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金の綺麗な髪と、優しそうな碧の瞳。ふわりと笑うその顔立ちは甘く上品で、絵本や物語に出てくる王子様そのものだった。事実、彼は皇子なので、余計に緊張してしまう。
「お招き有り難うございます、サーラ嬢」
嬢だなんてそんな呼び方も新鮮で、サーラは焦ってしまう。
「い、いえ。お、お呼びだてしてすみません。また異国のお話を教えて欲しくて」
「よろこんで。なにぶん、今はすることのない身ですから」
緊張しながら椅子に座るようすすめる。
今ので言葉遣いは正しかったのか。所作はおかしくなかったか。対峙するエルメイア皇国第二皇子セドリック・ジャンヌ・エルメイアが優雅に振る舞う分、不安が渦巻いてしまう。
自分も腰を下ろそうとすると、さっと背後におつきの男性が回りこんで当然のように椅子を引いてくれた。礼を言うと、生真面目な顔でお気になさらずと返される。そのまま背筋を伸ばして立つその姿勢は、出入り口を見張る兵士と違って気品がある。騎士、というらしい。アシュメイル王国にはない職業だ。兵士や護衛と振る舞いが違う。
(こんな人達、本当にいるんだ……お姫様みたいな気分。そういえばあの人も……)
ある護衛が思い浮かんだ。
あの人から目を離せなかった理由も今と同じで、自分の身近にはいない男性だったからだろう。ロクサネの護衛になったと聞いて、がっかりすると同時に腹が立ったものだ。ロクサネをうらやむなんて、あってはならない。
だが今、ロクサネは牢にいる。あの護衛は魔王だという噂もある。近づかなくてよかったのだ。神の娘がそんなものに関わってはいけない――助けを求められれば別だけれども。
(神の、娘)
ちくりと胸の奥を不安が刺した。だが気づかないふりをして、笑顔を作る。
大丈夫なはずだ――大丈夫、アレスだってバアルだって大丈夫だと言った。
サーラは神の娘だ。何も臆することはない。
「あ、セドリック皇子のお茶は……せ、セレナとリリアは何をしているのかしら」
「――リリア?」
「は、はい。最近うちに仕えるようになってくれた子なんです。……あの、何か?」
セドリックの瞳が一瞬険しくなった気がして、おずおず尋ねる。だがすぐに優しい顔に戻った。きっと見間違いだろう。
「いえ、婚約者と同じ名前だったので少し驚いてしまいました」
「まあ……婚約者の方と。あの、その方は一緒ではないのですか?」
「ええ。今回ここへお邪魔したのはお忍びですし、危険ですから」
「はなればなれなのですね……おつらいでしょう」
いえ、とセドリックはさみしい瞳のまま首を振った。
「今の僕にはやることがありますので。――サーラ嬢も近々大きな儀式に挑まれるとか」
「あ、はい」
「あなたのようなか弱い女性が……神も残酷なことをしますね」
いたわるようなセドリックの視線を受けて、気分がよくなった。
「いえ。それが私の使命ですから」
「何か僕にできることがあれば言ってください。あなたは命をかけられるのですから」
瞠目した。それから思考が追いついて、回り出す。
(――え?)
痛ましいものでも見るようにまぶたを下ろし、セドリックが続ける。
「神剣の修復は、あなたの生命力と引き換えだと聞きました」
どくん、と心臓が大きく鳴った――知らない、そんな話。
「だが魔竜が本当に復活すれば、必ず犠牲が出る……魔王と結託しているのであればなおさらです。神剣はどうしても必要だ。我が国の聖剣の乙女が本物であればよかったのだが……それはあなたもご存知のとおり、魔王の手先だ」
そう、だからサーラしかいない。魔竜を、魔王を祓い、世界を救う神剣を授けるのは。
だから皆が大事にしてくれる。かしずいてくれる。
サーラが唯一無二の、救世主だから。
「だがそのためにあなたの命が失われるとは……本当に、むごい話です」
でも聞いていない、そんな話。
アレスからだって、バアルからだって。
(嘘よ。し……神剣を修復したら、死ぬ、なんて)
だがこの国に亡命してきた隣国の第二皇子にそんな嘘をつく必要があるだろうか。
(そうだ、何かきっと、誤解……アレスに聞けば、きっと笑って、馬鹿だなって……)
「――聞いた? ロクサネ様のお話」
お茶の味も話も曖昧なまま退室し、ふらふら歩いていた廊下の曲がり角でサーラは足を止める。他愛ないメイド達のおしゃべりだ。
「ええ。罪を認めていらっしゃらないって……」
神の娘であるならば、それ相応の責任が伴います。どんなに周囲がサーラを持ち上げるようになっても、態度を変えなかった人の話。
「アレス様は拷問を決めたらしいわよ」
「いずれは処刑されるでしょうね……アレス様は、曲がったことはお嫌いだから」
わきまえなさい。あなたとわたくしでは住む世界が違うのです。
(ロクサネさんが、アレスに拷問されて、死ぬ……?)
サーラがいる世界は、ロクサネとは確かに違う。あの人がいる世界はどろどろして汚くて優しくない。そう思ってきた。
だがロクサネの元婚約者だった人と、サーラの夫は、同じ人物なのだ。
よりによって今、そんなことに気づいてしまった。




