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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
第四部

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21


 持ち出した本を一冊読み終わった頃に、バアルは目を覚ました。

 小一時間ほどだがよく眠れたらしくすっきりした顔で背伸びをし、アイリーンをさがしにきたレイチェルに菓子まで用意させ、それを食べてから仕事に戻って行った。

 新しい護衛達が後宮に顔見せにくるので、それを抜き打ちで観察しに行くそうだ。


「アレスが統率しているとはいえ、後宮に男を入れるのだ。牽制はせねばならん」


 そう言っていたが、ゲームの展開を思うとアレスの手勢が増えたと感じてしまう。牽制という言葉を選んだバアルも、それを本当は感じ取っているように思えた。


(でも今、アレス様やサーラ様を正面から敵に回すのは下策。機をうかがうしかないってところかしら……)


 魔竜をなんとかしない限り、ジリ貧だ。

 だが、バアルだとてそんなことは百も承知だろう。

 最後に何かをごまかすように、食べかけの水菓子をアイリーンの唇に押しつけて、バアルは礼を言った。褒美に伽をさせよう、とまで言ってきた。

 眠りたいなら素直に頼めばいいのに、最後までめんどくさい男である。


「もう少し信頼を得られたら神剣の話も聞き出せそうだけれど――どうしたの、レイチェル」


 本の貸し出し手続きをすませてくれた侍女の様子がおかしい。

 中庭を一望できる渡り廊下で足を止めて尋ねると、レイチェルは真顔で口を開いた。


「アイリーン様。夜伽の意味はおわかりですよね?」

「わかるわよ。話をするにはいい機会ね。あの男と正妻の関係を改善する糸口も見つけたし」

「あの、本当におわかりですか? そういうことになったらどうされるんです」


 レイチェルが心配していることがわかって、ああとアイリーンは頷く。


「男は誰でもいい時があるというものね。――安心なさい、折るから」

「折るんですか」

「クロード様と違って一生使い物にならなくなっても、わたくしにはなんの問題ないもの」


 でもロクサネが可哀想だろうか。彼女とも話がしたいと思いながら、視線を前に戻す。


「それより、リリア様とセレナの首尾はどうなの」

「それなら、だいぶうまくいっているようです。アレス様は後宮からリリア様とセレナ様を出してサーラ様に仕えさせることを考え始めたみたいで」

「まだあの二人を行かせてたった三日しかたってないのに!?」


 神剣と内乱の情報を察知できるようアレスを攻略、もとい味方になってこい――そう指示したのはアイリーンだ。

 そうしたらあの二人は喜々として作戦を立て始めた。

 まず警戒心をとかせるために、サーラに心酔した体で近づく。ああいう男に必要なのは仕事ぶりを全肯定すること、健気な姿、正義の味方――とかなんとか。攻略しろと言ったわけでもないのに、まるで当たり前のように攻略に乗り出したのだ。リリアだけではなく、セレナまで。

 ヒロイン二人がハニートラップとか乙女ゲームとしてどうなのだろうか。いや、乙女ゲームとはヒーローを攻略するのが主眼なのだから正しいのか。

 結果として、たった三日でサーラのおつきを検討されるほど、アレスから信頼され始めているらしい。

 アレスがチョロい可能性もあるが、アイリーンとしてはこう思う。


(乙女ゲームのヒロイン怖っ!)


「……とりあえず、セドリック様とオーギュストに顔向けできなくなるような真似はしないようにと、再度念押ししておいて」

「それを言うと、二人ともものすごい顔されるんですけど……」

「効果があるってことにしときましょう。……何かあったらわたくしが責任をとるわ……」


 遠い目になって、中庭を横切る。中央の噴水から水が四方に流れる、落ち着いた庭園だ。どこの角度から見ても、絵画のように美しく見えるよう計算されている。


「あ」


 急いで足を進めるアイリーンを引き止めるように風が大きく吹いた。庭園に気を取られていたせいで、肩にかけていただけの紗の羽織り物がふわりと空に浮かぶ。ふわふわと優雅に舞うそれを、誰かがつかまえた。


 そのまま、時が止まった。


 日差しの下でも汗一つない、白皙の美術品めいた美貌。艶を失わない黒髪が、小さく風に揺れている。こちらを見て見開かれた瞳の色は、宝石のように美しい赤。


「…………」

「………………」


 夫の蜃気楼だ、そうに違いない――などと現実逃避する猶予などもはや一刻もなかった。


「あっアイリーン様!?」


 すかさず身を翻し走る。逃げるが勝ちだ。いったん態勢を整えなければ戦えない。

 そう思ったのだが、現実は甘くなかった。

 無言でクロードが追いかけてくる。夢だと思いたいが、やっぱり夢じゃない。


(ひいいいいいいいっ!)


 こちらは全力疾走で、クロードは早歩き。なのに距離が縮まっていく。

 叫び出したい気持ちをこらえて必死で走るが、いずれ追いつかれてしまうのは目に見えていた。


(どこかに隠れるしか……っ!)


 曲がり角を何度も曲がり、死角を作りながら、周囲を見回すと、人気のなさそうな建物の扉がわずかにあいているのが見えた。宝物庫だ。

 そこに滑りこみ、クロードが姿を現す前に扉を閉めようと手をかける。重い。だが早くしないと追いつかれて――。


「アイリーン」


 がん、と締めようとした扉を長い足が阻んだ。

 ひっと喉を鳴らして建物の奥に入ろうとしたが、足がすべって尻餅をついてしまう。あとずさりしても、すぐに背中に何かがぶつかって阻まれてしまった。

 立ち上がろうとした身をひねったその目の前を、だんとクロードの長い足が阻む。ついでに足の間に広がった長衣も踏んづけられた――逃げられない。


「どうして逃げるんだ? 夫が迎えにきたというのに」


 薄暗い宝物庫の中でゆっくり上半身をかがめて、クロードが唇だけで笑う。

 つまり目が笑っていなかった。



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