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本日の報告のために集まった粗末な宿で、突然、魔王様はこう語り出した。
「僕のアイリーンは相変わらず可愛い」
「そういうのいいから。つまり後宮にいたってことだな、じゃあ――」
一日とあけず出てくるのろけを流そうとしていたアイザックは、魔王が座る椅子のうしろでぶんぶんと両手を大きく振っているオーギュストに気づいた。腕で大きくばつを作られて、首をかしげる。
「可愛すぎて憎さ百倍だ。ふふ、どうしてやろうか。これからを思うと胸がはずむ」
「……」
やけにきらきらしている魔王を見て、オーギュストを見る。
オーギュストは目を合わせたまま神妙に頷き返してきた。
(アイリーンの奴、魔王様の地雷踏み抜きやがったな、ついに)
海の宮殿を賜った上級妃の名前がアイリーンである、という情報は既に耳に入っていた。
その時から詰みそうだと思っていたが、詰むどころか爆発させたらしい。
「僕は殺すとしたら、まずは君達だろうと思っていたんだ」
「いきなり殺すとか直接的すぎるだろ。せめて消すとかにしろよ」
「だが間違っていた。まずアイリーンからしつけるべきだった」
「人の話聞けよ」
「こんなに清々しい気持ちは久しぶりだ。この愛をアイリーンに思い知らせたい」
「だから聞けって。弟が戻ってきてないのとか気になんねーのかよ?」
「ああ、そういえばアイリーンに言われた。君がいれば大丈夫だと。殺していいか?」
「ドウゾ話ヲ続ケテクダサイ」
笑顔なのだが、腰の剣に手をかけられると冗談だとは流せない。
「そんなわけで僕はアイリーンへの仕置きとして、正妃の護衛になってきた」
「……正妃の?」
「ああ。魔竜とつながっているのではと疑われている正妃の監視だ。将軍の命令でな」
それでいて的確に行動してくるのが、この魔王様の嫌なところだ。
「まずあのアレスという男は、王位簒奪をもくろむだろう」
「えっ……ええ、そうなんですか!? 全然、そんな風には見えなかったけど……」
うしろからオーギュストがやっと声をあげる。振り向かず、魔王は続けた。
「無自覚ならあおられてその内やる。でなければ将軍ごときが正妃を監視など、王の命令でもないのに率先してやるはずがない。魔竜への不安、討伐を命じない聖王への不満、王位継承権と魔王討伐という大義、神の娘というカード。条件はそろっている。セドリックにはもう食いついたか?」
質問ではなく確認であることに、嘆息した。
「……ああ。エルメイア皇国を魔王から解放するために助けを求めに来た第二皇子は、親切なお貴族様に保護されて、いずれアレス将軍の屋敷にご案内されるそーだ。聖王に内密でな」
「聖王はセドリックの保護を拒むから、だろうな」
「だからって聖王が味方とは限らないぜ」
「だがアイリーンは聖王をかばっている。彼女は僕のためにならないことはしない。つまり聖王は、僕に敵対する選択をしないはずだ」
平気でのろけともとれるようなことを根拠にする。今更だが、げんなりした。そうだろうなと自分が思ってしまうことにも。
うしろで今ひとつわかっていない顔をしているオーギュストのために、アイザックは口を動かす。
「……まとめるとこうだ。今、この国は神の娘に浮かれて魔竜を口実にエルメイア皇国に戦争をしかけようとしてる。だが、それを押さえてるのはおそらく聖王だ。だから不満が出てる」
「えっ普通の人達が戦争したがるものなのか!?」
「ずっと聖王の結界に護られてきた国だ。負けるなんて思ってないんだよ」
最初は魔竜の存在に脅えただろうが、それも神の娘の存在でなくなった。
逆に自分たちを脅かそうとした魔王にやり返してやれという雰囲気だ。
「もちろん反対してる奴はいるだろう。大物だと正妃の実家のフスカ家がそうだな。だが裕福な名門一家だ。そんな奴の言うことは自分たちにとって悪いものだと民衆は思いたがる。他の奴だってこの空気じゃ、言い出せるわけがない」
「それはわかる。サーラ様万歳って感じで、ほんと苦労した……じゃあアイリーンも内乱が起こるって思って、なんとかしようとしてるのかな」
「恋のキューピッドになると言っていた。聖王と正妃の」
「は? 何それ?」
首をかしげるオーギュストをよそに、アイザックは両腕を組んでひとりごちる。
「神の娘を取り合って泥沼四角関係で正妃とは不仲って聞いたけどそれか。確かにこの状況でそこと反目してるのは下策だ。それに聖王が神の娘に未練たらたらってのも外聞も悪い。そのせいで聖王より神の娘を嫁にした将軍の発言力のほうが上になってるんだしな……」
「……」
「ってことは正妃は話が通じそうなんだな。でなきゃアイリーンがそんなこと言い出すはずがない。ならそれを前提としてこっちは内部から崩す……けど神の娘がいないと魔竜が……あー神剣か。魔王様にも危ないもん、ほっとくわけねーか。それを奪おうとして……つまりまだ見つかってないのか。――オーギュスト、セレナとかどこにいた?」
「あっうん……アレス将軍といたっていうか、うん……」
微妙に目をそらしながらオーギュストが口ごもる。
「なんだよ、怪我でもしてたのか?」
「いや。元気そうだったけど……ものすごく屈辱的なことを疑われてさ……」
「――ああ、ひょっとして宦官になったのかと? その場で見せればよかったのでは?」
「そんなことできるわけないでしょ!?」
とんでもないことを言い出した魔王に、オーギュストがすかさず怒鳴り返す。
神妙に魔王は頷き返した。
「そうだな。僕でもそんな勇気はない」
「自分が無理なこと部下に言わないでくださいね……!?」
「ってことは、二手に分かれさせてるんだな。ったくリリア・レインワーズもいるのによくやる。相変わらず危ない橋ばっかわたりやがって……フォローするこっちの身にも」
「アイザック」
顔をあげると、とても生ぬるい目で魔王が微笑んでいた。
「君の推測は当たっている。正妃と顔を合わせたが、僕を見て驚愕していた。おそらく彼女は僕のことに気づいたか、少なくとも疑っている。ほとんど誰も僕に気づかないこの国でな」
「ちゃんと他国について学んでるってことだな」
「ああ。だが彼女は、護衛について聖王の許可が出ていると知って口をつぐんだ。分別のある理知的な女性だ。魔王が護衛など恐ろしいだろうにな。あの神の娘とやらよりよほどいい。アイリーンが気に入るのはわかる――で、君を殺してもいいだろうか?」
「なんでだよ、脈絡なさすぎだろ!」
「アイザックがアイリのことわかりすぎだからだと思う……」
ぼそりとしたオーギュストのつぶやきに身をこわばらせた。
別にそんなつもりはなかったのだが、目をそらさない魔王にためされている気分になる。
「……別に、付き合い長いだけだろ」
「まあいい。今、君を殺すのはそれこそ下策だ。大切なのは匙加減だ」
なんの匙加減だとはあえて聞かない。
「現状は概ねアイザックの読みどおりだろう。だから僕も恋のキューピッドになる」
「悪いけどその話の飛躍はさっぱりわかんねーわ」
「難しいことじゃない。アイリーンの願いを叶えつつ、アイリーンに思い知らせるだけだ」
数秒考えて、理解した。思わず非難してしまう。
「卑怯だろ。そういうの弱いぞ。泣かせるつもりかよ」
「そこが君達と僕の分かれ目だな。僕はアイリーンが泣くと思うと、胸がときめく」
いやときめくのはやめろ――と思ったが、確かにそこが分かれ目なのだろう。
「……勝手にすりゃいいけど、勝算は? 正妃には警戒されてるんだろ」
「僕の顔を見て言って欲しい。むしろ負けてみたいくらいなのに――ああ、アイリーンには内緒だ。わかっていると言いながらアイリーンは気にするからな」
負けちまえと心の中でだけ毒づいて、アイザックは頭を切り替える。魔王様の怒りはわからないでもないのだ。アイリーンの周囲にいる男達が幾度となく抱く怒りなのだから。
ただ、それをアイリーンに真正面からぶつけることができるのがこの男なだけで。
「そういうわけだ。オーギュストはこのまま僕と一緒に後宮の警護にあたる」
「あっはい!」
「アイザックには連絡係をまかせたい。セドリックは好きに使えばいい」
「あの皇子サマが俺の言うこと聞くわけねーだろ」
「語尾に全部『兄上がそう言っている』とつければいい。あの子はいい子だ」
「……ソーデスカ」
「もうひとりの……なんだったか……楽器も君にまかす」
ついにマークスは人間ですらなくなった。
「明日からのアイリーンの顔が楽しみだ」
「そうかよ、よかったな」
「ああそうだ、レイチェルだが元気そうだった」
完全に不意打ちだったので、反応が遅れた。
立ち上がった魔王が、勝ち誇ったように微笑んで見せる。舌打ちした。
「……別に、聞いてねーし。アイリーンが無事なら無事だろ」
「そこが君のだめなところだ。オーギュストのほうがまだ見込みがある。そうだな、見せる勇気さえあれば」
「悪いこと言わねーから、そのネタからは離れとけ」
言いたいことは他に山ほどあったが、そこだけは本音で忠告しておいた。




