36
どういうことだと怒鳴るアレスに、聞きたいのはこちらだとアイザックは内心で歯噛する。
(なんで魔竜がこのタイミングで制御不能になるんだよ。まさか魔王様がやったのか)
そうだ、そうに違いないとなかば八つ当たりで決めつけた。
「魔竜がああなったことについて、ハウゼル女王国の方々はなんと言っておられる?」
「わからないとしか聞いておりません」
そのまま正直に答えると、アレスは苦々しく吐き捨てた。
「無責任な……! 自分たちがよこした神具の不具合だろう。あれならば魔竜を完全に操り閉じ込められると言っておいて!」
「今はかの国の方々を責めても仕方ありません。それよりお静かに。今はアレス様が魔竜を捕獲していたことを知られる方が問題です」
「なぜだ。俺は神剣が修復されるまで、魔竜を監視していたのだぞ。魔竜に襲われる危険を侵してまで」
「魔竜がこんなことになるまで育てたと見られます」
忠告にアレスが目を丸くした。自分が疑われるなどと露とも思わなかったのだろう。
「冷静になってください。我々はある意味、先手を打たれてしまったんです」
「それは、どういう意味だ」
「今この国を守っているのは聖王の結界だ」
そういう意味でこの展開は、聖王側に有利に働いている。
この不測の事態に起こりうること、その結果、可能性を頭の中で組み立てながら、状況を説明し続けた。
「しかも先ほど、エルメイア皇国から皇太子妃が到着されたという情報が入りました」
「エルメイア皇国の皇太子妃だと……? 魔王の花嫁が何用だ。頭を垂れにきたのか」
「聖剣の乙女が魔竜からこの国を救いにきたんですよ。少なくとも他国はそうとります」
アレスだけではなくその周囲も驚いた顔をしているのだから、始末に負えない。
本当にこの国は外交ができないのだ。アレスもハウゼル女王国から吹き込まれた知識しかない。
(聖王が懸念するのも無理ないか。何かあれば一発でつぶれるぞ)
だがその懸念も、この事態を回避してこそだ。
「エルメイア皇国が聖剣の乙女を派遣した意味は大きい。これは我が国を魔竜から救うという意思表示――魔王は魔竜の行動を認めていないという姿勢の表れだからです」
そういう意味でアイリーンがここで正体を明かしたことは大きな意味がある。アレス達への報告はわざと遅らせたので、もう噂を止めることもできないだろう。
「そ――それがどうした。結局のところサーラの神剣がなければ魔竜は斃せない。だからバアルも俺にサーラを連れてくるよう命じたんだろう。聖剣の乙女では斃せないと」
「そうです」
この作戦の一番最悪なところはそこだ。
どんなにバアルやアイリーンが活躍しようが、結局神の娘が讃えられて終わってしまう。今は目前になった魔竜への恐怖で、エルメイア皇国からの助けを半信半疑で受け入れているだけだ。結局、大した活躍もできなければ恩を売ろうとしたと言い出すだろう。
それでもかまわないとアイリーンは決断したのだろうが、こっちはそうはいかない。
(どうする。聖王に結界を解除させて魔王様に魔竜を鎮めさせるか? だめだ、魔竜復活の自作自演の疑いが濃くなる。戦後支援程度じゃやり損。あーもう、いざとなったらあの第二皇子を全部の黒幕にして処刑しちまおうそうしよう、わーさすが魔王の弟、役に立つなあ)
神剣は必要だ。そこは動かせない。考えろ、とアイザックは頭と口を動かし続ける。
「いくら聖剣の乙女が出てこようが、魔竜に聖剣はきかない。つまり……」
魔竜は既に人間にとりついている。ふと、唇が弧を描いた。
「サーラ様が神の娘である限り、アレス様は――何も、心配しなくていいのです」
そう言いながら、さりげなく内ポケットから紙を取り出し、書き付ける。これをアイリーンに渡さなければならない。
そんなアイザックの動作を気にすることなく、アレスは満足そうに頷いた。
「そうだな。だがこのままだと神剣をバアルにわたすことになってしまうのでは?」
「サーラ様にアレス様こそ神剣にふさわしいと宣言してもらえばいい。それにアレス様は将軍だ。こんな状況下では、最前線で戦うことになんの問題もありません。むしろその間に聖王がいなくなってしまえば――」
「――誰だ!?」
アイザックと一緒にアレス側の陣営に入っているオーギュストが叫んだ。
すっと現れたのは、エルメイア皇国では有名な使用人のお仕着せをきた女性。レイチェルだ。
不意打ちすぎる再会だ。目が、確かに合った。
だがレイチェルは表情には出さず、深々と礼儀正しく頭をさげる。
「お話中、失礼致します。アレス将軍とサーラ様の到着が遅いので、様子を見てくるようにと仰せつかりました」
「エルメイア皇国の手先か」
誰かが先に何か言い出す前に、アイザックはレイチェルに向けて足を踏み出した。
(あーもうこないだといい、マジで最悪。こいつと俺、相性悪いだろ、絶対)
細いその肩を乱暴に押しのける。さすがに突き飛ばされることは予想していなかったのか、レイチェルが瞠目してよろけ、壁にぶつかってへたり込んだ。
「――これは失礼」
それを笑って見下ろしながら、折りたたんだハンカチを取り出し、ぶつける。間にメモがはさまったハンカチが、レイチェルの膝の上に落ちた。
「だが、こそこそと動き回られては困る。――行きましょう、アレス様」
「……ああ。だがこの女はどうする」
「わざわざきていただいたんです。オーギュスト、丁重にお見送りしておけ」
敵の手先が動き回らないよう監視させるのは当然である。アイザックが含ませた意味に、アレスも異を唱えなかった。オーギュストは意味がわかっているのかいないのか、なんとも言えない顔をして頷き返す。
これでレイチェルは無事、外につまみ出されるはずだ。廊下に出てアレスに付き従いながら、肩から息を吐き出して、天井を見上げた。
(別にあの女助けるのが仕事じゃねーし。……感動の再会とか期待してなかったし)
あのメモをアイリーンに届けてくれればいいだけだ。だが伝えたところで綱渡りの作戦には違いないので、何もかもが最悪である。
「サーラ。いるか、出かけるぞ。いよいよだ」
アレスの呼びかけに答えて、儀式の衣装を着たサーラが部屋から出てくる。その両脇を固めるのはセレナとリリアだ。アイザックとしてはこの女二人が味方だと思っていない。
だが神の娘の儀式に付き従えるのは聖なる力を持つ女性と決まっているそうだ。この二人しか動かせる手駒がないので、そこは裏切りもこみで信じるしかない。
「準備は整っている。必ず成功させよう」
「――あの……アレス……ええと……もし、せ、成功しなかったら……」
「アレス様。サーラ様ったら緊張されてるんです。あり得ないことばかり言って」
セレナがまるで姉のように、サーラの肩を抱く。アレスは笑った。
「何を言う。君は神の娘だ、大丈夫だ」
「あ……あの、アレス。き、聞きたいことがあって。もし、もしもよ」
妙にサーラの口調が切羽詰まっている。それが気にかかって、観察してしまった。
「もし私が神の娘じゃなかったら、どうする……?」
「何を言ってる、お前は神の娘だ。もし不安で自分が信じられないなら、俺を信じてくれ」
サーラの顔は見えない。だがそのうしろにいるリリアがほくそ笑み、セレナが嘲笑しているのは見えた。
それで、今のアレスの回答は不正解なのだと、アイザックはおぼろげに悟った。




