25
苛立ちのままに扉を蹴りつけて開く。
乱入してきたアイリーンに、既に寝台に入っていたバアルが何重にも重ねた枕を背にしてまばたいた。
「夜這いなら、もう少し色気のある入り方をしろ」
「何が夜這いですか。話があるだけです」
「見張りはどうした」
「眠っていただきました。変な噂を立てられても困るので」
「どうやって?」
「わたくしの侍女は色々用意がいいんですの」
リュックが持たせたのだろう。レイチェルが懐から出した粉末を焚くと、あっという間に聖王の寝室を護る兵士達を眠らせてしまった。
「なんとまあ、情けないことだ」
「……もう少し人数がいたらこうも簡単にはいきませんでしたわ」
暗に王の寝室を護る兵が少なすぎることを指摘すると、バアルは苦笑した。
「いつ魔竜がやってくるのかわからない場所だ。好き好んで護衛したがる者はいない」
「――魔竜は、やってくるのですね」
「そうだ。噂どおりだぞ。毎晩、余が寝静まる頃を狙って魔竜は現れる」
ということは、バアルの中に魔竜はいないのだ、ゲームと違って。
(最初に確認しておくべきだったわ。うっかり妃になったせいで、この男に近づくのを警戒したばっかりに……!)
バアルから魔竜の気配を感じなかったのも、乗っ取られていないからではない。そもそも魔竜にとりつかれていないからだ。
「――魔竜が復活したという時の話をしてくださいますか」
「何故、そのようなことを聞く」
「魔竜を探し出すためです」
即答したアイリーンに、バアルは頬杖を突いて苦笑した。
「悪いが、そんな大した話はない。三ヶ月ほど前、サーラが神域から神剣を持ち帰った直後のことだ。昼間だというのに辺り一面が真っ暗になり、黒い竜――魔竜が空にかけあがった」
「魔竜が――誰かにとりつくのではなく、外に出た?」
ゲームではそんな派手な演出はなかったはずだ。どうして魔竜が魔界から出てきた――と考えて、三ヶ月前という数字に我に返る。
(クロード様が記憶喪失だったから……!?)
魔王の支配力が緩んでいた。だから魔界から出てきたのだ。クロードの許しもなく。
「そ、それで魔竜はどうなりましたの」
「余の結界にぶつかり、黒い雨に変わった。だが、サーラの祈りが太陽を呼んだのだ。正確にはサーラが掲げた神剣が」
「神剣……っそれで神剣はどうなりましたの」
「これ以上は答えぬ、エルメイア皇太子妃」
その返答は当然で詰まってしまったが、すぐ気を取り直した。
「味方ですわ、少なくとも無駄な争いを省きたいという点では」
「ふむ、味方だと。――ではここに座れ」
自分の横、つまり寝台の脇をバアルが軽く叩く。確かに立ちっぱなしは密談に不向きだと、何の疑問もなくアイリーンはそこにちょこんと座る――と思ったら視界が反転した。
「お前、いくらなんでも警戒心がなさすぎないか」
押し倒しておきながらしみじみと言われて、眉を吊り上げる。
「ふざけていないで話の続きを」
「魔竜魔竜と、その話ばかり飽きた。ついでに言えば欲求不満だ、つきあえ」
「冗談じゃありませんわ! わたくしはクロード様の妻です!」
「生娘なのにか?」
びしっと固まったあと、唇が震えた。かあっと頬の温度が上昇する。
(な、なななな、な……!)
してやったりという顔で、バアルが鼻先をつきつけて笑った。
「わかるものだ。お前には愛を注がれた女の匂いがせぬ」
「わっ……わたくしは愛されてます!」
「胸をはれるか? 形ばかりの妻のくせに」
うまく反論できない。形ばかりの妻なのは本当なのだ。
そう考えると、ぱっくりと傷のように考えないようにしていた思考のふたがあく。
(どうして、クロード様。わたくしのなにが足りないの。まさかわたくしを妻にしたこと、後悔してらっしゃる?)
好きにすればいい、そう冷たく頭の中で声が反響した。
よりによってこんな時に。
「……なんだ。可愛らしい顔をするではないか」
バアルの指が顎に触れる。それを正面からねめつけた。
「馬鹿なことをおっしゃらないで。わたくし、可愛くない女だという自覚はありますのよ」
「いいや、お前は可愛い」
かわいい。かわいいなら、どうして。
「……。わたくし、本当に可愛いですか?」
その答えがバアルの瞳の中にないかとさがす。バアルはとろけるほど優しく微笑んだ。
「ああ。お前は可愛い。お前に何も問題はない」
バアルが手慣れているせいだろう。すとんとその言葉はアイリーンの胸に落ちた。
「独り寝はさみしかろう。お前と余は同じさみしさを抱える身だ」
「……あなたもさみしいの」
バアルの瞳が初めて、切なくゆれた。その瞳に映る自分も、同じ目をしている。
「――ああ。そうだな。だがそれも今夜で終わりだ。お前がいる」
じりと寝台脇にある蝋燭の火が揺れ、縦にのびた男女の影がゆっくり一つにとける。
「もうさみしくなどない。余が忘れさせてやる。終わりのない夜を二人で――ぶっ!?」
ばちーんと派手に頬をはたく音が寝室に響いた。
勢いよくひっぱたかれたバアルはよろめいて、そのまま横に転がる。
「わたくしは可愛い……となると……」
バアルをひっぱたいた体勢のまま、アイリーンは真剣につぶやく。
「なら――ひょっとしてクロード様、お体に問題が……!?」
思いもよらない展開に、アイリーンは胸の前をつかんで飛び起きた。
「なんてこと……っわたくしときたら妻なのに、そんなことにも気づかずにクロード様を誘惑して! ああ、どんなにクロード様を困らせてしまったかしら。でもあの顔で問題があるなんて、思わないじゃない……得意分野だと思うじゃない!」
「お……お前……あの雰囲気をこうもぶち壊すか……!?」
「打ち明けてくださったならわたくしはいくらでも……いえ、男性は繊細だと聞くわ。クロード様だって恥ずかしくて言えなかったのかもしれない。ああ……どうしたらいいかしら」
「おい、余の話を聞け!」
「まずリュックやクォーツに相談してお薬を……でも心の問題かもしれないわ。そうよ、あの顔……っ誰なのクロード様にトラウマを植え付けた女は! いいえ、それより必要なのはやっぱり秘技ね。それなら安心してクロード様もわたくしに身を任せられるはず……!」
「――お前……」
怒鳴ることに疲れたらしいバアルが、横でばったりと枕に顔を埋めて倒れる。
「ちょっと余は魔王に同情しそうになったぞ……」
「同情!? 少し下半身に問題があるからってクロード様を侮辱したら許しませんわよ」
「一番侮辱しているのはお前だ。――まったく、余の恋はどうしてこう叶わぬのか」
「どうしていきなりそんな話になるのかさっぱりですけれど、答えはわかりますわ。恋をする相手を間違うからです」
床に足をおろして立ちあがり、寝台で仰向けになったバアルを上から見下ろした。
「相手が幸せであればいいなんて、ただの無責任です。どんなに面倒でも困難でも、自分が幸せにする義務を負う覚悟を決めるのが恋です」
「義務……夢がなさすぎる」
「恋や愛が無責任なわけがないでしょう」
まして国や民を背負うような、そんな身分の者は、無責任な恋をしてはいけない。
そうとわかっていても落ちるものが恋であったとしても。
「あなたは王なのですから、ちゃんとした身分と教養と後ろ盾があって、他の男のものではない女性に恋をなさい」
「そんな女はおらぬ」
「あなたが見つけようとしないだけではありませんの」
答えはない。やっぱりめんどくさい男だ。呆れていると、バアルも立ち上がった。
「この部屋には泊まらぬのだろう。送っていってやる。有り難く思え」
「いいですわね、合格です。ただし言い方を」
「ダメ出しをするな。……味方なのだろう、余の」
「ええ、そうですわよ。頼りにすればよろしいわ」
ふふんと胸をはったアイリーンに目を眇めたバアルが「魔王に同情する」とまた失礼なことをつぶやいた。




