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悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました  作者: 永瀬さらさ
第四部

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悪役令嬢の旅立ち


 潮のにおいと一緒に一面の青が白く波立っている。

 港から見える広大な海は、きらきらと輝いていた。大きな客船を横切り、真っ青な水平線の向こうを目指してかもめ達が飛んでいく。


「それでは行ってまいりますわね、クロード様」


 つばの大きな帽子をかぶり直し、アイリーンは見送りにきてくれた夫を見上げた。

 陰鬱な顔もうっとりするほど美しい夫は、何度目になるのかわからない確認を繰り返す。


「どうしても行くのか?」

「ええ。わたくしが直々におもむくことで、誠意をみせねばなりません」

「……せめて僕が転移で送った方がいいのではないか。豪華客船とはいえ、皇太子妃である君を迎えにくるでもなく勝手に乗船を指示してくるなんて、乱暴すぎる」

「そこは好意的に受け取りましょう。それにクロード様の力を使うのは、魔物の力を見せつけているととらえかねられません。それでは友好的な関係は築けませんわ」

「だが、もし君に何かあったら」

「大丈夫ですわ。レイチェルもいますしセレナが護衛です。それに、これもありますから」


 そっと左手の薬指に光る指輪に触れる。

 永遠の愛を誓ったその日から抜けなくなった、もとい肌身離さずつけている指輪だ。魔王の魔力が付加されているこれがあれば、アイリーンの身のうちにある聖剣は裁けぬものはない無敵の武器に変わる。


「心配なさらないで。わたくし、クロード様の次に世界最強の自覚があります」

「僕も行ければいいんだが、行き先が男子禁制の巫女姫の国ではな……」

「女装していらっしゃいます? クロード様の美貌なら世界一の美女になれますわ」


 クロードが露骨に顔をしかめた。

 ふふっと小さく笑ったあとで、アイリーンは意外とさみしがり屋の夫に優しく微笑む。


「すぐ帰って参ります。ですから待っていてくださいな、クロード様」

「魔物を護衛につけるのも、君の理屈ではだめなんだろうな」

「ええ。わたくし達はハウゼル女王国を通じて世界中に、魔物による支配をもくろんでいるのではないと証明しなければならないのですから」


 クロードとアイリーンの婚礼の翌日、永世中立をうたう神聖ハウゼル女王国から招待状が届いた。

 だが、中身はおそらく招待とは名ばかりの査問会だ。クロードもそれは承知している。


「時期が悪かったな。僕が記憶喪失の間に、隣国のアシュメイル王国に魔竜が現れたとかなんとか……それで僕が侵略を目論んでるとか勝手に疑われてしまって」


 クロードのぼやきに内心冷や汗をかきそうになったが、面には出さない。


「侵略など誤解であると、わたくしが! きっちり説明して参ります」

「だが記憶喪失だったせいで、僕に責任がないという自信が今ひとつ」

「クロード様は悪くありません! それに、アシュメイル王国とエルメイア皇国がもめているのは昔からですわ。またただの難癖です」


 アシュメイル王国にはエルメイア皇国の『聖剣の乙女』や『聖剣』と同じく『神の娘』と『神剣』にまつわる建国伝説がある。神剣を授かった神の娘が魔竜を斃し、神剣から湧き出る水で砂漠の中でも水で潤う国ができた、という伝説だ。

 それが百年ほど前に突然、アシュメイル王国はエルメイア皇国の聖剣の乙女は神の娘のことである、すなわちエルメイア皇国はアシュメイル王国の属国であると言い出した。属国扱いはもちろん、根拠もなく歴史の根幹を否定されたエルメイア皇国は真っ向から反抗した。結果、開戦こそ回避したものの、アシュメイル王国が鎖国的だったこともあってそのまま国交が完全に断絶した。

 それがここにきて、『魔王であるエルメイア皇太子が魔竜を復活させ、我が国を侵略しようとしている』とハウゼル女王国に申告、仲介を頼んだのだという。


「魔竜がどうなっているのかこちらに説明もないのですよ? ハウゼル女王国が仲介さえしてなければ、放置案件ですわよ。まったく腹立たしいったら」

「国交が断絶している以上、あの国に仲介を頼むのはまっとうな手段だろう。いきなりアシュメイル王国から宣戦布告されるよりはましだ。戦争は無駄だ、さけたい」


 中立を謳う侵略不可侵の国であり、女神に守護された国であり、何よりこれまで様々な国に手をさしのべてきた慈愛の国、神聖ハウゼル女王国。だからこその仲介役だ。

 どの国も一目置いており、敵に回せば世界中から批判を浴びる。外交から国民の不安までさまざまな問題が噴出するだろう。逆に言えばハウゼル女王国を納得させられれば、アシュメイル王国の言い分もただの難癖で終わる。


「そうですわね……昔のこともありますし、最低限、開戦はさけたいところです」

「何かきな臭いことには変わりないがな。……やはり心配だ、別の者に」

「まあ、クロード様! わたくしが交渉に負けて帰ってくるとお思いなの?」


 見くびりすぎだ。

 ずいっと下からにらむと、クロードは困った顔になった。


「僕が心配しているのはそういう意味ではなくて」

「なら大船に乗ったつもりで待っていてくださいませ。必ずぶちのめしてやりますわ!」

「ぶちのめしたら戦争になるのでは」

「気合いの話です! わたくしを呼びつけたんですから!」


 皇太子妃という今やエルメイア国で一番高貴な女性であり、聖剣の乙女のアイリーンが出向くのだ。手ぶらで帰るなどあり得ない。

 そこかしこに乙女ゲームの単語が飛び交う中、最大級に面倒な人物をかかえてまで――。


「アイリーン様! もうすぐ出発ですって」


 面倒が背後から腕に抱きついてきた。

 頬を引きつらせるアイリーンに対し、相手は輝かんばかりの笑顔だ。

 きらきらしたその瞳が晴天の下で輝きを増すのはヒロイン補正か。


「……リリア様。セレナと一緒にいるようにわたくし言いましたわよね?」

「そうだったかしら? ごめんなさい、アイリーン様と旅行だと思うと嬉しくて、じっとしてられないの!」


 クロードの手前、笑顔を返すと、リリアもすっとぼけて愛らしく微笑み返す。


「わたくし達は外交に向かいますのよ。礼儀知らずな真似は国の恥になります。あなたは第二皇子の婚約者なのだからそのあたりをきちんと自覚して、おとなしくしてくださいませ」

「大丈夫よ、アイリーン様! なんだか難しい話になってるけど、ハウゼル女王国の狙いは本物の聖剣の乙女である私よ。私まで呼び出すのはそういうことでしょ? ふふ、楽しみね」

「楽しみ? セドリック様としばらく離ればなれになってしまうのに」


 うっすら笑って言い返すと、リリアの笑顔の温度が下がった。

 その顔をのぞきこんで、アイリーンはささやく。


「もう一度忠告しておきます。おとなしくなさって、リリア様? でないとセドリック様に言いつけたくなってしまうわ。今から行く国が男子禁制で本当に残念なくらい」

「……」

「それにあなたの首に仕込んだ魔術が暴発したら、大変でしょう? 後片付けがね」

「…………」


 リリアは黙っているが、ひるんだ様子はない。薄い笑みを唇に浮かべたまま、ばちばちとお互いの間に火花を飛ばす。

 その様子を見ていたクロードが、ぽつりとつぶやいた。


「……男子禁制だから下僕が増える可能性がないだけましか」

「? 何かおっしゃいまして、クロード様」

「いや別に。……君は僕の妻だ。まかせることにしよう」


 そう言われて、張り切らないわけにはいかない。

 胸をはって、アイリーンは頷く。


「おまかせくださいませ」

「無事到着したら手紙を出してくれ。そのあとも一日に一回、手紙を書いて欲しい」

「……。緊急時だけでいいのではないでしょうか?」


 返事に困るクロードの文才を、笑顔でごまかしてみる。だが即座に代案を出された。


「半日に一回の方がいいだろうか」

「い、一週間に一回」

「一時間に一回でも僕は喜んで引き受ける」

「わかりました一日に一回ですわね! 報連相は大事ですもの!」


 妥協したように見えて結局クロードの要求をそのまま呑んでしまったが、この魔王の機嫌を損ねると天候が大変だ。嵐を起こして船を出航できなくされてはたまらない。

 頷いたアイリーンに、クロードが口端を持ち上げる。


「ならよしとしよう。何かあったらすぐ僕を呼ぶように。僕は今、次期皇帝になる身ではあるが君の夫でもある」

「わ、わかっております」


 結婚して一ヶ月未満、夫と主張されることにはまだ慣れていない。

 気恥ずかしさでうつむきかけたアイリーンのあごを、ふとクロードが指先で持ち上げた。

 顔にかかった陰に、アイリーンは慌ててまぶたを落とす。緊張で睫の先が震えるのがわかった。

 果たして唇が落とされる先は、額か頬かまぶたか、結婚したのにまだ一度も重ねたことのない唇か。


(わたくし達はもう夫婦なのよ! さあクロード様、思い切ってえいっと――ここじゃあまり雰囲気がないけれど、かまわないわ! このまま本当の夫婦になれないよりは!)


 ――というアイリーンの内心の気合いとは裏腹に、クロードの唇は額に優しく落ちた。


「……」

「気をつけて、アイリーン。愛している」

「……は、はい。わたくしも……愛していますわ……」


 アイリーンの返事にとろけるほど甘く魔王が微笑んで、そのまま姿を消した。

 その愛を疑ったことはないが、両肩が落ちてしまう。額に手を当てて、嘆息した。


「……」

「ねえねえ、本当なの? クロード様とアイリーン様が実はまだ夫婦じゃない――」

「今すぐ死にたくなければ黙りなさい」


 リリアは今、セドリックと一緒に罪人として監禁・監視されている人物だ。今回、ハウゼル女王国がリリアの同伴を求めたため、外出を許可せざるをえなかった。そのかわり、その首には爆弾代わりの魔術が仕込まれている。アイリーンが結婚指輪からほんの少しクロードの魔力を流してやれば、その首が飛ぶという容赦のない魔法だ。

 だが自らをプレイヤーと称し、この世界をゲームとしてプレイしているリリアは、自分の死にすら実感がないのか、まったく動じない。


「でも魔王様ってゲームでは手が早かったわよ? FDにはそういうスチルもあったし」


 いらぬ情報を披露するリリアを置いて、身を翻す。リリアはちゃんとついてきた。


「アイリーン様に魅力を感じないとか? そんなはずないわよね、私の一番の推しなのに。あ、無印の全年齢指定が生きてるとか。そうなるとアイリーン様は一生」

「そういう話はやめなさい。頭がおかしいと思われるわよ」

「そうね、乙女ゲームの話はアイリーン様と私の秘密ね」


 嬉しそうな声をあげるリリアのこういうところは、もう理解を諦めている。


「でも意外だったわ、アイリーン様が私と一緒にゲームの舞台になる国へわざわざ行ってくれるなんて。私に有利な設定しか出てこないのに」

「皇太子妃が外交から逃げる理由にはならないわね。それに時代が違うはずよ」

「ふふ、そうね。でもきっとそれだけで終わるわけがない。聖剣の乙女が行くのに」


 それがどちらのことかは言及せず、リリアはアイリーンを追い越し、くるりと振り向いた。


「怖い顔しないで、アイリーン様。きっとまたゲームが楽しめる。だから私は今回、おとなしくついていってあげるわ」

「首に爆弾をつけられても?」

「なんでもないわ、こんなもの。ゲームの設定上、今、私が死ぬわけがない」


 軽い足取りでリリアが先に船へと乗りこむ。ため息をこらえ、それに続いた。

 すっとどこからともなく護衛のセレナが姿を現してうしろにつき、荷物を船へ預け終えた侍女のレイチェルが頭をさげて迎え入れる。


「アイリーン様、お部屋にご案内します」

「ありがとう、レイチェル。……セレナ、今回ばかりはわたくしに協力してもらうわよ。でないとオーギュストと結婚してもらうわ」

「なんなのその脅し」

「へえ、まさかフラグが立ったの? 今更?」


 リリアのつぶやきに、レイチェルとセレナが怪訝な顔をする。

 先ほどの忠告を早速無視するリリアをにらむと、可愛らしく人差し指を唇の前に立てて笑顔を返された。


「わかってるわ。内緒よね?」

「……彼女のことは無視して。ハウゼル王国に無事にたどりつくことを考えましょう。夫婦の危機を回避するためにもね」


 セレナが眉をひそめた。


「夫婦の危機って何よ。まさか……」

「神聖ハウゼル女王国の秘技よ」


 セレナが露骨に嫌そうな顔になり、リリアがその横で目を丸くした。


「……まさかそのために行くの、アイリーン様?」

「馬鹿言わないで、外交が最優先よ。でもどうせなら一石二鳥を狙うわ!」


 神聖ハウゼル女王国。男子禁制のその国は、一見禁欲的に見えるが、実はそうではない。

 あの国は手っ取り早く男性を陥落させて子どもを作るため、媚薬も閨事もなんでもこいな、手練手管に乱れた秘技があるのだ。

 それは例の乙女ゲームでも設定されており、現実でもまことしやかにささやかれる公然の秘密だ。あの国が金に困らないのは、世界中からその秘技を買い求めてやってくる客があとを絶たないからだとも言われている。


 それさえあればあの魔王だって、アイリーンに陥落するはずだ。


 というかなんなのだ、卑猥が服を歩いているような夫が、いくら初手で失敗したからと言って、新妻に手を出すどころか口づけ一つしかけてこないなんて!


「帰ったら覚えてらっしゃい、クロード様……! わたくし、必ずあなたとの初夜を成功させてみせますわ!」

「アイリーン様、お気持ちはわかりますが声が大きいです」

「馬鹿らしい……」

「……ふふ、ふふふふふやっぱり最高ねアイリーン様って!」


 リリアに爆笑されようが決意は揺るがない。汽笛が鳴り、船が進み出す。

 この旅路の終わりには輝かしい夫婦の未来が待っている。

 甲板で向かい風に向かって不敵に高笑いする。だが途中で強風にあおられ、ひっくり返りそうになった。



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