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「――あれでよかったんだろう」
甘い皇子の仮面をはぎすて、セドリックは廊下で待っていた婚約者に確認した。
「ありがとう、セドリックにマークス。私が言うより効果があったと思うわ」
「……本当の話なのか、神剣を修復すれば……その、彼女が死ぬというのは」
「ほんとよ。ひどいわよね、誰も知らせてないなんて。サーラ様、可哀想……」
気の毒そうに眉をよせているが、その唇が笑っているのをセドリックは見逃さない。
再会は感動的でもなんでもなかった。
そもそもつい先ほど、エルメイア皇国から打倒魔王を打診すべく忍んでやってきた第二皇子を迎え入れた将軍アレスの屋敷でばったり会ったばかりである。心構えも何もあったものではない。
驚いて状況把握ができないセドリックとマークスが何か言う前に、リリアときたら笑顔になって「ちょうどよかったわ!」と言い放ち、サーラとのお茶会をととのえたのである。お互いの状況報告すらしていない。
それでもリリアに「急いで!」と言われたらとりあえずやってしまうのが惚れた弱みというか、出会った頃から変わらないところではある。
「でもセドリック。何かあったらエルメイア皇国にきたらいい――っていうのは私、頼んでないけれど」
だからと言ってひたすらにリリアの言うがままになっているだけでは、彼女をつなぎ止めておけない。
飽きられてしまうのだと、兄は言っていた。
「もし彼女が本当に何も知らず、神の娘にさせられているなら、保護する必要がある。手はずはととのえられるか、マークス」
「ああ。いくつか頼れるあてはあるが……いいのか」
「かまわない。兄上もあれをハウゼル女王国にむざむざ渡せとは言わないはずだ」
アシュメイル王国の非道を証明する重要な参考人になるだろう。あるいは、その裏にいるかもしれない、ハウゼル女王国の企みにつながる糸だ。
「……さすがセドリックね。私、そこまで思いつかなかったわ!」
だからわざとらしい笑顔を向ける彼女の茶番にだって、平気でつきあう。
「ああ。そういうのは俺達の仕事だ。君は何も気にせず、俺にまかせておけばいい」
決して目をそらさずそう告げると、リリアがわけのわからないものを見るような目つきで見返してきた。彼女は最近、よくこういう目で自分を見る。
(気づいていないんだな、リリア)
何もかもわかっているような顔をした彼女に、そんな顔をさせる男の喜びが。
「……明日は儀式みたいだけれど、セドリックとマークスはどうするの?」
「さあ、どうしたものかな。マークス、お前はどうしたい」
「それはお前、もちろん、リリアの」
機微に疎い堅物な幼なじみのすねを蹴っ飛ばしてやる。
廊下にうずくまったマークスを見て、リリアがくすりと笑った。
「じゃあ私はやることがあるから。セドリックもマークスも頑張って」
「お前は何をするんだ、リリア」
「女の子同士の秘密よ。内緒」
可愛く片目をつぶって、軽い足取りでリリアは廊下を歩き出した。
「お、おい待てリリア、話を……なぜ追わない、セドリック」
やっと顔をあげたマークスに非難の目で見られ、セドリックは嘆息した。
「だからお前は駄目なんだ」
「なんだと」
「正面から護衛するだなんて宣言してついていってみろ。まかれるぞ」
心当たりがあるのか、マークスが黙りこんだ。
「見張るならこっそりやれ」
「それもどうかと思うが……それ以前にリリアを見張るというのは」
「やかましい。見張りだと称せば兄上も見逃してくださる。お前はいい加減、建前と本音を使い分けろ。わかったらさっさとリリアを追え。見失うぞ」
「――いや」
立ち上がったマークスがきっぱりと首を横に振った。
「俺はお前の騎士だ。お前の安全を優先する」
「……は?」
「うまく言えないが。……たぶん、俺は最初、そこを間違ったのだと思う。もう少し俺が冷静だったなら、お前は――皇太子のままでいたかもしれなかった」
思いがけない告白に、瞠目した。
「レスターや他の連中は色々言っているが……結局のところ、俺達が魔王に見逃されたのはお前が膝を折ったからだ。俺はお前の友人だが、騎士でもある。主君にそんな真似をさせるなど、あってはならないことだった」
「――気にすることはない。お前は知っているだろう。俺は……皇太子が重荷だった」
「ああ、だが努力していたことも知っている。そしてアイリーンがお前の本音に気づいていなかったことにも。……俺だけが知っていた。俺だけが、なんとかする機会があったんだ」
それはもう戻らない、幼なじみの関係。
初めて聞く、マークスの後悔だった。
「あのアレスという将軍を見ていると、正しさとは恐ろしいものだとつくづく思う。平気で非道な真似ができるようになる。……かつての俺達がアイリーンにそうしたように」
自分が非道な真似をしているのではない。相手が非道な真似をさせているのだと、そう考えれば、ありえない一線をたやすく人は越えることができる。
「だが今更言ってもどうにもならん。アイリーンとの仲を修復しようとも思わん。許されることでもないしな。謝罪もしない方がいいだろう……まあ、あと三年くらいは」
「なぜ三年なんだ」
「わかるだろうが。転んで怪我をしても絶対に痛くないと言い張るタイプだ。謝罪したところで、気にしてないと突っぱねるに決まっている」
そのとおりだ。不謹慎だろうが、笑ってしまった。
「そもそも口だけの謝罪など受け付けんだろう、アイリーンは。それに俺達は今、確実に見くびられている。俺達ごときに傷つけられるわけがないだろうと嘲笑されて終わりだ。だったらきっちり仕事をするのが先だろう」
「お前……わりと考えているんだな……?」
感心したのにものすごい形相でにらまれてしまった。
「……俺はもう皇帝にはなれないぞ」
「だろうな。お前にその気もなさそうだ」
「下手をすれば使い捨てられる」
「承知のうえだ」
ならばもう言うことはないだろう。マークスの融通のきかなさはそれこそ今更である。
「ならお前、今の話を兄上の前では言うなよ。本当に楽器として生まれ変わることになるぞ」
「わかっている。アイリーンはあれでころっと泣き出すからな」
勇ましく知らない道を駆け出そうと転んで泣き、自分たちと同じ大きさの剣が持てないと泣き、兄と喧嘩したと泣き、父母に怒られたと泣き、悲しい話を読んだと泣き。
「うるさかった記憶しかないんだが。アイリーンを泣かせたいという魔王の気持ちが俺にはさっぱりわからん……」
しみじみ言うマークスに、セドリックは久しぶりに声をあげて笑った。




