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真顔で考えこみながら、男は続ける。
「こんな執念深い呪具は初めて見た。――女、お前もよく正気でいるな」
ぶるぶると震えるアイリーンのうしろで、リリアとセレナどころか、レイチェルまで噴き出すのをこらえている。
(何が呪具……っこれはクロード様の愛がこもった結婚指輪よ、きっと多分おそらく!)
クロードの巨大な魔力を畏怖するあまりそういう表現になったのだろうと無理矢理呑みこんで、アイリーンは微笑む。
「わ、わたくしは正気ですわ。それより手を放していただけます?」
「そうはいかぬ。早々に浄化せねば、厄災を招くぞ。これも何かの縁だ、浄化してやる」
「はい? ――ちょっと!」
ひょいと薬指から指輪が取り上げられた。クロードいわく『二度とはずれない指輪』のはずだ。アイリーンがなくさないように――断じて呪われているからではない。
(クロード様の魔法を無効化した……!?)
だが、不思議なことではない。彼の設定を考えれば、決して。
ただし逆説的に考えれば、ゲームのとおりということでもあるわけで――。
(……っただでさえ外交問題をかかえている時に関わってまた巻きこまれでもしたら、しゃれにならない! 指輪を取り返して離れなきゃ)
結婚指輪は男の手で一度握りしめられ、じゅっと音を立てて煙を噴き上げた。魔力が霧散したのだ。しかめ面になった男が掌を開くと、やけどのような痕になっていた。
「バアル様、お怪我を……!」
「心配するなアレス、すぐ治る。それより、女、この指輪をどこで手に入れた?」
「それは――」
突然どおんと大きな音が耳をつんざき、船が傾いだ。甲板に並んだテーブルと椅子が斜めに流れていき、皿とグラスが割れる音に悲鳴が混ざる。
レイチェルが慌ててアイリーンの手を引いた。
「アイリーン様、こちらへ……!」
「何よ、事故? ――じゃないわね、ちょっとどこ行くの、あんたはこっち!」
リリアの首根っこを真っ先につかんだセレナの前を横切り、男がつぶやく。
「なんだ、海賊か? これは予定外だな」
その眼下では、客船の側面に海賊船を乗りつけた男達が複数、こちら側に乗り込もうとしていた。大剣や銃らしきものを持ったその風貌は、どう見ても友好的ではない。
ハウゼル女王国行きの上客を乗せた豪華客船だ。港につくまでは男性も乗船できるが、護衛も女性が多く、ご令嬢の一人でもさらわれたら大事になる。
「セレナ、剣を貸して。あなたはそのままリリア様とレイチェルを守りながら、一緒に避難してちょうだい」
「お前、まさか海賊と戦うつもりなのか?」
高見の見物のつもりなのか、両腕を組んで見ているだけの男からそろそろと距離を取る。
「わたくしのことはお気になさらず、早くお逃げに――」
台詞の途中で再度船が大きく揺れた。今度は海賊達の方からも悲鳴が上がる。
盛り上がった海面から出てきたのは、吸盤が並んだ白い腕――巨大なイカだ。器用なことに海賊達をその腕でつかんでぽいぽい海に投げ捨て始めている。
「魔物だ!」
「クラーケンが襲ってきたぞ、逃げろ……!」
「アイリーン様、あれって……」
「止めるわ」
短くレイチェルに答えたアイリーンは上甲板へと飛び降りる。クラーケンは人間を襲いにきているわけではない。魔王の妻であるアイリーンを助けにきたのだ。その証拠に、海賊船と客船をつなぐ板をたたき割って、海賊船を遠くに放り投げていた。
だが混乱を極めている客船側の人間は、そんなことに気づかないだろう。しかも今、客船側にはまずい人物がいる。
悲鳴と怒号、船の揺れがおさまらない上甲板で、アイリーンは海面の影に向かって叫ぶ。
「クラーケン! もういいわ、わたくしは無事よ。ここから離れなさ――」
「魔物まで襲い来るとは。今回は大アタリかもしれんな」
ふと近くで聞こえた声に、アイリーンは振り向く。いつの間にか男が背後に立っていた。
「お前、魔物にも賊にも臆さぬのだな。しかもこの呪われた指輪」
「――返してくださいませ!」
男の人差し指と親指の間で光る結婚指輪に手を伸ばす。だがその手は途中でつかまれた。
護衛の男だ。軍神と呼ばれるその男の顔をアイリーンは知っている。
「この指輪が大事か。――面白い。さすがハウゼル女王国が準備した女、使えそうだ」
「は?」
ぱちんと男が指を鳴らした。クロードと同じ動作だ。
咄嗟にアイリーンは背後の海面にただようクラーケンに叫ぶ。
「逃げなさい! 近づいては駄目――ッ!」
「女どもよ、光栄に思うがいい。望み通りさらいにきてやったぞ」
高らかに叫んだ男が光をまとい、両腕を組んだまま宙に浮く。それはクロードと真逆の力だ。
「お前達は今日から聖王アシュメイルの後宮に入るのだ! 魔竜を斃すため、その聖なる力を余に捧ぐがいい!」
哄笑と一緒に視界がゆがむ。クロードの強制転移と同じだ、引きずりこまれる。
魔物を塵にする聖なる力がそのまま船を包みこみ、海面から浮上する。
と思ったら上下左右に回転するような感覚に襲われ、アイリーン達は意識を失った――。




