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大事なのはまず情報だ。
アレスルートのエンディングを迎えているのに、現状がゲーム開始時と変わらないその理由をさぐり、状況によっては神剣を横取りする策だって立て直さねばならない。
(そう――わかっているのだけれど)
「サーラが焼き菓子を作ってきてくれたそうだ。茶も菓子もすべて取り替えよ、ロクサネ」
「……かしこまりました。では本日は紅茶に致しましょう」
東屋に戻るなり尊大に命じたバアルに、ロクサネが応じて立ちあがる。それを見てサーラが慌てた。
「え、そんな。ここに用意されたお菓子だってとても素敵なものなのに……」
「所詮、既製品だ。お前の手作りには及ばぬ。それに捨てるのではなく下げ渡すのだから、他の者達が喜んで食べよう」
「そ、それなら……ロクサネさん、すみません。用意されたの、ロクサネさんですよね……」
「それがロクサネの仕事だ、お前が気に病むことはない。さあ、座れサーラ。アレスへの不満を聞いてやろう」
軽いバアルの口調に、アレスがしかめ面になる。
「バアル様……」
「おっとアレス、お前は護衛だ。そこで愛しい妻と余の語らいをただ見ているがよい」
サーラは苦笑いを浮かべている。アレスはやれやれといった風にため息を吐いた。三人の間に流れる空気はなごやかだ。だがしかし。
ちらりとアイリーンは横のロクサネを見る。だがロクサネは淡々と事務作業のようにお茶と菓子を用意させていた。
お茶会を取り仕切るのは女主人である妻の仕事だ。だからバアルのいうことは間違ってはいない。しかし、ロクサネが妻というより優秀な女中か何かに見える。ロクサネがまったくの無表情で、ほとんど口もきかず動くのだからなおさらである。
「あの……アイリーン様。私、ロクサネ様のお手伝いをしても……?」
根っからの侍女になりつつあるレイチェルが耐えかねたようにうかがいを立てる。アイリーンは小さく首を横に振った。
「様子見よ、レイチェル」
「ですが、この状況を放置するのはアイリーン様の評判にもかかわることです」
「わかっているわ」
セレナでさえ微妙な顔つきをしている。リリアは好奇心いっぱいの笑顔だが、そもそも世界の常識とはずれている人物なので参考にならない。
(色々つっこみたくなるけれど、まず観察。情報収集よ)
そう考えていたら、ふとリリアが配膳台へと近寄った。
「私、手伝いますね! ――きゃっごめんなさいアレス様!」
「あ、ああ。いや」
振り向いてからアイリーンは思わず拳を握る。その胸ぐらをつかんでゆさぶらない自分をほめたくなった。
しおらしく謝罪しながらリリアがお茶のかかったアレスの服の裾を拭いている。その光景はお茶会イベントのスチルで見たものとそっくりだ。お茶をかけたのがリリアでなくサーラであれば、ゲームそのままだろう。だがやったのはリリアである。
(まさかアレスルートのフラグでも立てる気じゃないでしょうね!?)
お茶会イベントはゲーム初期のルート分岐だ。リリアならやりかねない。
止めるかどうか迷っていると、バアルの笑い声が響いた。
「なんだアレス、どこかで見たような光景だな。またお茶をかけられるとは――さて、あの時の無礼な下女は誰だったか」
「や、やめてください、バアル様。私だって反省してるんですから……」
新しい情報に、リリアへの怒りがどこかへとんだ。
「今思えば、あれがそなたらの出会いか。まだ一年もたっておらぬのに、懐かしいことだ」
「ふふ。でもあの時とは全然違いますよ、バアル様もアレス様も。いえ、アレス様はあの時も優しかったですけど……」
頬をそめたサーラにアレスが照れたような笑いを返す。完全に二人だけの世界だ。
いたたまれない桃色空間に頬を引きつらせながら、アイリーンは考える。
(つまり、お茶会イベントをこなして結婚した。――完全にゲームが始まって終わってるじゃないの! 神の娘として覚醒してるのにラスボスが出てこないまま結婚までこぎつけるエンディングなんてあったかしら……!? 悪役令嬢の断罪イベントだって、婚約破棄されたとはいえこれじゃ断罪されてるのかどうか……)
隣の席を見ると、ロクサネはネジ巻き人形のように、お茶を飲む動作を繰り返していた。
アレスとは婚約破棄したらしいが、今の彼女は聖王バアルの正妃だ。玉の輿に乗ったことになる。とても断罪されたとは思えない立場だ――幸せそうにも見えないけれど。
(いっそのことゲームの設定を忘れて考えるべきかしら)
首をひねっているところへ、かしましい声が聞こえてきた。
「――サーラ様! お招き有り難う御座います!」
「あ、皆さん!」
ぞろぞろと東屋の橋をわたってきた集団にサーラが立ちあがり、手招きする。後宮の女性だと一目でわかった。顔立ちがそれぞれ整っており、上等な絹でできた衣装を身につけているからだ。バアルに向ける辞儀からして美しい所作だった。ただ誰も侍女をつけてこないあたり、あまり裕福ではない下級妃なのかもしれない。
それより気になるのは全員が赤色の衣装を身につけていることだった。
(赤って、正妃だけに許された禁色じゃなかったかしら……)
アイリーンが海の宮殿を賜っているのと同じように、ロクサネは正妃として陽の宮殿を賜わっているはず。その宮殿が象徴するのはもちろん赤だ。現に、ロクサネは柘榴のような深い赤の衣装を着ている。
そうでなくても、一番高貴な女性の衣装との色のかぶりを普通はさける。エルメイア皇国にもある上流階級の決まり事だ。それを堂々と破るということは、喧嘩を売っているととられてもおかしくはない。
なのにやってきた全員が顔を青ざめさせることもなく、楽しげにサーラと笑っている。
「お久しぶりです、皆さん! お元気でしたか?」
「ええ。サーラ様もお元気そうで何よりです」
「サーラ様だなんて。あの頃みたいにサーラでいいのに」
「そういうわけには参りませんわよ、あなたはもう軍神アレス将軍の奥方で、この国を救ってくださる神の娘です」
「おいおい、なんだサーラ。妃を呼び出すとは余より人気者か。呼び出される方も呼び出される方だ。余は聞いておらぬぞ」
すねている様子のバアルも、まさか色のことに気づいていないわけではないだろう。だが何も指摘せず、サーラと普通に談笑している。
「だって言ったらバアル様、駄目だって言うじゃないですか。後宮の決まりだって。だから内緒にしたんです!」
「だが用意というものがあろう。見ろ、椅子が足りぬではないか」
「あ、ほんとです」
「まったく。ロクサネ」
また顔すら向けずバアルがその名を呼んだ。はい、と女中か何かのようにロクサネが答えてまた自ら動く。
ぐっと拳を握ってわきあがる何かに耐えていると、下級妃が気安く話しかけてきた。
「あなたがアイリーン様ですよね? 聖なる力が高く特別に上級妃になられたとか」
「サーラ様のお力になってくださいね。よろしくお願いします」
「ロクサネ様はご実家はアシュメイル王国で唯一外交をになっている名門の家ですけど、聖なる力の方は……歴史にお詳しい才媛ではらっしゃるんですけれども、今の時勢では、ねえ」
「でも、聖なる力だけが強くてもね。聖王のご寵愛もなければ」
「安心なさって。そんなばかばかしい争いに興味はありませんの」
一刀両断に切り捨てると下級妃達が忍び笑いをやめた。
だがすぐに気を取り直し、下級妃の一人が珍しい砂糖が手に入ったのだと、用意されたお茶に入れて回り始める。
「お預かりします」
当然、レイチェルは横からその下級妃の手を止めた。顔見知りや誰かの紹介相手ならば失礼になるが、毒を警戒するのは侍女としては当然だ。
下級妃は少しむっとしたようだったが、レイチェルにおとなしく砂糖をわたした。そのやり取りを見ていたバアルがふと笑う。
「許してやれ。異国から余に嫁いできたばかりで、まだ警戒心が解けぬのだ」
「異国! そうなんですね。ぜひお話を聞きたいです!」
サーラとバアルの会話を上の空で聞きながら、アイリーンは下級妃がロクサネの茶に手を伸ばすのを見る。誰も止めない。正妃が毒を盛られるかもしれないのに。
いや、それこそたった今、お茶に落ちていったのは。
(――砂糖、じゃない! まさか砂……え、でもそれってヒロインが悪役令嬢から受けるいじめイベントじゃないの!?)
「どうぞロクサネ様、お召し上がりください」
バアルからは見えない、悪意に満ちた嘲笑。アイリーンが腰を浮かせかけたその時、ロクサネはその茶を一気に飲み干した。
そして涼しい顔で一言、感想を述べる。
「正妃であるわたくしに献上するなら、もっとよいものを持ってきなさい」
その態度に、アイリーンだけではなくしかけた下級妃も呆けた顔をした。
口元を優雅に拭くその正妃は、下級妃に侮られていることなど百も承知なのだろう。夫にまったくかえりみられていないことも。
だがそのうえで、自分はこの程度ではつぶれないと態度で示したのだ。
その誇り高さに、アイリーンはゆっくりと笑う。爽快なものを見せてもらったおかげか、楽しくなってきた。
(――いいわ。どうせならひっかき回すのも手よね)
アレスが顔をしかめる。
「ロクサネ。お前、正妃だからと何をえらそうに――」
「まあロクサネ様! そんな風に言うものではありませんわ」
わざとらしく苦言を遮って、アイリーンはころころと笑った。




