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よく状況を思い出してみようと思った。
(どうしてこうなったのかしら。まさか、あの時ついうっかり話したせい?)
あの時――それは不届きな海賊が豪華客船を襲撃してくる、ほんの少し前のこと。
「ところであんた、まだあのアイザックとかいう男と別れてないの?」
せっかくだから皆で豪華客船が売りにしている船上レストランで昼食をとることにした。レイチェルは「私は侍女です」と固辞しようとしたが、セレナが遠慮など皆無で席についたので、アイリーンの横の席につくことで妥協した。そして貝のムニエルに舌鼓をうっている最中、セレナがレイチェルにそう切り出したのだ。
ふっくらと白身の蒸し魚にフォークを差しこみ、レイチェルがにこやかに返す。
「そもそも私はアイザックさんとつきあってません」
「え、何? まさか悪役令嬢なのにモブと恋愛フラグ――むぐ」
「リリア様、おいしいですわよこのパン」
ちぎられていないパンをそのままリリアの口につっこんで口を封じてから、アイリーンはこほんと咳払いをする。
「そういうセレナはオーギュストとどうなの? 食事はすっぽかしたあげく、二人きりのデートでも十時間待ちぼうけさせたって聞いたけど」
「デートなわけないでしょ。食事だって元生徒会同士、男同士で仲良くやってたんだし。あいつら一生結婚できなくなればいい」
「え、十時間待ちぼうけ? それなら好感度は今――もが」
「このリンゴもおいしいですわよ、リリア様。……まったく素直じゃないわね、セレナは」
「……何が言いたいの」
「元生徒会役員だったあの四人は優良物件よ。セドリック様より」
目を光らせて断言したアイリーンに、セレナは呆れる。
「そっちでリンゴまるごと頬張ってるリリア様の前で、それ言っちゃう?」
「その婚約者の愛妾を狙っている人は、できる気遣いが違いますね」
「愛妾? セドリックの? セレナが?」
もう林檎を呑みこんだらしい。よく食べる口だ。今度は何を詰めこんでやろうかと思いつつ返事が気になって、横目でその様子をうかがってしまう。
ふんと勝ち誇ったように笑って、セレナが葡萄柚を一切れ取った。
「そう。協力すれば私を愛妾にしてくれるって言ったのよ」
「なれたらすごいと思うわ」
にこやかに返したリリアに、セレナが拍子抜けした顔になる。
けれどアイリーンは、ゆっくり食べ物に視線を落としたリリアの目が決して笑っていないことに気づく。小さく口を動かして吐き捨てたその言葉は――攻略キャラごときが、だろうか。
(……むくわれるのかしら、セドリック様。オーギュストも)
ことごとくゲームのヒロインがメインヒーローに憎しみを募らせているのはなぜだろう。いや自分まで例のゲームを軸に考えてどうすると首を振ったアイリーンは、嘆息した。
「まったく全員、もう少し単純に考えればいいでしょう。男なんてよさそうなのをつかまえてから自分好みに飼い慣らせばいいだけなのに」
「それ絶対にクロード様に言ったら駄目です、アイリーン様」
「クロード様は別格よ。文武両道容姿端麗、ちょっと自由すぎて困ったところはあるけれどそこがまた可愛いし、紳士的で優しいし器も大きいし、あれ以上完璧な男性をわたくし知らないわ……しいて駄目なところがあるとしたら顔が卑猥すぎるところかしら」
「そんな卑猥な夫と白い結婚をしているわけだけどね、あんたは」
うっとりしていたアイリーンはセレナの嘲笑にぐっと言葉を詰まらせる。
食事を終えたレイチェルが口元をナプキンで拭いて、たしなめた。
「お二人とも、昼間にする会話ではありません」
「やっぱり全年齢指定が、むがっ」
「リリア様このパイおいしいですわよ――ってはや! 飲まないでちゃんと噛みなさい!」
「おい、そこの女」
ふいに、男の声と影がかかる。
乱暴な物言いに半眼になったアイリーンは、ゆっくりその影の主を見上げた。
「わたくしのことかしら。……何か?」
「お前がしているその指輪を見せろ」
眉をしかめている間に、ぐいと左手をとられた。乱暴に椅子からひっぱられ、アイリーンは眉を吊りあげる。
「失礼ではなくて? せめて名乗ってから――」
逆光になっていた男の全貌が見えた瞬間、言葉が続かなくなった。
衣装は異国のものだ。つかまれた手から腕、肩、胸板に首筋とさらけだされているが、鍛えられていて無駄がなかった。顔の輪郭にすっととおった鼻梁と薄い唇まで、すべてが整っている。黄金もかすませるような美しい金の髪と、獰猛さを思わせる切れ長の瞳が、男の野性じみた美しさを一層引き立てていた。
印象的なのは、静謐な菫色の瞳――リリアと同じ色。つまり、ゲームの設定どおりなら聖なる力を持つ者の証だ。だがアイリーンが息を呑んだ理由はそこではない。
スチルとそっくりなその顔と姿。
護衛のセレナが中腰になり、レイチェルが立ち上がって批難の声をあげた。
「おやめください、この方は」
「静かに、レイチェル。……リリア様」
レイチェルには悪いが、確認できるのはリリアしかいない。呼ばれたリリアはきょとんとしたあと、アイリーンの手をつかんでいる男の顔を見て、小さく笑う。そして人差し指を唇の前に立て、セレナとレイチェルをうしろにさがらせた。
監視付き、首に爆弾つきだろうが、リリアはエルメイア皇国第二皇子の婚約者だ。この中では皇太子妃のアイリーンに次いで身分が高い。アイリーンの斜めうしろから、いつもの無邪気な態度で確認する。
「ひょっとして、バアル・シャー・アシュメイル様ですか?」
「なんだ、余を知っているのか」
あっさり肯定されて息を呑む。よりによってもめているアシュメイル王国の人間だ。旅の目的を知っているレイチェルもセレナも、さすがに驚いて動きが止まる。
いや、もめている国の人間である以上に――。
「となれば余計、捨て置けまい。聖王は慈悲深き存在であるからしてな」
「バアル様、我々は一応、お忍びですよ」
バアルのうしろから出てきた人間に、アイリーンはめまいを起こしそうになった。一体これはなんの罰なのか。案の定、リリアがはしゃいだ声を上げる。
「まあ、アレス様! アシュメイル王国の軍神と名高いアレス様ですよね!」
黒髪に褐色の肌をした青年は、端麗な眉をひそめた。お忍びという言葉から察するにあまり騒がれたくないのだろう。それをわからないふりをして、リリアが話しかけ続ける。その図太さがいっそ今はありがたい。
「どうしてこの船に? 何かのお仕事ですか? この船ってハウゼル女王国へ向かう船ですよね。女性じゃないと到着と同時に帰されちゃうんじゃ」
「その――君、静かにしてもらえないか」
「よい、アレス。それよりこの女の指輪。やはり呪われている」
「は?」
眉をしかめたアイリーンの結婚指輪を、おぞましいものでも見るような目で眺めながら、男は口元を覆った。
「なんという怨念のこもった指輪だ。執着があふれ出ている」




