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「あの男、絶対泣かす……!」
今日からここがあなたのお住まいです――と案内された部屋に入るなり、金糸で刺繍されたクッションを殴りつけ、アイリーンは薄く笑った。
薄い生地でできた露出の多い前合わせ。衣はアイリーンの瞳と合わせた藍色、王の寵愛を得た上級妃に下賜された色でもある。白絹の下衣から垣間見えるのはサンダルだ。しゃらりと耳元であまりなじみのない形をした蒼玉の耳飾りが鳴る。異国の衣装だ。そして黄金と大理石で作られたこの宮殿は、王の妃が集う後宮の一画、海の宮殿である。
後宮といえば、王の寵愛を競って女が集う場所だ。
そんな場所にどうして自分が妃として宮殿を賜っているのか。エルメイア皇太子妃であり魔王の妻である自分が――それもこれもすべて、あの聖王のせいである。何度反芻しても怒りがおさまらない。
「わたくしの夫を塵芥扱い……! 命を狙うだけでも許せないのに、よくもぬけぬけと。しかもこのわたくしを脅すなんて、ふふ、うふふふふふふ」
「何言ってんの。そもそもアンタがうかつなのよ。飛び出して戦って王様ひっぱたいてって、どんだけ目立ってんの。処刑されなかっただけましじゃない」
すらりとした手足を薄い紗の袖にくるみ、大きなクッションを胸に抱くようにしてうつ伏せに寝転んでいるセレナは完全にくつろいでいる。
「あんた付きの女官っていうのが気に入らないけど、アシュメイル王国って金持ちだし、私ここで婿さがししようかしら」
「あなたは昨日の今日で適応早すぎ、しかもくつろぎすぎでしょう! 女官なら働きなさい、レイチェルを見習って!」
「私の本当の仕事はあんたの護衛とリリアサマの監視でしょー? 持ち場離れるわけにいかないじゃない」
「相変わらず屁理屈だけはうまいわね……!」
「それより、まだ笑ってるんだけどこの女」
ずっとクッションに顔を沈めて笑っているリリアに、セレナが矛先を向ける。
声をかけられたリリアはやっと起き上がって、楽しくてたまらないという顔をこちらに向けた。
「だ、だって……さすがアイリーン様だと思って。魔王と聖王を二股……!」
「人聞きの悪いことを言わないで! 今すぐにこんな場所出て行くわよ……!」
「どうやってよ。――見張りつけられてるわよ」
セレナが小さく忠告した。アイリーンは開けっぱなしの窓に目をやると、ごろんと寝返りを打ったセレナが、さらにつけたす。
「言っておくけど、この人数で地理に疎いこの場所から策もなく脱走とか無理だから。聖剣だって人間はきかないんでしょ?」
アイリーンも腕に自信はあるが、尋常でない力を発揮できるのはあくまで聖剣の力を借りての話だ。
魔物相手には無敵を誇っても、人間の、しかも軍人に囲まれたら分が悪い。
「わかったわ。冷静になりましょう。――冷静に確実に泣かす」
「全然冷静になってないじゃないの……」
「ふふ、いいじゃないセレナ。こっちの方が情報は多く持っているはずだもの。この国が今どういう状態か、そしてどうなっていくのか」
ずっと笑っていたリリアが座り直して、薄く微笑む。それをセレナは不気味そうに見た。
「何、また予言とかいうの? すっごいうさんくさいんだけど」
「気にしないであげて。リリア様は自分が特別だと信じてる痛々しい子なのよ」
「アイリーン様。お待たせしました、遅くなりましたが昼食です」
叩扉のあと、配膳台を押してレイチェルが入室する。開いた扉の向こうでは、見張りの男の姿が見えた。セレナの言っていることは本当のようだ。
昼食の配膳を始めたレイチェルを見て、ごろごろしていたセレナもリリアも起き上がる。部屋にしつらえられた食卓は大きくないが、小声で相談するにはちょうどいい。
「何か情報はつかめて?」
「はい。あの船の乗客の多くが後宮に下女として召し上げられています。もともとそういう予定だったようで不満の声はあがってません」
「そういう予定だったってどういうことよ。聞いてないわよ、私」
不信感いっぱいのセレナの前に、レイチェルが毒味用の皿を並べた。リリアはともかくセレナの分まで黙って配膳しているのはなぜかと思ったら、毒味役をさせるつもりらしい。
「そう言われても私も同じです。乗船に手違いがあったんでしょうか?」
それについてはバアルも気になることを言っていた。
(ハウゼル女王国が準備したとかなんとか……まさかはめられた? でもどっちに?)
嘆息し、アイリーンは並べられた食器を手に取る。
「それについてはひとまず置いておきましょう。食事に毒は入ってないから安心して食べていいわよ、みんな。それで、魔竜の復活は本当?」
「三ヶ月くらい前に魔竜復活の兆しだという伝承の、黒い雨が降ったそうです。でも神の娘がいるから大丈夫って話でした」
「……その、神の娘の名前はわかった?」
「サーラ様とおっしゃるそうです」
聞き覚えのある名前に思わずため息をつく。その横で、リリアが小さく笑っていた。
「神剣については?」
「わかりません。神の娘が持ってるとか聖王が保管してるとか、噂ばかりで」
だが、魔竜が復活してるとしたらゲームは始まっている。
「二度あることは三度、か……」
「そうね」
リリアの短い肯定が腹立たしいが、腹をくくるしかない。
ここは、エルメイア皇国から運河をはさんで東南に位置するアシュメイル王国――『聖と魔と乙女のレガリア3』の舞台なのだ。




