何度落ちたってかまわない
◆9/1『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』3巻発売御礼挿話・第3弾◆
「こっちの予定は組み直しだ。あと、手順にミスがあるから書類を作り直して欲しい」
「ああほんとですね。こちらの予算はどうしましょう、クロード様?」
「それでかまわないが、人件費が足りているか再確認を忘れないように伝えてくれ。その箱にある陳情書で印があるものは、事情を魔物に確認させたい」
「アーモンドに任せましょうかね」
「そうだな。これでひととおり午前中の分は終わりだ。あとは――」
執務室で仕事の確認を終えたクロードは書類から顔を上げて、扉を見る。キースも少しうしろに体を動かして、同じものを見た。背後の護衛も同じ方向に視線を動かす。
扉の影から、じっとこちらを見ているサファイアのような瞳があった。
「……いい加減、入ってきたらどうだろうか? アイリーン」
手がやっと入るほどの隙間からこちらを凝視するだけで、何故か部屋に入ってこない婚約者に呼びかける。実はすでに数度目の呼びかけだ。
だが、アイリーンは扉から顔を左半分だけのぞかせた状態で、同じ答えを返した。
「わたくしのことは気になさらないでくださいませ」
「そう言われてもだな……」
「――昼休みにしましょう! クロード様」
珍しく休みを切り出したキースが、そっと身をかがめて耳打ちする。
「なんとか時間作りますから、さっさと解決してください」
「そう言われても、何も覚えがないんだが……」
本音である。
そもそも、アイリーンは体調がようやく戻ったばかりなのだ。昨日の見舞いでは、久しぶりに森の古城に顔を出せると嬉しそうに報告してくれて、変わったところは何もなかった。
そして今日顔を出した――と思ったら、半分しか顔を出してくれない。
「まさかここでフラれないでくださいよ。今、忙しいのは婚礼準備のせいなんですからね――ウォルトさんカイルさん、お昼行きましょう。今は持ち場を離れて平気です」
気を利かせた従者は護衛を誘って部屋を出て行く。クロードを守ることを使命にしているウォルトとカイルは、異議を唱えずに従った。
出て行く三人と入れ替わってアイリーンが入ってこないかと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。
アイリーンは一度開いた扉をわざわざまた同じ角度にして、顔半分だけのぞかせる体勢に戻った。
「……」
「……」
「……まだ体調が悪いのか?」
「……いいえ」
珍しく口調が固い。かといって怒っているというわけでもなさそうだ。
こん、と人差し指で一度執務机を叩いて考えたクロードは、意識して甘く呼びかけた。
「アイリーン?」
ほんのわずかに、彼女が扉の向こうで身じろぎした。
決して怒ったのではないとわからせるために、クロードはそのまま優しく続ける。
「話してくれなくては、君のしたいことがわからない」
「……」
「それとも僕の解釈で解決してしまおうか?」
毒のような甘さを含んだ脅しにも、返事はない。だがアイリーンが逡巡しているのは伝わってきたので、辛抱強く待つ。
ややあって、ぼそぼそとした声が届いた。
「……ていらっしゃいますか……」
「アイリーン」
「――本当に、わたくしを覚えてらっしゃいますか」
目を丸くしてしまう。
アイリーンはさらに扉の向こうに身を隠して、それでも顔を半分のぞかせることは忘れずに、もう一度尋ねた。
「また、わたくしを忘れてらっしゃったりしない?」
ああ、と愛しさが胸に広がった瞬間、彼女が膝の上に落ちた。
ぽかんとしているアイリーンの体をそのまま抱き締める。状況を把握してアイリーンが叫んだ。
「きょ、強制転移させるなんて卑怯です!」
「大丈夫だ。僕は今日も君を愛している」
ささやきに暴れようとしていたアイリーンの動きがぴたりと止まった。
気まずいのか、視線を斜めに落とし、小さな声で言い訳を始める。
「べ、別に、クロード様を信じていないわけではないのです。そうではなくて」
「不安なんだろう?」
「そ、そうではありません。ただ本当に大丈夫なのか、確認しておいた方がいいのではないかと思って……いえ、クロード様があっさり記憶喪失になったのは問題ですけれども!」
「そうだな」
大真面目に頷き返すと、調子が戻ったのかアイリーンがきっと下からにらんできた。
「そもそもエレファスにしてやられるなんて油断しすぎですわ」
「面目ない」
「それで記憶も魔力も失って、どれだけ魔物達が混乱したか。あなたは王なのです。ご自分の立場をもっと自覚してくださいませ!」
そこで自分も不安だった、怖かったと言い出さないのがアイリーンの可愛いところだ。
「いいですか。今後はこういったことのないよう――笑ってますわね!?」
「笑ってなどいない。顔を見ればわかるだろう?」
「ごまかされませんわよ、さっきから花瓶の花が瑞々しくなってます! 反省してらっしゃらないでしょう!」
怒った顔もまた愛らしい。
気を抜くと笑い出しそうな表情を引き締めて、クロードは答える。
「とても反省している。すまなかった」
「……そ、それなら許して差し上げますわ。もうすんだことですし。クロード様は結局わたくしを選んでくださいましたし?」
誇らしげにふふんと笑われてしまうと、もう駄目だった。
片手で顔を覆って、クロードは声をあげて笑う。
もちろん、アイリーンは烈火のごとく怒りだした。
「ど、どうしてそこで笑いますの!?」
「い、いや。じ、自覚が、ないのかと」
「自覚!? 自覚ならクロード様の方がことの重大性をわかっていらっしゃらな――」
「す、すねているんだろう、君は」
ぽかんとしたアイリーンに、クロードは肩をふるわせながら指摘する。
「君は、もうすんだことを蒸し返して、ぐちぐち言うタイプじゃない」
セドリックの時もそうだった。あれだけこっぴどい婚約破棄をされて、彼女は愚痴一つこぼさなかった。
けれどクロードの記憶喪失には、嫌みなんて彼女らしくないことをしなければ、気がすまないのだ。不安で、クロードが悪いのだと言わずにいられないのだ。
これが愛しく思わずにいられるだろうか。
ちらと顔を見ると、アイリーンは首から頭のてっぺんまでみるみるうちに真っ赤になった。やはり自覚がなかったらしい。
愛しさをこめて、クロードは誠実に告げる。
「大丈夫だ。今日も僕は君に恋に落ちた」
「――帰ります!! 放してくださいませ!」
すねている、なんて彼女の矜持が許さないのだろう。
だがもちろん逃がさない。
「だめだ。君がすねているのは、僕に責任がある」
「そ、そもそもわたくしはすねてなどいません! 責任とおっしゃるなら、お仕事にもどってくださいませ……!」
「何を言う。僕しか君の不安を取り除けないんだ」
顔をのぞきこんで言い聞かせると、アイリーンはそんなことはないとかなんとか言い出す。
わかっている癖に強情だ。
だがそこがいい。
「安心するといい。今日はとけるまで君を甘やかす」
目を細めたクロードの宣言にアイリーンは真っ青になったあと、いりませんと叫んだ。
■
決してすねたわけではない。
そう思いながら、ぐったりとアイリーンはクロードの胸にもたれかかっていた。悔しいことに勝負はたったの五分でついた。
クロードの記憶が戻ったことがよくわかる、責め苦の五分だった。
(そうよね、クロード様につかまった時点で負けだったわ……)
純情だったクロードが懐かしくなってきた。もう一度戻ってくれないだろうか。せめて半分くらい戻って欲しい。十分の一でもいい。
でも、怖い思いをさせた、もう大丈夫、愛している――そう繰り返されて、やっと不安がなくなってきたことも確かで。
「そうだ、せっかくだから今度は君の可愛いところをあげていこう」
「もういいです、クロード様。記憶が戻られたのは、よく、わかりましたから……」
「遠慮しなくていい」
「してません。わたくしが間違ってました。……そもそも、もしクロード様が記憶喪失になっても、何度でも射止めればいいことですもの」
そうわかっていたのに、馬鹿なことを言い出してしまったせいでこのざまだ。
だが嬉しそうな顔をするクロードに、微妙に腹が立つのはしかたない。――決してすねているわけではなくて、少しくらい意趣返しをしたい。
だからアイリーンは意地の悪い笑みを浮かべて、ためすように尋ねる。
「逆にクロード様は、わたくしが記憶喪失になったらどうしますの?」
「君が?」
「そうです。魔王なんて恐ろしい、婚約破棄して欲しいと泣き出したりしたら!」
そんな自分は想像できないが、そう言われたクロードを想像するのはわりと楽しかった。我ながら性格が悪い。
(でもクロード様だって少しは困ればいいんだわ。わたくし、今回苦労したもの)
アイリーンがそうしたように、拒まれても諦めず、何度だって恋に落としてくれるのだろうか。
顎に指を当てて真面目に考えているクロードの返事をわくわくと待つ。
「そうだな……」
やがてクロードは顔をあげ、まっすぐにアイリーンを見つめた。
「まずは監禁」
「この質問はなかったことに致しましょう!」
いつも読んでくださって有り難う御座います。
本日、「悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました」第三部の書籍化である3巻が無事発売致しました。
連載、書籍、コミカライズとアイリーン達が活躍できているの、皆様の応援のおかげです。レビューも感想も評価もブクマも、いつも励みにさせて頂いております。本当に有り難う御座います。
次回更新は個人面談の中編か、第四部の予定です。楽しんでいただけるよう、全力で頑張ってまいりますので、引き続きアイリーン達を宜しくお願いいたします。




