなくなった二人を見送って、アイリーンはロクサネに向き直った。
「今のうちに色々条件をつめておきません?」
「そう致しましょう。誰か、お茶を」
「砂ではないお砂糖を入れてね」
アイリーンの言葉に、ロクサネがほんのわずかに笑った。
■
神水とはいえ、ただの水だ。
驚いて流れに呑みこまれてしまったが、魔力を使えば脱出はたやすい。勢いよく運河へ向かう流れを足下に見ながら、クロードはぬれた前髪を持ちあげる。
「なんてことをするんだ、夫に対して」
「まったくだ」
同意は少し離れた場所から聞こえた。岸に降りたバアルが肩をすくめてみせる。
「まあ、妻にさからうものではない、ということだろう」
「何をしでかすかわからないからな、僕の妻は」
「余の妻も怒らせると怖いようだ。――今日、初めて知った」
なぜだか笑いがこみ上げてきた。バアルも同じように笑い出す。
濡れ鼠のまま二人の王は川のほとりでしばらく笑い続け、そろって大きなくしゃみをした。
いつも読んでくださって有り難うございます。
明日のエピローグ更新で、第4部は終了になります。
第4部の書籍化となる4巻が3/1に発売致しますので、書き下ろしなどの情報を活動報告に書きましたが、明日のエピローグのネタバレみたいなものがあるようなないような感じですので、ネタバレが嫌な方はエピローグが更新されてからのチェックをお願い致します。
それでは最後までお付き合い宜しくお願い致します。




