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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
第四部

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42



 魔竜が空から消えた。

 どこからかあがった歓声を他人事のように聞きながら、セレナは胸に抱いた書類を確認して、アレスの屋敷を出る。


(セドリック皇子にはここから撤収するよう伝えた。サーラがいたのは意外だったけど)


 逃げ出した神の娘は馬鹿正直に自分の部屋に帰ってきて、荷物を詰めて、逃がしてくださいと通りがかったマークスに泣きついたらしい。どう処理するのか知らないが、そもそもセドリックがそそのかしたようだ。あの第二皇子はつくづく小細工ばかり考えつく。その裏にはリリアがいる可能性があるが。


「……」


 あなたの力。そう言われたことを思い出して、手をにぎったり開いたりしてみる。


(――私が何もできないんじゃ、意味ないじゃないのよ)


 つまりここにいるのは何も変わりない、いつもの自分だ。

 腕の傷はただの切り傷だし、すぐに治るだろう。散々ひどい目にあったのだから、しっかり報酬はもらう。もちろん、ハウゼル女王国の護衛とは別料金で請求だ。

 結局神剣を使ってあの魔竜をたおしたのはリリアかアイリーンか、そのあたりだ。自分には何もかかわりがないことだ――。


「……ッ!?」

「騒ぐな」


 髪をつかまれ、首に刃物をつきつけられたまましげみに引きずりこまれた。

 誰もが魔竜がいなくなった空を喜ぶ中で、薄暗い顔をした男がにたりと笑う。


「お前を待っていたんだ」

「アレス、様……」


 人相が変わりすぎて一瞬誰かわからなかった。

 剣先を喉元に突きつけられたまま、セレナは周囲を見回す。アレスと――一人、二人。皆、魔竜に食われた者達だ。薄汚れ、きらびやかな未来はもう見られない者達。


「アレス様。この女、帳簿を持ってます! ハウゼル女王国から武器の密入や賄賂を記した」

「なんだってかまわん、この女は土産になる。ハウゼル女王国へのな」


 逃亡のための人質に使う気かと思っていたセレナは、思いがけないその言葉に目を瞠った。

 その顔を見て、アレスが鼻先まで近づいてくる。


「神剣を直したのはお前だろう」


 ――戻れなくなるわよ。


 時計塔での言葉が、頭に響いた。


「他人の力を増幅させるなんて聞いたこともない。お前を持っていけば、ハウゼル女王国は必ず俺を賓客扱いするはずだ」

「……っサーラ、様は。あの方はあなたの妻で、神の娘――」

「あの女の話はもういい! それよりも今はお前の方に価値がある」


 サーラ。決して好きではなかった。かわいこぶってえらそうに、神の娘だと崇められて、いい気になっている女。

 でも――死にたくないとこの男から逃げ出した彼女は、正しい。


「なんなら俺の妻にしてやってもいい」

「お断りよ!」


 袖口から隠し持っていた小さなナイフを取り出し、つかまれている髪を自分で切る。不意をつけた今が逃げ出すチャンスだ。数人、しかも鍛えた男達と真っ向から戦って勝てるような力はない。

 だがアレスの反応は早かった。セレナの動きを読んでいたかのように、背後から背中を剣の柄で殴り、そのまま足払いをかける。


「いっ……!」

「暴れるな、できるだけ傷をつけたくない。お前の体液には価値がある」


 木の幹にぶつかってへたりこむ。足払いをかけられた足首が熱をもっていた。ひねったのかもしれない。殴られた背中も木に打ちつけた全身も痛い。


「血の一滴も無駄にはしない。――涙もな」


 じわりと生理的な反応でにじみかけた涙を見て、アレスが笑った。顎をつかんで持ち上げられ、舐め取られる。気持ち悪い。悔しくて、奥歯を噛みしめる。


(――泣くな! 泣いたってどうしようもないでしょ)


 誰も助けてくれなどしない。頼りになるのは自分だけだ。従兄弟に殴られたときも魔香を手に入れたときだって――自分の男運のなさはもはや生まれつきだ。笑いすらこみあげる。


「お前、綺麗な顔をしているな」


 ふとアレスがそう言った。それはいつだったか叔父から向けられた目とそっくりだった。


「もしお前の体液が奇跡を起こすなら、お前に子どもを産ませたらどうなる――ッ」


 身動きがままならないかわりに、その顔に唾を吐きかけてやった。


「お望みの体液よ。ありがたくなめとれば?」

「この女――ッ!」


 一発平手で殴られた。そのまま胸元の服を力任せに引き破られる。はっと笑った。いつだって男はやることが単純だ。

 拳を握る。怖くない。もっと逆上させろ、怖くない、そうすればきっと隙ができる、怖くない、誰も助けにきてくれなくていい、戦える。


 でもいったい、いつまで、たったひとりで。


「……セレナ?」


 場違いな声がまざった。間抜けな顔が見えた。

 よりによって、そう思った瞬間、体の重みが消えた。

 うめき声が聞こえて、セレナをつかんでいた男二人が地面に沈む。


「――何してんだ、お前ら」


 男を二人、あっという間に沈めたオーギュストが、ゆらりと立ち上がる。まとう空気が変わっていた。咄嗟に間合いをとったのだろうアレスが、剣を抜いてかまえる。

 はっと思い出す。オーギュストは手合いでアレスに一度も勝てていない。


「待ちなさいよ、あんたじゃ勝てな――」


 止めようとした時にはもうオーギュストは動いていた。

 寸分の狂いも無駄もなく剣先がアレスの首を狙う。アレスはそれをよけたが、姿勢を低くしたオーギュストの蹴りをそのまま横腹にくらって吹っ飛んだ。地面に転んだアレスの顔の横に、オーギュストが剣を突き刺す。

 一瞬でついた決着だった。

 アレスも状況把握が追いつかないのか、呆然としている。


「……大事な証人だって聞いてる」


 普段の明るさをすべてそぎ落とした無機質な声で、オーギュストが言った。


「――でも今度セレナにこんなことしてみろ。その時は殺す」


 地面から剣を引き抜いたオーギュストが、そのままアレスの側頭部を容赦なく殴った。思わず目をつぶってしまったセレナは、ぐたりと弛緩したアレスを見ておそるおそる尋ねる。


「こ……殺した、の? まさか」

「生きてるよ、気絶させただけ。あの……セレナ」


 振り向いたオーギュストに、思わずびくりと体が震えた。

 それに気づいたオーギュストが慌てて、手を一生懸命服でこする。そして綺麗にした手を、ゆっくり差し出してきた。


「あの……あの、髪が」

「……」

「だ、だいじょう――」

「大丈夫なわけないでしょ!? ――遅い!」


 そう叫ぶと、オーギュストはぽかんとしたあとで慌て出した。


「ご、ごめんな!? 遅かったよな、ごめん!」

「どうすんのよこの髪!? 綺麗に伸ばしてたのにっ……上着貸して!」

「はい!」

「立てないし歩けないじゃないのよ!」

「おぶってくから! だから、その」


 世界がゆがんでいる。

 けれどオーギュストのその困り果てた顔は妙にはっきりと見えた。


「泣くなよ。俺、どうしていいかわかんないから――っ」


 気のきかなさに腹が立って額をその肩にぶつけてやった。

 決してすがったわけではない。目にゴミが入っただけで、泣いてるわけじゃない。そもそも自分の涙は高いらしいのだ、そう安売りしてたまるか。


 でもきっとこの男は、この涙に価値があるなんて言わないだろう。


 オーギュストは一瞬固まったが、そのまま抱き締めてくれた。

 やればできるではないかと、少しだけ安心した。



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