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沈黙のあと、真っ先にリリアが爆笑し出した。次にセレナが眉を吊りあげて叫ぶ。
「馬鹿なの!? 神剣ってこの国の生命線でしょ!? それを強奪とか、非道すぎない!?」
「あら、ちゃんと条約結んだら返還してもいいわよ? 鍵がないと引き抜けない台座に神剣を刺し直して。ドニに作ってもらうわ。もちろん鍵はうちが保管するけれど」
「それって脅しでしょ!? それに神剣を横取りしたらこの国の水は一体どうなんのよ! 神剣で水を作ってるんでしょ!?」
「神水はたまりまくって湖になってるし、地下を通ってそこら中にため池だの何だのになってるわ。十年以上はもつでしょう。大体、皇太子妃のわたくしを誘拐しておいてただですませるなんて。そうは思わなくて、レイチェル」
「そう言われるとそうですね……わかりました、神剣を持ち帰ればいいんですね」
真顔で頷き返したレイチェルはどこまでも頼もしい侍女だ。
お互い頷き合い、頬を引きつらせているセレナにアイリーンは微笑む。
「これは立派な外交よ。魔香の原液をまいてミーシャ学園を崩壊させたあなたから非道だなんて批難されるのは心外ね。わたくしは今、その無謀な行動力を見習っているの」
「いちいち嫌みな女ね……! ――あんたもいつまで笑ってんのよ!」
「だ、だって、し、神剣を……横取りして、持って帰る……とか……どんなルート……すごいわアイリーン様、思いつかなかった……!」
腹を抱えてひいひい笑っていたリリアは、身を起こして目尻に浮かぶ涙をふいた。
「た、楽しめそうね、それ。い、いいわ。神剣を……横取り……!」
何がツボにはまったのか再度リリアは笑い出してしまう。
それを幾分か冷めた目でアイリーンは見つめていた。
(気をつけないと。この女は別格だわ。神剣を修復できるとは思わないけど、神剣を自分のものにしかねない)
この舞台は『聖と魔と乙女のレガリア3』、すなわちリリアは過去作の主人公だ。
だが国を変えても、聖剣の乙女は名前も存在もゲームに影響し続けている。3は聖剣の乙女との関係が薄い設定と舞台だが、油断はできない。
「じゃあ当面の方針はそれでいいわね」
「よくないでしょ!? 本気でやるのあんた」
「やるわよ? 反対するなら代案を出しなさい」
セレナは眉を限界まで引き絞ったあとで、ぼそりとつぶやく。
「権力持った男を骨抜きにして外に出る手はずを整えてもらう方がましだわ……」
「情報収集としてはありね。採用。ただしオーギュストに怒られない範囲になさい」
「だからなんでオーギュストなのよ!」
そうやって反応するからだ、とは言わずにアイリーンは念を押した。
「いい、エルメイア皇国の名前を出すのは最後の手段よ。聖王が何を考えているかはわからないけれど、情報収集が先。必ずクロード様を守り切ってあの男を泣かすのよ!」
「じゃあアイリーン様、まずはヒロインのサーラに会いましょ。魔竜も神剣もどうなってるのかはっきりしなくちゃ、ゲームの進行状況がわからないもの」
「神剣が修復される前に壊してもいいけれど……でも交渉に使うなら使えるようになった神剣の方がいいわね。じゃあさっさとパラメーターあげさせて修繕させるわよ! 攻略相手は誰でもいいわよね、どうせ顔も肩書きもいいのがそろってるし」
「そこはアレスにしておきましょうよ、メインヒーローだしわりと攻略が楽だし」
「そのルートは悪役令嬢のロクサネが出てくるじゃないの!」
悪役令嬢が出てきたら話がややこしくなる。かつて自分が悪役令嬢と呼ばれる立場だったわけだが、それはそれ、これはこれだ。
不満そうなリリアとやり合うアイリーンのうしろで、セレナが鼻白んだ。
「……何の話だかさっぱりだけど、意外と仲がいいんじゃないの? あんた達」
「冗談じゃないわ、しょうがなく手を借りるだけよ!」
「アイリーン妃。おられるか」
扉の向こうからかかった声に、ぴたっと全員が口をつぐんだ。アレスの声だ。
「王がお茶を一緒にと仰せだ。中央庭園にすぐきていただきたい」
ふうっとアイリーンは息を吐き出す。レイチェルに目配せすると、優秀な侍女はすぐに化粧道具と衣装を用意すべく動き出した。その横でリリアまでそわそわし始める。
「まさかお茶会イベントかしら。ああ、どうしようかしら?」
「だから好き勝手な行動は許さないと何度も言っているでしょう、リリア様。首に爆弾がついていることを忘れないで」
「――それ、まさか私をためしてるつもりなの、アイリーン様? この国は聖王の結界で魔力の類いは一切無効になるのよ。私への魔法も消えてるってちゃあんと気づいてるわよ?」
首元に手を当てるリリアに、そばで耳を立てていたセレナがぎょっとする。
「ちょっと待ってこの女、今自由なの……!?」
「そうよ。でも協力してあげる。アイリーン様と共同戦線なんてこんな機会がないと、できなさそうだもの。――ねえレイチェル、私も髪を結い直して欲しいの」
「えっ?」
「だって私は今、アイリーン様の女官よ。どうせならそれっぽい格好しなくちゃ!」
リリアがまるで普通の令嬢のようにレイチェルの腕にじゃれついて甘え出す。
それを薄気味悪そうに見ているセレナに、言った。
「セレナ。あなたはリリア様から目を離さないで。決して味方ではないから」
「……手に負える範囲ならね。この面子で誘拐されるとかほんっと最悪」
「そうでもないわよ。ある意味心強いわ」
自覚があるのはアイリーンとリリアだけだが、レイチェルもセレナもそれぞれゲームに深く関わりがあった人物だ。ゲームの舞台装置を狂わせることも可能だろう。
「あなたも今回はおとなしく協力して。わりと命かかってるわよ、この状況」
「……いいわよ。新婚早々不倫がばれた時のあんたの顔が見られるかもしれないし?」
セレナの最後の挑発に、びしっとアイリーンは固まった。
怒りにまかせて考えないようにしてきたが、一度考え始めると冷や汗が止まらない。
なにせ、脅されたとはいえ、アイリーンは他の男の妃になっているのである。
説明すれば不可抗力だとクロードはわかってくれるだろう。だがその説明までに世界が半分くらい氷漬けになってもおかしくない。
何より恐ろしいのは、クロードがアイリーンをさがしてアシュメイル王国にくることだ。
(高速で攻略するわ。クロード様に知られる前に、ここから出なきゃ)
夫を害する神剣があるこの国で、助けを求めるなど妻として許されない。
(だからどうかクロード様、おとなしく待っていて。今だけは妻一人さがし出せないポンコツ夫でいて――!)
それは神剣から夫を守るためであって、妃になったとばれるのが怖いからではない。
あの優しい夫が怖いとかない。そう、決して。




