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世の中、正しいことがまかり通るとは限らない。そんなことは知っている。
「――ロクサネは何も吐かないか」
「はい。魔竜の召喚も、魔王との密通も否定しています。証拠を見せてもしらばっくれるばかりで……」
だが、そうと割り切れない性分だ。間違いは正したい。だから間違いを正さない、あるいは認めない人間に苛立ちを覚えてしまう。
それがたとえ自分の元婚約者であっても――いや元婚約者だからこそ余計に苛立つのだろう。
「自分の立場がわかっていないのであろう」
魔竜召喚の魔法陣が描かれた紙をつまらなそうにもてあそびながら、聖王がそう言う。寸分の狂いもなく描かれたその紙が、ロクサネを牢に閉じ込めるため、作った証拠だ。
(それがあれば観念して認めると思ったのだが)
ロクサネが魔竜を召喚しようとしていることは間違いなかった。そういった類いの本を図書室から持ち出しているし、ひとりであやしげなまじないに没頭していると下女達からの証言もあった。
魔竜討伐のための調査だと実家のフスカ家は娘をかばっているが、狙いがサーラであることは誰の目にも明白だ。危険が及ぶ前になんとかしなければならなかった。
だから本当に魔竜を召喚する前に手を打ったのだ。
囚われている魔竜の召喚などロクサネにできないとわかっていても、それをもくろむこと自体が罪だとアレスは思う。
「気は進みませんが、拷問してでも吐かせるべきではないでしょうか。魔王にそそのかされたのであれば、温情をかけることもできます」
証拠をつきつけてやれば保身からロクサネがすぐ自白すると思ったが、ロクサネはかたくなに魔竜の召喚など知らない、魔王など知らないと言い続けている。そのような悪事に手を染めたのは魔王、あるいはバアルの責任なのではないかと誘導しても、答えが同じだったのは意外だった。必ず誰かに責任をなすりつけると読んでいたのだが、あてがはずれた。
できればここで、魔王が魔竜を使いアシュメイル王国を狙ったのだという結論を動かないものにしてしまいたいのに、つくづく使えない女だ。情をかけてやる気にもなれない。
「その魔王だという護衛の件だが、さきほどエルメイア皇国からの回答が届いた。正確にはハウゼル女王国を通じてだが」
「そうですか。なんと?」
「そのような者は知らぬ、だそうだ。魔王は間違いなくエルメイア皇国にいると」
「は?」
予想と違う答えに、アレスは思わず顔を上げた。
「そんなはずがありません。黒髪に赤目、あれは魔王の特徴ではないですか」
そう教えたのは、アレスの屋敷に密かに滞在しているハウゼル女王国の使者だ。
「まあ確かにそうだが、黒髪に赤目の男が魔王以外にいてもおかしくはないだろう」
「いえ……いえ、あれは魔王です! 絶対に」
「なぜそう言い切れる」
思わず答えようとして口を引き結ぶ。無意識のうちに、右腕につけた腕輪に触れた。
(あの男が現れてから、魔竜の抵抗が尋常ではなくなった。魔香に侵されていても魔王の元へ向かおうとしている……今は落ち着いているようだが)
それを魔竜を封じているこの腕輪から感じるのだ――そんなこと、言えるわけがない。
「エルメイア皇国に宣戦布告するのであれば、あの護衛が魔王であること、そして魔竜と魔王をつなぐ、決定的な証拠を出せ」
「……。わかりました。必ず」
頃合いか、と思った。最後の決定打を放つときだ。
弱腰の聖王ではこの国を守れないと白日のもとにさらす決定打だ。
(――あの者が言う案を使ってみるか)
「つきましてはバアル様。そろそろ神剣の修復を行うべきかと思います。儀式の許可を」
「ああ、まかせよう。必ず成功させよ。――ところでアレス、知っているか。ロクサネはまったく絵心がないらしい」
「は?」
いきなり何の話だと怪訝に思って顔をあげると、バアルは薄く笑い返した。
その菫色の高潔な瞳に気圧されて一瞬、息を呑む。
「戯れ言だ、気にするな。もうゆけ」
一瞬ひるんだことを恥じ入るように、頭をもう一度垂れ、王座の間から退室する。
外へ出たところで待っていたのは、少し前に雇い入れた従者だった。
剣の腕はさっぱりなのだが、アレス自身腕が立つので、それより頭が回ることを重要視してそばに置いている。
ロクサネを捕縛する筋書きもこの男が立てたものだった。
「アイザック。聖王の許可がおりた。神剣の修復の儀式を執り行う」
「そうですか。でしたら明日にでも決行しましょう。武器の調達、その他すんでるんで」
廊下を歩いていたアレスは、その言葉に驚いて足を止め、目を眇めた。
「それだとロクサネの自白をとる時間がない。そこはどうする」
「自白なんて必要ありません。大事なのは演出です。この国を誰が守り、救ったのかというわかりやすい答えを民衆は求めているんです」
ぴっとアイザックは人差し指を立てた。
「まず、魔竜に魔王の体を乗っ取らせ、神剣修復の儀式の場へ乱入させる。そしてその口から正妃との関係を語らせればいい。これで、魔王が魔竜を使いこの国を滅ぼそうとしていること、正妃ロクサネの手引きがあったことが、誰の目にもあきらかになります」
二本目、三本目と指を立てて、説明が続く。
「さらに魔王を斃すため、聖王に神剣をわたす。もちろん本物じゃない。ハウゼル女王国が用意した模造品です」
「――そのようなもので魔王は斃れない」
「そのとおり。その時点で聖王は神剣を持つにふさわしくないと証明される。王失格だ。正妃を止められなかった意味でもね。国を救えなかった、それを見せつけてから殺す。あとはサーラ様がもう一度修復したと見せかけて本物の神剣をあなたがふるい、魔竜を魔王ごと封印してみせる――伝説の再現です」
伝説。その言葉に、心の奥が高揚した。
「儀式の場所は後宮でいいでしょう。範囲を広げると余計な犠牲が出て、あとに響く」
「あとに響くだと?」
「被害が大きければ大きいほど必ずあとになって矛先が新しい王に向くので。だったら最初っから後宮を舞台にして、犠牲を前聖王の遺物だけに限った方がいいです。何もかも失ったのは前の聖王だけって、勧善懲悪としてもわかりやすいでしょう」
なるほどと頷いた。
確かに無辜の民を犠牲にするというのは、しかたのないことではあっても、あとが面倒そうだ。
「準備はととのってます。何か不安事項があるとしたら――そうですね、やっぱり魔王ですかね。魔力が使えないとはいえ、念のため三四発ぶん殴って弱らせておいた方がいいかと」
やたらとさわやかな笑顔での提案に、アレスは頷く。
「そうだな。そのあたりはお前にまかせよう」
「おまかせを。必ず成功させますよ」
成功させたその日、王座に座っているのは自分である。
胸の奥からわきあがる高揚を抑えて、大仰にアレスは頷き返した。




